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2007/03/28(水)
影響
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自分が自分であると言う事は、難しいことだと思います。
生活していく上で、様々な情報を得ます。 読んだり聞いたり見たり話したり。 その全てが蓄積してランダムに組み合わさり、私という個性になる。 だから、そもそも個性と言うのは変化していくものなのでしょうね。 でも、自分が自分であることを保ちたいとも思う。 それは、死にたくないと思うのと同じ様にもう本能のレベルで。 けれど現実には、よく影響を受けて変化する自分に戸惑うことがあります。 流されているのでは?これは人の考えなのでは?と不安になる。
人と何かを共有するのは幸せなことです。 でも、その幸せは自分自身の孤独が有ってこそ。 だからこそ、確固たる芯を持ちたいとも思っているのです。 そこに縋れば、流されなくてもすむのではないかと。 けれど各種の情報が手に入り、それを共有出来る現状。 小話一つ書くにしても、一から考えるよりもパロディの方が簡単です。 設定と世界観を借用出来て、それを自己解釈出来て。 同じ作品を好きな人は見に来てくれるし、その感覚を共有出来る。 勝手に改造出来る世界は理想系ですね。 その手のものが現実逃避と呼ばれるのは、それ故だと思います。 なかなか自由にならないのが現実だと、私達は当たり前に考えているので。
でも、共有出来る情報は個性を希釈する様な危機感もあります。 何人もの、多くの人で、同じ情報を共有する。 語り合い、解釈し合い、同化していく。 一体感は素晴らしい上に、外れても阻害は受け難い。 こんなに楽しいことはないですね。
でも、私は自分に対してひどい不信感があるので。 共有すれば共有するほど、自己感が薄くなっていく気がする。 何を創作しても、人の物真似の様に見える。 何を思考しても、誰かの影響を受けている気がする。 それを悪いとは思わないけれど、でも、怖ろしい。 一人になった時、何も残らなくなるのではと思う。
考えても、無駄なことでは有りますが。 自由な現状の中でこそ、付加される拘束もあると思うのです。 特に、思考においては。
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