DaysFragments
四人が書く順番や割合はランダムです。内容は各個自由に。
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2008/08/31(日) 眠りの準備に
夏の終わり。

つい、夏「休み」の、と書きたくなる。

植芝○一の漫画にある。
夏休みの最後の日の、不安を語る場面が。
あれは母性の庇護から他の対象への移行なのかと思った。
けれど実際、母性にまた還元していくのだけれど。

独立の不安。
分離不安というやつで。
自分が自分であることを自覚するのはひどく怖い。
それは終わりを意識することだから。
終りが一生の終りでも、一日の終りでも関係ない。
マクロとミクロの入れ子構造は、もはや思想の当たり前の帰結。

夏休みの終わりは、不安を通り越して切ない。
もう、休みの後にも生活が続くことを知っているから。
やがて次の夏休みが訪れることを知っているから。
自分がやがて死に、誰かが次を生きることを知っているから。
それを喜ぶにはまだ自分は、個体としての機能に優しく厳格に拘束されているのだけれど。
 

2008/08/30(土)
今年はそれぞれ、身辺の整理にかけることになりそうだ。
身の回りを片付けて、場所を開けて、勢いを得たい。
捨てなければ持てないということを、そろそろ私達も忘れないようにしなければ。

前日の日記の内容を、本人から言われたことがある。
植物に例えて、私が持っているのは毒草の種だと言われた。
種をそのまま持ち続けるか、或いは種のまま食むか。
けれど毒草が見たいから、出来れば破滅してほしいと。
そんな希望に笑ったけれど、埋めるならば自分で選択したいとは思うようになった。
手から零れた種のせいで毒死するのは、何とも間抜けに感じるから。

例え馴染んだ友達でも、綺麗な物を見る為なら死んでほしいと思ってしまう。
そういう彼女の業を好ましく思うのだって、愛には違いないと考えるのだけど。
彼女に言わせるならばこの気持ちは未だ種なのだろうな、と。
どうせ咲くならば、彼女が見とれるぐらいに毒草として繁りたい。
 

2008/08/29(金) 破滅の愛
或いは恋でも良いのだが、悲恋とは、違う。

好きという感情の形は様々だけれど、本質は執着。
反対後は嫌いではなく、無関心だとも言う。
執着が関心の極みである時、そこには破滅もあり得る。

愛情には見えない場合もある。
憎しみにしか見えない場合もある。
だが、破滅の愛を本質として生まれ持つ人々は存在する。

それは愛故に望まれる消滅であったり、その手で行われる破壊であったりする。
また接点の無い人間を心から愛して、それでいて何の行動も起こさずにすむ者もいる。
誰か一人を愛するあまり、他の何もかもを憎まずにいられない者もいる。

メンバーには、関心が行き過ぎて壊れた博愛を持つ者が複数いる。
彼女らの愛が本物であるとは、付き合いが長ければ分かる。
それが何に由来するのかは知らないが、外から見れば一つの諦念に近いと思う。
好きで、好きで、何もかも受容する。
その果てに、完全な拒絶が出来なくなる。
行動や表出ではない。
ただ免疫を無くした体の様に、入った物に対する抵抗を持たないのだろう。
無残な殺され方をしたとしても、きっと最後には赦してしまえるのだ。
そして自分が苦しんだ残酷な世界を、やはり変わらずに愛するだろう。
もしも死んだのが自分の愛する人であっても、同じだろう。
許すという機能の著しく欠けた私には不可能だ。

けれどやがて、終わりは来るのではないかと思う。
その死を許せぬ誰かと出会う時、或いはそういう思いを持つことを決意した時。
彼女らは博愛を失って、ただ破滅の愛を持つ人になるだろう。

愛する者が死ぬのを待ち望むか、常にその死に怯えるか。
相手の破滅に安堵するのか、自らの破滅で以ってしか安堵を得られないのか。
何れにしても、緊迫し乾いた硬質な愛が、彼女達に訪れる。
不吉を告げるようでいて、私はその未来をむしろ祝福し愛している。
羨んでいるのかもしれない。
自分を諦めきれず、生温い日常を捨て切れず、また熱を伴わない愛を持つことが出来ないので。

私は日常に生きるニンゲンとしての社会的な愛情ばかり、持つことになるのだろう。
それはひどく残念なことだ。
もしも彼女達の誰かが、最後まで今のまま生きて死んだら。
その死は落ちた花の様に無為で綺麗だと思う。
 

2008/08/28(木) 言語陶酔
天使の骨、という言葉を思い出した。
どこでだか忘れてしまったのだけれど、ネットで目にした。
酩酊する。

アルコールに酔うと、頭の芯が冷える。
コントロールが鈍くなって、感覚が薄まる。
意識は特に変わらない。

言葉は、脳をいとも簡単に酔わせてしまうと思う。
絵を目にするのも、音楽を聴くのも似た効果があるけれど。
言葉は、特に思い浮かべる実物の無い言葉は、美しい。
脳の奥深くからじんわりと、酔いが広まる。
深い部分に沁み込む錯覚を覚える。

官能的な気分は絵で見るよりも、実際の感覚からの方が受容し易い。
でも、言葉の簡単さと奥深さには驚く。
自分の脳の普段疑っている性能を信じる。
妄想や空想と言う物は、なんという単純さで現実を超えてしまうのか。
それは私がまだ、きちんと美しい現実を感知出来ていないというだけの未熟だけれど。
 

2008/08/27(水) 慣性による転落
「金魚たちの見る夢は 4」
http://home.t04.itscom.net/romankan/kingyo8/kingyo08-top.html
のレポートを書かなければ。

ネットがどうにも重く、上手く繋がりません。

ふと死にたくなる昨今。
躁鬱は下り坂の様です。
 

2008/08/26(火) 減退
つまらないから、ドール系のサーチにでも登録してみたらどうだろうか…。

つまらないという感情は、九割九分本人の責任に他ならないとは知っているけれど。

切ないとか寂しいとかいう感情は、本当に厄介で嫌いだ。
早く完璧に取り除いてしまいたい。
空腹感と同じ様に、無くなるのは死ぬ時なのだろうけど。
それに、無くすことに少し抵抗を感じるのも、また嫌いだ。

好きなものは全部、好きなところが、少し嫌い。
そういう自分の、何か「青臭さ」みたいなものも苦手だ。

ところできらら舎の「蛍光學の標本」を買い逃したのが悔やまれる。
畜光フェチなので。
 

2008/08/25(月) 子殺し親殺し堕胎
メンバーの中で唯一性的な遊びが多いのが私。
運動にも娯楽にもするし、人を動かす為にも交わります。
コミュニケーションだとは思いませんが。
サディストなので、快楽の基本は一方的な支配とコントロールですから。

セックスに付いて、特に妊娠の可能性に付いて尋ねられました。
私は子供は産みません。
育てられないし、育てたくない。
自分にきちんと人間を育成出来る能力があるとは思わない。
可愛がれないし、可愛がりたい人は既に沢山いる。
何より、関心を持てない。

では何故危険を冒してまで異性と交わるか、という話です。
男女年齢、拘わりなく抱けるので。
それは、子供が出来ても構わないから。
出来た子供を殺す覚悟は、常に持ち続けているものです。

副作用を我慢して薬を飲むし、それが嫌なら可能な限りの対策はする。
自分の体に関する自分の責任だし、そうでなくても面倒は避けたい。
その上で出来た子供を殺すのなら、それも私の選択。
私の選択でなければ、我慢出来ないことの一つ。

ずっと、覚えている限り、そして今も、父親を殺したい。
母親のことも、父親に殺されるぐらいなら私が殺したい。
自分を産んだ親を殺せるかと言えば、それは可能です。
父が私を殺そうとしたら、私は父を殺します。
実際にそのつもりで向かったことも、何度もある。
子として親を殺せるのだから、親として子も殺せます。

畢竟親も子も、自分ではない。
自分でないのならば、自分の為に殺せるのです。
それはただの選択。
殺された動物を食べるか食べないか、選ぶのと同じ。
親しさの要素を抜けば、吸われたくなくて蚊を殺すのとさえ同じです。

ただ、覚悟は持つ。
私が誰かを好きだと思う為に、覚悟はするし、責任は負う。
その上で選んでいることの一つです。
娯楽の為に自分の子供を殺す為の覚悟をするのが、私の選択。
誰かを殺す覚悟をするのが、この人生。

願望自体が弱さでは有るけれど、意地を捨てられない。
行動の結果に失敗が起きて自分の子供を殺すことになっても、誇りを持ってそうしたい。
 

2008/08/24(日) 餓える
求めているものが手に入らないのは苛立たしいけれど、何を欲しているのか分からないのは、それよりもっと腹立たしい。
欲求だけが確固として存在してしまうと、戸惑う。
どうすればいいのか、何をすべきか、分らなくなってしまう。

例えば今は、珍しく作ることに飢えているようなのだけど。
でも、何に手を付けても焦燥感が消えない。
ずっと「早くしなければ」という気持ちが頭の中に残っている。
何をすれば治まるのか分からないから、困る。
苦しさだけは、確実にあるのに。

久しぶりに気に入っていた場所に行った。
霧雨の中、昼御飯を食べてきた。
住宅街を見下ろして、マンションに見下ろされて。
子供の声とかTVの音とか聞こえるんだけど、それでも「静かな」場所。
取るに足らない全てが好き。
その好きという気持ちも、どうでも良く思えるから好いていられる。
真剣に好きなものなんていらない。
うっすら好きな物が沢山ある方が、ずっと楽に生きていられる。
 

2008/08/23(土) 無何有郷
誰と別れる時にでも、寂しさは有る。
同時に全く無くもある。

普通は、また会えると、思うのかもしれない。
でも自分にはその保障が信じられなくて、いつも最後の別れの様に思う。
愛情に似た感情が、過剰で脆弱で歪んでいるんだと思う。
そうでも考えないとやっていられない。
だって、友達にも恋人より重い執着を押しつけてしまうから。

全く無いとも言えるのは、別れの時で無くても寂寥が落ちてくることはあるから。
不意の孤独感は発作のようなもので、もう逃げられないと覚悟した。
それを不幸だとは思わない。
けれど苦しみだとは思っている。
孤独感よりも寂寥の方が沁みる。
胸の奥に冷たく鋭いものが押し込まれる。
それが重たく膨らんで、肺を押しつぶそうとする。
痛いとは思うけれど、痛いのは嫌いじゃない。
駄目な自分をヒトでいさせてくれるものだと思う。

何にせよ、どんな欲も願望も、満たせるのは自分だけだと思う。
そう思っているから、人を過剰なまでに好きになれる。
私は性根が無責任で、浅ましい。
 

2008/08/22(金) 中学頃の
昔の自分は嫌いだけれど、本当はそんなに嫌いじゃない。

ああいう時期が必要だったのだと思ってる。
どんなに嫌でも子供の体が小さい様に。
頭の弱い時期が必要だっただけで。

同時に、あの時期の自分を嫌う今の自分もただの過程。
皆こうやって過ごしていくだけのことだと思う。
日本はなんて平和なんだ。
ただ生きていくだけで生きていけるなんて。
もしかしたら戦火の元でも、同じく考えているのかもしれないけれど。
 

2008/08/21(木) 秘密基地
女装ラウンジ。
「R's」
http://sappphire-reiko.web.infoseek.co.jp/page002.html
好きなことを出来る自分を幸せに思う。
少なくとも何を着ようと滅多なことでは非難されない。
男物を着ていても奇異の目で見られることも少ない。

女装と言う言葉には、性的な意味での倒錯的なものを感じる。
でもそれ以上に、拘束としての魅力の気配を感じる。
「何故それが秘匿されるのか」という背景の重々しさと馬鹿らしさ。
文化や人の目、社会と言うものの拘束は、鬱陶しく、魅力的。

束縛があるからこそ自由がある。
鬱屈があるからこそ反抗の心地良さが喜悦にもなる。
何の規制も無い社会には、後ろ暗い楽しさが無いはず。
だって私には、「女装の楽しさ」は味わえない。
やりたいことを阻害されて反抗するのは、楽しみの一つだけれど。
私が大嫌いな可愛らしい服装をする苦労を、誰が評価してくれるんだ。
そして誰が、私の否定するものを否定してくれるんだ。

きっと何時か、誰が何を着ても自由な社会になったとしても。
それでも、「隠れて」何かの装いを楽しむ人がいるだろう。
隠すこと、怯えること、背徳の快感は忘れ得ない。

だからこそ、今のこの時代になっても「女装」を遠ざける神経は嫌い。
もっと暗いものが成り変ってもいいはずなのに。
行き着いた社会を見る為に、世代交代を望みたい。
もう、原始的なタブーなんてものは絶滅の危機にあるんだから。
金銭の絡まない、尊敬と背理が一体になった禁止事項は少ない。
少なくなって、この次に現れるタブーは何だろう。
家族、生命、人格、人権、種族、繁殖。
ヒトの社会の迷走が楽しい。
 

2008/08/20(水) 視覚の逃亡
<好きなんて言葉が 使えるものか試せばいい>

この一月で、サイトのカウンターが動いたのは数回。
そろそろ真剣に、休止を考えるべきかな。
日記を見ていてくれている人が一人でもいると思いたい。
目を離されると段々に、提示する気力が萎えてしまう。
そもそもその為に四人でやっているのだけど。
自己顕示欲と言うよりも、ただの逃亡癖かもと。
人が見ていないところには自分もいなくていい。
見られなくなったら途端に脱走。
それで結局、どこに行くんだろう。
一人になったら死ぬ様な生き物のくせに。

capusuleの新しい曲がCMで流れてるらしいですね。
メンバーにヤスタカ曲を布教されて以来好きです。
明る過ぎて時々死にたくはなりますが。
これも大好き。
http://www.odemusic.jp/label/childs_fantastic_moment.php
 

2008/08/19(火) 音声と演技
17日、Giアスとooのイベントに行って来ました。
友達に誘って貰ったものを断る気はない。
一緒にいてくれるだけで浮かれられる。
人の熱気、音の振動も大好き。
ただ、金銭的には苦しくなるけれど。

声優に関しては、好きでも嫌いでもない。
それらを好む人を好いているだけで。
そもそも御大以外の声にはなかなか気付けない。
聞き分けが出来ていないのは耳が悪いのかもしれない。
人間に対する執着が薄いのが主な原因だろうか。

人の声の質量が好き。
演技にも感情を動かされました。
自分では実際の感情さえ上手く表せないからこそ特に。
あの人達はとてつもない消耗をするんじゃないだろうか。
声だけで多くの人に分かり易い様な演技をするなんて。

作品その物に関しては、言えることが少ない。
楽しいとは思うけれど、苦手な部分も多い。
「正しさ」の存在を全く信じていないので。
愛や正義を賛美するなら、完全な許容も愛の一つに分類したい。
今の状態が最善であると信じれば、歪んでいるとは口に出せない。
好きでないものを否定する気も、大衆の意見を正とする気もない。
どんな酷なことも、これで正しいのかもしれないと考えてみることが私の道理。
ただ、葛藤と苦悩の残酷さを美しいとも思うので、その部分は好き。
足掻く人間、動く人間、何かを破壊したり変えたりしようとするのは綺麗。
静物も好きだけれど、動きは刺激的だ。
ただ眺めるのには丁度良い。

どうせ愛着と執着が捻れて絡まっている私には、正しい愛好は不可能。
ただ、ヒトは好き。
貴重な体験でした。
 

2008/08/18(月) 夜間遊歩
青螢石入水晶を買い逃してしまったけれど、強蛍光螢石を買うべきか。

真夜中に散歩がしたい気温です。
昨夜からの雨のせいで、温度や湿度が心地良い。

虫の声や風、街灯や蛾の羽ばたき、遠くのざわめきと家庭の音。
眠った気配と蠢く気配。
道路沿いは音が大きく明る過ぎるので少し気に入らない。
それが欲しい時もあるけれど。
マンションの明かりは嫌い。
人が眠りに就く時、その家もまた明かりを控えるべきです。
暗くない夜など無粋の極み。
都会だからこその薄暗闇を求めているのに。

ヒトは皆結局は死にたいのだと思っています。
生きたいと思うのと同じ様に。
生物としての体が生存を切望しているから、それで丁度良いのかもしれない。
この脳は死のことを考え過ぎている。

そろそろ見に行かねば。
〜8月24日
「金魚たちの見る夢は 4」
http://home.t04.itscom.net/romankan/kingyo8/kingyo08-top.html
 

2008/08/17(日) 結晶愛好
透明で純度の高い物が欲しい。
単純と純粋に憧れる。

■ラジオドラマ「天体議会」(1997年放送)が11年の歳月を経て、このたび再放送決定!
9月8日〜12日まで。毎晩22:45〜23:00までの15分ずつ、5回連続放送。NHKFM 青春アドベンチャーにて。

■長野まゆみ短編「衣がえ」朗読決定!
9月5日23:40〜23:55 TBSラジオ「ラジオブックス」にて。 「衣がえ」は、「小説現代」掲載後、単行本『こどものころにみた夢』(12名の作家で構成/講談社刊)収録の作品です。お聴き逃しなく!※この朗読は、音声コンテンツとしてネット配信予定とのこと。

http://www.mimineko.co.jp/home/

「きらら舎」様でも「銀河標本室」が開始。
http://kirara-sha.com/index.html
蠍の目玉や双子星も欲しかった。
 

8月絵日記の続き


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