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2009/11/04(水)
鬱憤
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地産地消の食事は、正しくエコですよね。 食べ物を毎日選り好めば、その分輸送費はかかる。 わざわざ海外から運んだ物の方が安いというのは不思議な状態。 真面目に二酸化炭素の削減とやらに取り組みたいなら、まず自律と自立からだと思う。
大人の話し合いというと、言葉としてはどうも汚れて見える。 でも、実際には人の気持ちを和らげるのは大切なこと。 引越したら蕎麦を配る程度には。 ダムだって、「この様に前々から言っておりまして、データはこれです。こちらの都合で色々変えてしまって申し訳ありませんが、ひとまずお目通し頂きたく」これだろう。 それを「受かったので、言ってた通りにするからね!はい、決定!」とやるからこんなことに。 そういう不手際は政治家には許すべきじゃないと思うよ。 大勢の人が関われば、些細なことが何年もの時間を必要とする。 誰に話しかけるか、どんな態度をとるかは見極めるべき。 それは綺麗・汚いの問題ではなく、技術だよ。 人間だって数字の一つではあるんだから。 何でも公式に真面目にやろうと思えば、数字は大事。
国際的になる為に、人の出入りを自由にするとか、笑うしかない。 その言葉の意味を理解出来ていないのが明確なので、カモにされても仕方が無いほど。 多くの人と関わり対面しようとすればするほど、必要なのは規制だ。 固く自分を守って、お互いの線引きを見極めて、それでこその相互干渉。 なあなあにして譲歩だけする奴を、皆が優しく相手にしてくれるわけがない。 個人だって同じなんだから。 優秀な悪人と、無知な善人。 どちらが好かれるかではなく、どちらと話し合いたいか考えてみるべき。 足元がふらついている奴と握手なんかしたくない。 多数の人がいれば、まず偉そうできちんとした人に話しかける。 自分を相手に認めさせようとするのは、傲慢ではなくて礼儀だよ。 ただひたすら譲歩してくる、媚びた人間好きになれるか? 便利=好意の対象だなんて、下劣な感性だ。 相手の喜びは、好きな相手から得られる作用で有って副産物だよ。 本当に相手を認めたら、自分も認めてもらおうとすべきだ。 ヒトとして。
受容という言葉はもっときちんと規制されるべきだね。 人に認めてもらいたいなら、主張し工夫すべき。 愛情で以てそこを譲歩してもらおうだなんて、甘えだよ。 しかも幼稚で下品な甘えだ。 悪ではないけれど、嫌う必要がある。 自分がそうなってしまわない為に。
期間が区切られた愛情の感動が分からない。 皆、いつかは絶対に死ぬんだ。 誰でも必ず期間限定の愛情しか持てない。 生きている間に努力し要求し、死ぬ前に満足すべきだ。 誰でも。 一か月が短いなら、一年ならいいのか。 十年、五十年、百年。 何年続けば「もういい」って思うんだ。 思えたならそれは幸せか? 永遠なんて、有っても無くても有限な私達にはあまり関係ないよ。 他者の愛情を賛美する暇が有ったら、自己の受けた愛情に報いる努力する方がずっと有意義。 たぶんね。
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