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2006/09/08(金)
滑走
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例えば、駅が汚れているので掃除したい。 それは良い事だけれど。 でも駅前と自分の部屋だったらどちらを先に掃除すべきなんだろうとか。
例えば、電気も水も節約して環境に貢献しようと思ったらそれは偉い。 失ったら生きていけない資源を損ない続けていることに気付くことだから。 けれど、例えばそれは個人でやっていても偉いのだろうか? 多くに広めてこそ初めて意味があるのではないだろうか? もし日本中が賛同してくれたとしても、それだけですむだろうか。 中国や韓国やインドやロシアやアメリカやマレーシアや、他の国々は? それらの国々にも協力を求めるのは難しいだろう。
まず、言葉が違うという大きな壁がある。 まだマシであろう英語であっても、どこで公表したらいいのだ? 公表しても理解して賛同してもらうのはひどく難しい。
ましてや、環境汚染を広げる工業であったとしよう。 それでも、そこに生活がかかっている人々に何と言うのだ? 家族の命を捨てて何十年後かの環境に貢献してくれと言えるか?
自分が死んだ後のことなどどうでもいいと言う人だって多いはずだ。 それで滅びるなら人類はそれまでの生物だっただけだと言う人もいるだろう。
じゃあ、何をすべきなんだ? こんなに目の前に幾度も色々な問題が上げられて、啓蒙を示唆される。 あれが問題だ、これが難題だ。 解決しなければこうなる、それは不幸でしかない。
分かった、それはもうよく分かった。 私は焦っているし危機感を持っているし切実に改善の必要性を感じている。
だから、何をすればいいんだ? どうしろというんだ? 何も出来ないままであとたった数十年の命を終えればいいのか? それは愚かではないのか? 何が悪くて誰が問題なんだ?
世の中には分からない事が多すぎます。 よのなかにはわからないことがおおすぎます。
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