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2008/08/25(月)
子殺し親殺し堕胎
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メンバーの中で唯一性的な遊びが多いのが私。 運動にも娯楽にもするし、人を動かす為にも交わります。 コミュニケーションだとは思いませんが。 サディストなので、快楽の基本は一方的な支配とコントロールですから。
セックスに付いて、特に妊娠の可能性に付いて尋ねられました。 私は子供は産みません。 育てられないし、育てたくない。 自分にきちんと人間を育成出来る能力があるとは思わない。 可愛がれないし、可愛がりたい人は既に沢山いる。 何より、関心を持てない。
では何故危険を冒してまで異性と交わるか、という話です。 男女年齢、拘わりなく抱けるので。 それは、子供が出来ても構わないから。 出来た子供を殺す覚悟は、常に持ち続けているものです。
副作用を我慢して薬を飲むし、それが嫌なら可能な限りの対策はする。 自分の体に関する自分の責任だし、そうでなくても面倒は避けたい。 その上で出来た子供を殺すのなら、それも私の選択。 私の選択でなければ、我慢出来ないことの一つ。
ずっと、覚えている限り、そして今も、父親を殺したい。 母親のことも、父親に殺されるぐらいなら私が殺したい。 自分を産んだ親を殺せるかと言えば、それは可能です。 父が私を殺そうとしたら、私は父を殺します。 実際にそのつもりで向かったことも、何度もある。 子として親を殺せるのだから、親として子も殺せます。
畢竟親も子も、自分ではない。 自分でないのならば、自分の為に殺せるのです。 それはただの選択。 殺された動物を食べるか食べないか、選ぶのと同じ。 親しさの要素を抜けば、吸われたくなくて蚊を殺すのとさえ同じです。
ただ、覚悟は持つ。 私が誰かを好きだと思う為に、覚悟はするし、責任は負う。 その上で選んでいることの一つです。 娯楽の為に自分の子供を殺す為の覚悟をするのが、私の選択。 誰かを殺す覚悟をするのが、この人生。
願望自体が弱さでは有るけれど、意地を捨てられない。 行動の結果に失敗が起きて自分の子供を殺すことになっても、誇りを持ってそうしたい。
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