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2008/08/31(日)
眠りの準備に
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夏の終わり。
つい、夏「休み」の、と書きたくなる。
植芝○一の漫画にある。 夏休みの最後の日の、不安を語る場面が。 あれは母性の庇護から他の対象への移行なのかと思った。 けれど実際、母性にまた還元していくのだけれど。
独立の不安。 分離不安というやつで。 自分が自分であることを自覚するのはひどく怖い。 それは終わりを意識することだから。 終りが一生の終りでも、一日の終りでも関係ない。 マクロとミクロの入れ子構造は、もはや思想の当たり前の帰結。
夏休みの終わりは、不安を通り越して切ない。 もう、休みの後にも生活が続くことを知っているから。 やがて次の夏休みが訪れることを知っているから。 自分がやがて死に、誰かが次を生きることを知っているから。 それを喜ぶにはまだ自分は、個体としての機能に優しく厳格に拘束されているのだけれど。
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