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2008/09/06(土)
接触点以前の
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人に縋られることにとても弱い。 求められていそうだと感じると、役に立てなくても首を突っ込みかけてしまう。 全然知らない人でも、不特定の誰かを求めているだけでも、判断が鈍くなる。 例えば、誰かの日記やブログで見かけただけだとしても。
けれどそんなの、一方的な押しつけの親近感でしかない。 いつも自制より早く体が前に出てしまうのだけど。 相手のことをどれぐらい好きかとか、何を犠牲に出来るかとか、考える前に。 自分が役に立つことがあまりにも少ない。 だから、少しでも喜ばれそうだと、過剰に反応してしまう。 対応できる能力なんて、無いくせに。 それで何度も失敗しているくせに。
依存するタイプの人をよく選んでしまう。 自分の選択のようで、実は違う。 縋ってくれそうな、自分以外に取られることの無さそうな人間に期待しているだけ。 それに自分で気付かなければならない。 もっと大人にならないと、しっかりしないと、私は友達を好きになれない。
以前、そういう関係を結んでいた。 必要とされているような気がして嬉しかった。 何をされても許せたし、達成感も強かったけれど、今思えば共依存でしかない。 互いに耐えきれなくなって疲れていって、結局関係は擦り切れた。 自分の好感も相手の欲求も、どんどん薄くなっていくのが分かっていた。 それでも、役に立っているという達成感や、「駄目な人」に対する優越感が切り離せなかった。
今も、全ての友達に対して恐怖がある。 自分が優越感を持ちそうになると、自虐でそれを潰そうとする。 好かれてるとか、喜ばせてるとか、それらを全部自惚れに分類する。 付き合って貰ってると考えて、それでやっと落ち着いて友達でいられる。
そんなに湿っぽく重い精神なくせに、どこかでドライでしかない。 執着があるうちはとことん好きだけれど、一度離れるともうどうでもいい。 そして、離れるのが自分で予想していたよりも簡単だ。 今度は、自分が一人になる恐怖で人をわざと好いているのではないかと疑い始める。
人間関係が難しいのは知っている。 でも、対人、というよりも前に、あまりにも自分の内側が脆弱過ぎる。 以前に擦り切れた関係は、ある意味でいい経験だったのかもしれない。 壊れなかっただけ、空虚に爽やかだと感じられたから。 あの虚しさを思い浮かべると、少しだけどの関係も怖くはない。 死ぬことを考えると生きるのが怖くなくなるのに、近いかもしれない。
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