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2007/04/12(木)
肉と命
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動物虐待のニュースを聞くと、犯人を物理的に排除したくなります。 動物は好きだし、何より自分と違う感性を持った人間は危険だからです。 身の危険が無い時に危害を加えられるという特性は、危険。
動物に対する「好き」は少し寂しい好意です。 イメージとしては、平らで、近い。 名前を付けて飼ってしまえば、高低が付くのですが。
鶏も牛も豚も好きだけど食べている。 犬も猫も好きだけど必要があれば食べられるだろう。 ヒトも好きですが皆が食べていれば戸惑い無く食卓に並べます。 非難されても当然の意見ですが。 でも、所詮は好きとか嫌いは主観的でエゴイスティックな問題ですから。
「人間」は食べたくないし、「ペット」も嫌です。 でも、牛が好きでも肉屋で売っている肉は牛でなく肉なのです。
日本では、外国で一年に殺処分される数に該当する犬猫が一日で焼却されている。 ガス殺されるのが苦しくないというのも、嘘。 動物実験もまだまだ有る。 毛皮は生きている動物から剥がれて使われている。
悲しいと思うのは、甘えではないかと。 どうにもしないのなら、嘆くのは偽善ではないかと。 そう思いながら、ただ現実として、ヒトがどういうものなのかを受け止めたいのです。
私はヒトが好きですが、人間と違って殺したり食べたりすることが出来そうです。 それがヒトとしての私にとっては自然に有るべき姿のようなので。
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