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2008/05/02(金)
蔓延
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痛みというのは、分かり易い感覚であると思う。 刺激が足りなくなると痛みを求める人がいるのも、分かり易いからだと思っている。 それはグロテスクな視覚の刺激や、エロティシズムでも同じこと。
立体作品をもう一つ作ろうと話していて、以前の作品の話になった。 〔SKIN〕は白い表面に縫い目と、鱗の様な網目がある。 赤っぽい変色や金属がグロテスクに見える。 でも、作り始めた本人はグロテスクだなんて思っていない。 彼女にとって、それは「植物的」な表現なのだそうだ。 その感覚は間違っていると思うけれど、稀有なことだと思う。 むしろ、簡単な刺激としては一体何を求めるのかが気になる。
彼女はクリーチャーを書くことがある。 骨と肉の混じって微妙に崩れたそれを、正直に言えばなかなかに気色が悪いと思う。 でも、それらのスケッチを見せてもらった時に、裏に走り書きが有った。 肉親を意味するような言葉だった。 本人に聞いたら、曖昧に誤魔化された。 もしかしたら、全ての人をそういう風に見ているのかもしれないと思う。 自分の姿がこうグロテスクに見られているのかと思うと、背筋がぞくりとする。 それは少し、タナトスへの好奇心に似ている。
平和の中に刺激が無いと思っている人は、きっと人生が楽しくないだろう。 実際には日常の中にも、怪我をするほど鋭くて優しい、怖い事象が満ちているのに。
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