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2009/10/12(月)
状況の禁忌
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昔本で読んだ事件。 海外から赴任した夫婦が、幼い子供を現地の男に預けた。 ほんの短い時間で子供は大人しくしていたし、男はよく働く顔見知りだった。 夫婦が戻ると男が子供に性器を触らせていたので、夫婦は警察を呼んだ。 警察が駆けつけると、男は「体はきちんと洗った」と答えた。 彼は何を責められたのか、理解していなかった。 私はその事件が印象深くて、読める限りの文章を何度も読んだ。 小さい子供を使って遊んでおいて、本人は罪悪感はない。 そもそも、‘性的な悪戯’だなんて思ってない。 催した時にそこに使えそうなものがいたので使った。 擦ったぐらいで何にもならないんだから別に問題無いじゃないか。 そう思っていたんだろうと考えた。 何か、自分が騙されていたことをうっかり知らされた気持ちになった。
人間は動物だけれど。 動物なんだけれども。
ERというドラマを見ていたら、かのダルフールのシーンが。 村に近付き過ぎた民兵が流民達に捕まり、嬲り殺しにされる。 それを周囲が囃し立てる。 暴行し殺害した側が、された側に殺される光景。 私の人生は緩やかなものだけれど、その空気の縮図は理解出来る。 痛くて熱くて冷たい、逆転と復讐のエクスタシー。
子供の体を自慰に使った彼は、悪いと思ってしていない。 そこには確かに純粋があって、悪意が無い。 子供だって、自分が何に触れ何に使われたかなんて理解していない。 両者の間に行われたことに、両者の反発は存在しない。 悲惨に感じるのはこちらの勝手で、そんなの誰にも望まれていない。 けれど、それでも看過されることはない。
何も知らない彼に対して、私達は理不尽を行う。 価値観を押し付け、無い悪に対して罰する。 それは彼が人間だっただけのこと。 そこ以外は何も悪くなかった。 ただ、人間だった。 それだけで、彼は悪漢として扱われなければならない。 ヒト以外の動物だったら、法は何もしなかったのに。
動物番組で、「愛の為に生きる動物たち」というコーナーが組まれていた。 争い、主張し、獲得し、種によっては一瞬だけの性行為。 確かにその為の進化、行動。 けれどそれを愛と呼ぶのは正しいのか? パフォーマンスに体を許し、数秒重なり、精子を受け渡す。 それっきりで二度と会わない。 それでも、私達はそれと愛と呼ぶのか。 そんなに簡単なことなのか。 だったら、あの知識の足りなかった彼の行動だって愛ではないか。 本能に組み込まれた欲求に従い目の前の相手を求めただけだ。 それなのに、彼は罰されたのに。 そんな行動を軽蔑し一方的に罰した‘私達’がそんな態度で許されるのか。
彼はどうでもいいと思うのではないかな。 私はそうは、思わない。
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