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2008/12/27(土)
生死
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「私が死んでも泣いてくれなさそうだよね」と友達に言われる。 どうだろう、正直、分からない。
友達と会えなくなるのは寂しい。 話が出来なくなるなんて切実に嫌なことだ。 愛着のある形が予期せず望まない形で失われるのも実に悲しい。
でも、友達がいなくなるのは悲しいけれど、ヒトが死ぬのは悲しくない。 皆、死ぬ。 死ぬことは悪いことじゃない、悲しいことじゃない。 ヒトの個体が減るのは歓迎すべき事態だ。
祖父は植物状態で死んだ。 悲しくはあったが、苦しくはなかった。 本当に植物の最後の様に受け容れ易いと感じた。 彼が彼の人生と生命を全うしたことに、何の悲しみも無い。 誇るべき喜ばしい事実だ。
いつでも死にそうな友達がいる。 本人が「いつ死んでも幸福な一生だ」と述べている。 祖父と同じく全うされた人生を送ることを心から信じている。 それでも、私はその友達が死んだら悲しい。 泣くと思う。 それでもきっと、嬉しいと思う。 嬉しいと、悲しい時もよりももっと泣くような気がする。
自分以外が死ぬというのは、自然過ぎて逆に不思議だ。 雲や生物が美しいのに似ている。 よく分からなくて、分からないことがとにかく、胸に迫る。 最近、人間を見ていてふと泣きたくなってしまうことがある。 歳をとったのかと思っていたけれど、そうではないのかも。 自分が落ち着いてヒトという生物をただの動物として見られるようになったから、その美しさを見ることが出来るようになったのかもしれない。 死もきっと表現は「美しい」でいいのだろうな。 生命なんだから、その言葉でも、正しいはずだ。
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