|
2008/06/16(月)
環境
|
|
|
集会中らしき猫達。
環境で狂う人もいる。 素質で狂う人もいる。 それは特定してはいけない要因。 「素質」という言葉の持つ危険の要素。
昼のドラマを見ていた。 ‘同性愛を引き起こす遺伝子’が出ていた。 勿論、それを‘治療’する薬の可能性も。 ドラマではあるけれど、恐ろしい話。
例えば、「鬱」、ないし「ウツ」。 治す薬が出来たことは、後々災厄を引き起こす可能性もある。
「治そう」とする意思は恐ろしい。 特徴かもしれない一つの事実を間違いと定義する強制の意思。 遺伝子は、その点において最大の恐怖を齎す発見だと思う。
既に‘老化という病気’を治す科学が発達を見せている。 ‘黒人という病気’を治そうとする人も出るかもしれない。 肌の色が病気と見做され、治療をされる世界はどんなだろう。 世の中に、恐ろしいことは、多い。
これも一つの意見だけれど。 「人を殺したがる病気」の人は決していなくならないと思う。 「それを防げない病気」の社会も正すのは難しいだろう。 「劇場型と呼ぶそれを、劇の様に扱う病気」のメディアぐらいはどうにかならないものだろうか。 観客がいなくなれば劇場は消える。 ネットというツールが孤独感を強める事など、誰でも予想出来た。
|
|
|
|