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2009/10/16(金)
愛鬱
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自分のことが大好き、という人とは深く付き合えない。
むしろ、求めるのは持病の様な自己嫌悪と劣等感。 それに由来する歪んだ憧れと愛情しか持てないような、そんな人が好き。 最終的にはどこかで絶望していて、それでも甘えは捨てきれない。 そういう自分にまた絶望する。 でもずっと絶望に気付いていると疲れるから、目を逸らす。 逸らした目を綺麗な物と汚い物に交互に向けながら、いつも背中では絶望の気配に鳥肌を立てる。 虚しさと欲情を混同する。 それが間違っているとは思わない。 鬱っぽい時間を呼吸することの苦しさと恍惚を知っている。 そこにずっといれば窒息出来ることを知っていて、敢えて息継ぎに俗を振る舞う。
そういう人が、好き。
所詮は自分が肯定されたいだけの仲間探しだとしても。 これが私の人生の一番大きな面で要素なのだから。
でも誰を好きになっても、やっぱり自分は一人きり。 世界は自分の中にしかないし、同時に自分は世界に加われない除け者だと感じている。 それが苦しくて寂しくて虚しくて怖くて、でも本当に幸せで。 これを業と呼ぶのではないかと思います。
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