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2008/11/02(日)
欠損愛好
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先日、TVドラマのCSI/NYを見ていたらapotemnophiliaが。 数学のapotemは正多角形の辺心距離のことらしいのだが。 つまりは、Acrotomophiliaとは違い、自分の手足を切断したい性的指向。 ドラマとは違い、実際には指を切断したがる人はほとんどいないらしい。 私も、太い部分で無くなる方が燃える。 自分で切ってみるなら、指だけれど。 それも足の指がいい。 見てもそれと分からないのは、残念だし、楽しいから手の指と迷う。
性的倒錯は奥が深い。 好きなテーマだけれど、探求するのには罪悪感がある。 人が悩むものを好奇心の対象にすること自体は気にしていない。 何に対して悩むかなんて、何を趣味にするのかと同じ自由なのだし。 ただ、自分自身の問題で。 自分が性的倒錯を装った、ただの変態であることがどことなく申し訳ない。 この場合の変態には(蔑称)を付けるべき。 ただ歪んでいるだけ、ただ足りていないだけ。 先進国の歪みをコンプレックスと合成。
アポテムノフィリアを自己否定や自傷と同じものだとは思わない。 生まれついての同性愛や幼児性愛と同じだと思う。 けれど、自己否定としての切断の方にも共感出来る。 自分自身は何をしていても許容出来ない。 他人ならば、何をしていても許容出来る。 その感覚に近いような。 損なわれたり、距離が有ったりしないと許せない性質が存在する。 自己否定は生命活動と同じぐらいに病的だ。
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