DaysFragments
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2009/10/16(金) 愛鬱
自分のことが大好き、という人とは深く付き合えない。

むしろ、求めるのは持病の様な自己嫌悪と劣等感。
それに由来する歪んだ憧れと愛情しか持てないような、そんな人が好き。
最終的にはどこかで絶望していて、それでも甘えは捨てきれない。
そういう自分にまた絶望する。
でもずっと絶望に気付いていると疲れるから、目を逸らす。
逸らした目を綺麗な物と汚い物に交互に向けながら、いつも背中では絶望の気配に鳥肌を立てる。
虚しさと欲情を混同する。
それが間違っているとは思わない。
鬱っぽい時間を呼吸することの苦しさと恍惚を知っている。
そこにずっといれば窒息出来ることを知っていて、敢えて息継ぎに俗を振る舞う。

そういう人が、好き。

所詮は自分が肯定されたいだけの仲間探しだとしても。
これが私の人生の一番大きな面で要素なのだから。

でも誰を好きになっても、やっぱり自分は一人きり。
世界は自分の中にしかないし、同時に自分は世界に加われない除け者だと感じている。
それが苦しくて寂しくて虚しくて怖くて、でも本当に幸せで。
これを業と呼ぶのではないかと思います。
 

2009/10/15(木) 模写と創作
ガラージュがヤフオクで5万まで上がっていました。
とても買えません。

デフォルメというのは、色々深いものらしいです。
例えば何を切り捨てるか、何を残すか、際立たせるか。
それは私には、よく分からないことですが。

二次創作の延長から絵に入って、アートへ流れる人がいるのが興味深いです。
誰でも子供の頃には、何かを描いていて。
でも、描き続ける動機というのは実はそうそう転がっていないもので。
一部の人は、キャラに対する好意とか萌えとか、そういう感情を乗せる方法に絵を選ぶ。
既存のキャラに、自分の好きなシチュエーションやポーズや表情をさせて遊ぶ。
その行為が続いて、いつか絵自体が固有な柄を帯びていく。
面白いです。
元々描き始めは人のキャラクターで、絵柄も人の真似から始めて。
同人誌作ったり友達と交流したりする上で、混色が起きて。
ベースが途絶えて、絵そのものに表現したい内容が乗ることになる。
そうしたらそれはもう、個人の創作になっていて。
この過程が、とても興味深いくてもっと見たくなります。

学生時代に文化部だったので、模写というもので起きる問題を色々で見ました。
他者を真似ること、或いは似てしまうこと、利用することで生じる感情。
似通うということの判断の難しさ。
また、同人誌の作成や販売に付いて起きる問題はイベントの場でも作成の場でも見ることが出来ました。
商業と創作と、個人と多数の間の曖昧な部分、責められる部分。

実際、人間の個々の差というのは微々たるものだと思うのです。
同じテーマで書かれた本も絵も音楽も無数に有る。
それでも私達は、自分を確固たる一つのものとして認識している。
でも、同じ文化の上に育ち、沢山の情報や不安を共有している。
共通するキャラクターや作品に対する思い入れだって、バラバラで、でも共通はする。
マイノリティとマジョリティは絶対に生じる。
その中で、共有し、個別しなければいけないというのはこの時代、高度なバランス制御を求められることですよね。
同じ物を‘使用’している二次創作。
でも、個別の思い入れがあるからこそ共有出来る個々の作品。
共通出来るものを利用して他者に自分の個を表現すると言う方法。
難解で、緻密で、不思議なシステムです。

何か、そこには今まだよく分からないけど、もっと面白い考え深いものがありそうだなと感じます。
もっと関わっていったら、学べることがあるんじゃないかと。
 

2009/10/14(水) モルダー捜査官
Xファイルが好きです。
初期シリーズを何本か見直したのですが、改めて好きでした。

そもそも、UFOモノはあまり好きになれないことが多いのです。
それなのにあのシリーズが好きなのは、多分二つの理由。
一つは、好きな「奇談」のパターンが含まれているから。
解決しない、善悪が分からない、どうしようもない、救いが無い。
そういうパターンの奇談が、結構好きです。
放りっぱなしと言えばそうなのですが、でも日常とはそういうものなので。
不思議で、不条理で、でもどこかで懐かしいのが好きなのです。
侵略され追い詰められ団結して立ち向かい勝利する、が一番嫌いなパターン。
ヒーローになりたがる奴は、悪役も死に役もヒロインも欲しがる。
そういう話は嫌いなのです。

そしてもう一つは、主人公。
モルダーがかなり、好きです。
怠けた言い方をするなら、悪い意味での親近感。
舞台が現代日本だったら、確実に大型掲示板を利用していそうな感じ。
好きな物に熱中し、他を捨ててしまいそうな危うさ、駄目っぽさ。
我が侭で危険な目に合い、叱られ嫌われ、でも止めない。
どこかで子供っぽい、‘社会的な大人’には成り切れていない感じ。
現実のUFOマニア達にも通じる、何だか胡散臭いものが好きそうな雰囲気。
そしてそれを自嘲しつつ、でも誇りにも思っている。
あとは、妹の誘拐を発端とする事件への関わり方も好きです。
誰にも信じてもらえないという状況に、きっと慣れている。
それでも自分がしたいことをしなければいけない辛さ。
そこに親近感を抱きます。
マイノリティの連帯感、モラトリアムの近親憎悪、オタク的な温い仲間意識。

不思議な物を不思議と思うのは、個人。
社会という単位はそれを、持ち上げたり嘲笑したり、削除したりする。
でもどんな形で社会にそれを料理されようとも、向き合うのは個人であるべきだと思うのです。
日常的で、個人的で、言ってしまえば自慰的な楽しみであるべきだと。

例えば、目の前にいないはずの何かが見える時。
宗教や伝承に解決を求めるのも自由。
自分の妄想や幻覚だと思うのも自由。
でも、その両方と、更に他の可能性も残しつつ、とにかく塩とかまいてみる。
結局は真実が何であれ、大切なのはどう折り合い付けて生きていくか。
自分がどう思うか。
そういうことなんじゃないかと。

それがどうXファイルに繋がるのか、ちょっと上手く説明出来ませんでした。
でも子供時代に見ていて、モルダーは大人とも子供とも思えず、好きでした。
大人になった今でも、多分同じ見方で楽しんでいる。
 

2009/10/13(火) 悔恨
ヨーロッパで錦鯉がブームらしいですね。
でも緑茶に砂糖は認めません…

モナコで大公によって作られた、日本庭園の番組を見ました。
故グレースケリー大公妃の為に作られた場所。
一緒に、大公妃の日本に対する言葉が紹介されていました。
「人間だけでなく 生きるもの全てに対する
日本人の規律正しさ つつしみ深さ
内に秘めた心遣いに 強く心を打たれました」

もう、申し訳なくて泣きそうになる。

私はちゃんとした人間でいられているんだろうか。
最低限の心遣いを持っていると言えるんだろうか。
こんなに幸せにしてくれる土地と文化、人々に対して恩を仇で返してはいないだろうか。

自分の記憶は、美化を差し引いても本当に綺麗です。
幼い頃遊んだ場所は、緑豊かで安全で、不思議で美しかった。
人は皆優しくて誠実で。
そんな環境で育ったのに、何故私はそうならなかったんだろう。
優しくも無ければ誠実でも無い。
規律正しく慎み深く、感謝に満ちた人になりたかったのに。
 

2009/10/12(月) 状況の禁忌
昔本で読んだ事件。
海外から赴任した夫婦が、幼い子供を現地の男に預けた。
ほんの短い時間で子供は大人しくしていたし、男はよく働く顔見知りだった。
夫婦が戻ると男が子供に性器を触らせていたので、夫婦は警察を呼んだ。
警察が駆けつけると、男は「体はきちんと洗った」と答えた。
彼は何を責められたのか、理解していなかった。
私はその事件が印象深くて、読める限りの文章を何度も読んだ。
小さい子供を使って遊んでおいて、本人は罪悪感はない。
そもそも、‘性的な悪戯’だなんて思ってない。
催した時にそこに使えそうなものがいたので使った。
擦ったぐらいで何にもならないんだから別に問題無いじゃないか。
そう思っていたんだろうと考えた。
何か、自分が騙されていたことをうっかり知らされた気持ちになった。

人間は動物だけれど。
動物なんだけれども。

ERというドラマを見ていたら、かのダルフールのシーンが。
村に近付き過ぎた民兵が流民達に捕まり、嬲り殺しにされる。
それを周囲が囃し立てる。
暴行し殺害した側が、された側に殺される光景。
私の人生は緩やかなものだけれど、その空気の縮図は理解出来る。
痛くて熱くて冷たい、逆転と復讐のエクスタシー。

子供の体を自慰に使った彼は、悪いと思ってしていない。
そこには確かに純粋があって、悪意が無い。
子供だって、自分が何に触れ何に使われたかなんて理解していない。
両者の間に行われたことに、両者の反発は存在しない。
悲惨に感じるのはこちらの勝手で、そんなの誰にも望まれていない。
けれど、それでも看過されることはない。

何も知らない彼に対して、私達は理不尽を行う。
価値観を押し付け、無い悪に対して罰する。
それは彼が人間だっただけのこと。
そこ以外は何も悪くなかった。
ただ、人間だった。
それだけで、彼は悪漢として扱われなければならない。
ヒト以外の動物だったら、法は何もしなかったのに。

動物番組で、「愛の為に生きる動物たち」というコーナーが組まれていた。
争い、主張し、獲得し、種によっては一瞬だけの性行為。
確かにその為の進化、行動。
けれどそれを愛と呼ぶのは正しいのか?
パフォーマンスに体を許し、数秒重なり、精子を受け渡す。
それっきりで二度と会わない。
それでも、私達はそれと愛と呼ぶのか。
そんなに簡単なことなのか。
だったら、あの知識の足りなかった彼の行動だって愛ではないか。
本能に組み込まれた欲求に従い目の前の相手を求めただけだ。
それなのに、彼は罰されたのに。
そんな行動を軽蔑し一方的に罰した‘私達’がそんな態度で許されるのか。

彼はどうでもいいと思うのではないかな。
私はそうは、思わない。
 

2009/10/11(日) 書描
絵を描きたい時期なのですが、描きたいものが見つかりません。
そもそも絵はとても好きな表現法ですが、諦めているものでも有ります。
幼少期には、とにかく描くのが楽しいとしか思わなかった。
でも成長したら、段々自分の思ったように描けないということが嫌になってしまって。
それで写真や立体を始めました。
今は立体が一番やりたいことですが、それは一つにはやり直し易いということ。
二つには、まだあまり手を付けていないからです。
これから続けたら、また諦めることになるのかもしれない。
本当はもっと、生活に密着した物を何か作れるようになりたいのですが。
陶芸とか服飾とか、始めるだけの若さや勇気がまだ自分にあるだろうか。

何を描こうかと迷っています。

そう言えば、某ピxiv。
三名が登録して、四名が使用しています。
ROM専が二名と、稀に投稿が二名。
名前はそれぞれ、このサイトには関係無いもので登録しています。
お勧めが有るとか、マイミクして下さるとか御連絡下さい。
喜びます。
 

2009/10/10(土) 主観性
私はもっと、生み出す人間になりたかった。

政治や科学の革新なんかじゃなくていい。
もっとつまらなくても、でもとにかく人には認識される様な何か。
でも、それは思ったよりも難しいみたいだ。

せめて子供だけ産んでおこうかとも思ったけれど、それはそれで難しそう。
頑張るのは苦手だけれど、これは頑張っても思う通りにはならない。
作る動機が弱過ぎると言うのも勿論一因。
まあ、少なくとも誰もが認める繋がりでは有るし。
放り出すのも可能だしと思ったのだけど。
そんな理由で産んだって、きちんと育てればそれなりの達成感になると思って。
後悔するだけかもしれないけれど。
でも、大体は親が子供より先に死ぬ。
先に死ねば未来は絶対に分からず、だから絶望はしないだろう。
未知だと分かっていれば期待ぐらいは簡単に出来る。
自分よりも長く続くものなら何でもいいぐらいだ。
そんな私に子供が出来れば面白いし、出来なければそれはそれで正しい。

結局私は、どこかで何もかもどうでもいいと思ってしまう。
今も我慢がならないことは沢山あるけど、それでも世界は美しい。
だったら、どうでもいいじゃない。
生きてる間は頑張るし努力もするし希望も持つ。
その方が楽しいから。
でも、もうすぐ死ぬなら全部今のままでもいい。
ああ綺麗だなこれで良いって思った方が、私が幸福を感じるから。

死ぬ前に心残りが有ったら、それがきちんとしたことだったら、私は私を見直してもいい。
 

2009/10/09(金) 期待
余裕がないと、出来ないこと、持てない思いというものがあると思います。
自分が余りに恵まれた国に生まれて優しい人に囲まれて、気付けないことが多いのだけど。

人のことを責めるにしても、自分の方が優位だと責め辛い。
だって、「余裕が有るから言えるんだ」と言われてしまえば、言い返せないから。
お前だって苦しくなればこうすると言われても、反論は無い。
自分がその余裕を提供出来ないと、責めることも出来ない気がしてしまう。

でも、多分、そうでないものもある。
余裕が有っても無くても、共通で「これはこう」と言えるようなものが。
人と比較すること無く、ただ主張すべきだから主張出来る、何か確りとしたもの。
民族としてでも、人としてでも、生物としてでも、何でもいい。
とにかく、これだけは絶対に、一緒の立場で言い合えるという、何か。

理想なのは分かっていても、きっと生きている限り探してしまう。
自分だけの認識でもそれを見つけられれば、きっと何でも好きに思える。
憎い相手も、受け入れられる。
自分の知らない幸せが、そこにあると期待している。

でも最終的には、そんなもの有っても無くても一緒だと考えている自分もいます。
だって好きな人は自分を殺しに来ても好きだろうし、嫌いな人は聖人でも嫌い。
好きでも嫌いでも、死んでしまえば結構どうでもいい。
そういう風な世界を「これでいい」と思っていられるのも、個としての多に対する愛の一つではありますよね。
 

2009/10/08(木) 台風
皆様、台風の通り過ぎる間は無事に過ごされましたか?

好きです、自然災害。
言葉として「好き」というと少し違うのですが。
恐ろしくて力強くて困ったもので、でも憎いというのとは違うのです。
多分、これが畏れなんだろうと考えています。

先日のメンバー同士の会話を要約してネタに。
これ、本人達はもう何年も続いたので麻痺しているのですが、他人が読むとカオスだそうです。

前半
「無い、あれだけ大きなデモで、アメリカで、報道されない訳が無い」
「だって読○さんには電話までかけたのに」
「むしろ朝○方面の方が?」
「新聞に左右色が強く出ると言うのは事実だけれどさ」
「まずTVから調べるべきだろうよ。TV層はどうしてもネット層とずれるし」
「報道の娯楽化というより、恋愛マニュアルの経過を元に定型化の法則をさあ」

後半
「クラシックでしょ」
「チャイルドカバーか鬱曲かな。無音がいいんだけど」
「私も無音。有っても雅楽がインスト」
「カワイイ系アニメボイスのエロネタ入り電波曲、2秒差被せて大音量で」
「えぐい、怖い!」
「MこそSって本当だったんだ」

前半がアメリカで九月にあった大規模デモと国内報道、マスコミモラルの話。
後半は人を虐める時に適したBGMです。
内容が色々おかしいのは、本人達も承知です。
楽しいから良いんだ。
 

2009/10/07(水) 謝意
アムネsティとかユニセf(カタカナの方)を検索すると、脳が逃げ出したがります。
JASR-Cは今どうなっているのですか?
煙い。
見えませんから晴れて。

死刑には賛成派です。
冤罪を減らして、その分したことの報いはしっかり返す仕組みにしてほしい。
命を奪うのは残酷だと言われても、私達は毎日家畜を食べている。
生命の重さが同じなら、自分達の生活の為に奪われる同じ尊い殺害でしょう。
人間だから残酷だと言われても、本人が人を殺したのなら別。
殺されたくなければ、殺さなければいい。
曖昧な事件に付いて言うのではない。
皆が頷けない、勝手な理由で、明らかに殺したという事実が有る人間。
社会はそんな人間を作り出した責任をとって、その人間を排除すべき。
更生の可能性よりも、再発の可能性の方が重いです。
だって、既に犯罪が起きた後なのだから。
どうにか出来るのなら、事件が起きる前にすればいい。
自分が残酷なことをして、容赦される理由はどこにあるの。

加害者よりも常に、被害者が護られるべき。
これからの被害者を減らそうと、一番に考えるべき。
私は私自身や家族、友人を「殺す可能性のある人」がいたら、是非とも殺しておきたい。
それだけ安全と安心、取り戻せない物が大切です。

とても俗な話をすれば、人間が一人、一生暮らすのに使う予算は莫大。
死刑に相当する犯罪者が何十人もいたとして、その人達が何十年も生きたとして。
その人生を最後まで快適に適切に養ってやる予算、余裕。
有ると思えないし、有れば他に使って欲しいです。
うちのメンバーは夏場にクーラーを修理出来ないまま生活したと言うのに。

日本では無期懲役というのとは別に、絶対終身刑=終身刑というのがあります。
この二つが混同されてしまって、訳も混乱するので情報を探すのが難しい。
今話題になっている書籍の、光市の事件。
名前が出るぐらいは、当然の罰だと思いますが。
自分は何の痛い思いもせず、何も失わずに、許されたいと言うのは無理な話。
本は、「福田君」なのでしょうか「孝行君」なのでしょうか。
どちらにせよ、作者の意図は私には無縁です。
別に、どんな人間かということに興味なんて無い。
したことと、受ける罰、社会がどう見るのか、その結果がどう出るのかが気になるのです。
人間性がどんなに優れた人でも、他人には結局行動以外からは判別出来ない。
他者に否と判別される行動を取り、その理由を理解されないのなら、そういう人間性なのです。

ところで赤字国債の発行は決定になっているのでしたか?
目に見えるぶれに対して、どういう報道がなされるのか楽しみです。
政府関係などの発言、無知ですし読んでいて面白くないと思います。
頭の良さそうな言葉の一つも書けずすみません。
そう言えば、「右寄りは〜」「左寄りが〜」っていう会話をしていたら、遅れて入ったメンバーの第一声が「男○器の話してんの?」でどうしようかと思った覚えが有ります。
大変、長閑。
そういうところが好きです。
 

2009/10/06(火) 迷走
じっくりと人体を眺めたくなったので解剖学か人体のデッサンの本を買おうと思ったのだけど、種類が多くてどう選んだものか分かりません。

本は、どうやっても増えるから困る。

少しは、読んで楽しんでもらえるものを書きたいとも思います。
でも、何も思いつかない。
ただの情報やただの感触が気持ち良い最近です。
それは自分がそう感じるだけのことだから、面白く出来ない。
もっとちゃんと吸収して消化しなければと思うけれど。
でも、今は出来ません。
今はきちんとどこかを向いていることが出来ない。
顔を上げられないと進めない。
何処にも歩いていけない。
散歩するように生きていきたいのに。

休んでいるのは、楽だけど辛い。
楽しく進んでいるのも、楽だけど辛い。
どっちかだけっていうのは、無いことなんですね。
 

2009/10/05(月) 成形と整形
好きな人を真似ると言うこと。
それをもっと深く考えなくてはいけないようだ。

好きな行動や思想は色々ある。
例えば、身近な人を信用すること。
好きな物を重荷にしてしまわないこと。
自分に自信を持てるよう努力すること。

どれも眩しくて愛しくて。
それらが出来るようになったら、自分はもっと役に立てるように思う。
認めてもらえたり、必要とされたり、無理だと思っていたことを実現出来たりするかもしれない。

でも、自分がそうなるのは、何だか違う気がする。
自分が違うからこそ好きでいられるのか、それとも、自分と他人はやっぱり別のものなのか。
理由は分からないけれど、自分の好きなものは、自分がなりたいものと、違うと感じる。

自分がどんな人間なのか、それを自分でどう操作するのか。
やろうと思えば、本当に違う人間になれるのか。
でも、なれるとすればそれは、とても儚いことのような気がする。

今のこの私は、既に最初の私では無い。
もう随分、様々な人から影響を受け、思想を受け継ぎ、変形し合成されて出来ている。
そういう形を成している。
環境に成形して貰い、好きなものに左右され、そうやって生きているのが幸せだと感じる。
そこまでして貰っても、なお自分は未熟で矮小だ。
だからきっと、私の意思で何かしようとはあんまり思わない方が良い。
自分よりも、自分以外に好きなものが多いのだから。
だから多分、こんな自分の意思で弄ってしまっては、この幸せを失う。
そう感じる。
 

2009/10/04(日) 生活
「朝です。学校に遅刻する前に、しっかり起きて、しっかり朝食、
歯磨き洗顔を忘れずに、今日も、人生の終わりに一歩近づきましょう。」
http://ichiba.nicovideo.jp/item/dw625525

絶望先生の着信ボイス。
これ、欲しいのですよね。
とても好きな言葉なので、載っている巻が分かれば買いに行くぐらいです。

多分、これが私の思う幸せです。
子供時代、夏休みを楽しみにした、あの気持ち。
あれが根本的な幸福感を育んでくれたんじゃないかな。
 

2009/10/03(土) 様々
〜10月4日
「横濱浪漫館 うさぎ展」
http://home.t04.itscom.net/romankan/
明日までの展示です。

特に関心が有るもの、というよりは、何となく気になったもの、を書いています。
読売新聞の一面に中国の囲い込みが載ったことが印象的でした。
毎日と朝日は嫌いですが、ネトウヨ的な気持ちが3割、後は文章が嫌いです。
民主党も、主義主張が嫌いなのは6割。
あとは手際の悪さ、合理性の低さ、ぶれっぷりが嫌いです。
何故もっとスマートに出来ない。

「アメリカで200万人のデモが発生」
http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/0e2a0f21ba3160c287ece85580a62128
検索すると、目に付くのは‘マスコミが報道しない’の文字。
確かに、TVやニュースで見かけたことは無いです。
‘報道しない’タグが有るのは初めて知った。
これをネットでなければ見つけられないのを、確かに恐ろしく思います。

「北京で日本人女子留学生が殴られ大ケガ」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1092560.html
何故今になって上がったんだ。
でも、私は国内の電車内暴行の方がショックでした。
地続きで生きている人達を、信じていたのに。

「「店が悪い!」 万引現場に“モンスターペアレント”」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090926/crm0909262212016-n1.htm
これは無い。
信じたくないし、許そうと試みる気になれない。
何の共感も出来ないし、恥知らずなことだと思う。

「『かわいそう』と魚を食べられない子供が増加」(痛いニュース)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1312491.html
笑ってしまう。
生きたくないと言うのなら生きるのを止めれば良い。
命を貰いそれをどこかへ還元すると言うのが、つまりは生きるということだろうに。
動物愛護は「苦痛」「非生産的」「無駄」辺りがきちんと焦点であればいい。

「【主張】夫婦別姓 家族の絆を壊しかねない 」
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/091001/sty0910010338000-n1.htm
性差別だと言うなら、どちらか選べるようにすればいいだけのこと。
国外からの移民を有利にする為の法律なのではという声も聞く。
それ以前の話だが、私にはこの法律の必要性が分からない。
名前に愛着は有るけれど、結婚するなら覚悟ぐらいは必要だろう。
そんな覚悟や譲歩さえ出来ないのに、籍を共にするのは意味が有るのか?

「牧師が突然の告白「私は以前女性でした」」
http://news.livedoor.com/article/detail/4375638/
トランスセクシュアルと同性愛は全く別だろうに。
むしろこの人は、身体に即した同性愛者だったら手術しなくて済んだ。
差別も頭にくるけれど、そういう‘混同’の方がより嫌いだ。
知識を取り入れる気さえ無く侮蔑する気持ちが嫌。
 

2009/10/02(金) 徘徊系
tale of tales、スタジオンマンゴスチン。
garage、BAROQUE、Alice in Nightmare、you are empty。
海外のものをもっと調べれば、数は一気に増えるかもしれないけれど。

要は、「空間自体を楽しめる」「散歩が出来る」ものが好き。
全部プレイしてみたという訳ではないので、プレイ動画など見ての感想も入っている。

幻想的で原始的な世界、或いはバロックな世界、廃墟の散歩を楽しめるもの。
99roomsもゲームにカウントするならば、トップに入る好ましさ。
少し雰囲気が違うけれど、歪みの国のアリスや、portalも。
ゲームではなくなってしまうけれど、第N無人居住区がゲームになったら是非ともプレイしたい。
やはりプレイしてみたことは無いのだけど、wiiで言えばFRAGILEだろうか。
見たことが無いけれど、ICOやワンダと巨像も気になる。
人物や空気で言えばRULE of ROSEなどだろうか。

小さい頃に、城跡の森や近所の墓地、神社や廃墟で一人遊びをした、あの感覚が欲しいです。
ゆめにっきとなると、少し大人向けかと。
 

10月絵日記の続き


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