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2008/11/19(水)
死に場所
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自分の体重を計ってみたら、減っていた。 言えば心配されると分かっているから、黙っている。 世の中の女の子にとって「痩せたい」という話題はコミュニケーションのテンプレートだと聞いた時、自分はその仲間ではないのだなと実感したのを覚えている。
私は、医療施設や薬品や医師や周囲の介助が無くなれば、生きていけない。 けれど今は、身体的に欠けた状態で生まれてきたことを特に悩まない。 自分の人生には感謝しているし、諦めている部分もある。 諦めた上で、諦められる自分にも感謝している。 こうやって不満さえ上手く話題に出来ないので、同世代の人々とは会話が上手く行えない。 異物であることを申し訳なく思うばかりで。
今の時代には少ないことのだろうか。 父母は、私を嫁がせる先を具体的に検討している。 体を動かし働いて生きていくことの難しい私には、それに反発する様な余地がない。 私と結婚することになる人は大変だろうと、想像する。 どんな得が有れば、こんな厄介な人間を引き取ることが出来るのか。 生涯に渡って押し付けられる荷物なのに。
老人介護の問題が、ひどく身近だ。 思うように動けないこと、歩けなくなる恐怖、感覚が鈍くなっていく弊害、薬代に医療費、人に世話をしてもらうということ。 どれも私の人生から消えたことが無い問題ばかり。 死んで楽になりたいという考えはひどく健康的だと、私は思っている。 苦痛から逃げる気力が有る内は、まだ人間でいられるような気がする。 人に迷惑をかけない死が難しい、現代でさえなければ。
写真はデザフェス。 赤色メトロ様のお人形。
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