|
2009/10/07(水)
謝意
|
|
|
アムネsティとかユニセf(カタカナの方)を検索すると、脳が逃げ出したがります。 JASR-Cは今どうなっているのですか? 煙い。 見えませんから晴れて。
死刑には賛成派です。 冤罪を減らして、その分したことの報いはしっかり返す仕組みにしてほしい。 命を奪うのは残酷だと言われても、私達は毎日家畜を食べている。 生命の重さが同じなら、自分達の生活の為に奪われる同じ尊い殺害でしょう。 人間だから残酷だと言われても、本人が人を殺したのなら別。 殺されたくなければ、殺さなければいい。 曖昧な事件に付いて言うのではない。 皆が頷けない、勝手な理由で、明らかに殺したという事実が有る人間。 社会はそんな人間を作り出した責任をとって、その人間を排除すべき。 更生の可能性よりも、再発の可能性の方が重いです。 だって、既に犯罪が起きた後なのだから。 どうにか出来るのなら、事件が起きる前にすればいい。 自分が残酷なことをして、容赦される理由はどこにあるの。
加害者よりも常に、被害者が護られるべき。 これからの被害者を減らそうと、一番に考えるべき。 私は私自身や家族、友人を「殺す可能性のある人」がいたら、是非とも殺しておきたい。 それだけ安全と安心、取り戻せない物が大切です。
とても俗な話をすれば、人間が一人、一生暮らすのに使う予算は莫大。 死刑に相当する犯罪者が何十人もいたとして、その人達が何十年も生きたとして。 その人生を最後まで快適に適切に養ってやる予算、余裕。 有ると思えないし、有れば他に使って欲しいです。 うちのメンバーは夏場にクーラーを修理出来ないまま生活したと言うのに。
日本では無期懲役というのとは別に、絶対終身刑=終身刑というのがあります。 この二つが混同されてしまって、訳も混乱するので情報を探すのが難しい。 今話題になっている書籍の、光市の事件。 名前が出るぐらいは、当然の罰だと思いますが。 自分は何の痛い思いもせず、何も失わずに、許されたいと言うのは無理な話。 本は、「福田君」なのでしょうか「孝行君」なのでしょうか。 どちらにせよ、作者の意図は私には無縁です。 別に、どんな人間かということに興味なんて無い。 したことと、受ける罰、社会がどう見るのか、その結果がどう出るのかが気になるのです。 人間性がどんなに優れた人でも、他人には結局行動以外からは判別出来ない。 他者に否と判別される行動を取り、その理由を理解されないのなら、そういう人間性なのです。
ところで赤字国債の発行は決定になっているのでしたか? 目に見えるぶれに対して、どういう報道がなされるのか楽しみです。 政府関係などの発言、無知ですし読んでいて面白くないと思います。 頭の良さそうな言葉の一つも書けずすみません。 そう言えば、「右寄りは〜」「左寄りが〜」っていう会話をしていたら、遅れて入ったメンバーの第一声が「男○器の話してんの?」でどうしようかと思った覚えが有ります。 大変、長閑。 そういうところが好きです。
|
|
|