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2006/10/21(土)
性死
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狂った事を書いてもいい、むしろ吐き出せと言われました。 吐き出したって楽しいだけで無くなりはしないのです。
死を肯定する言葉に対して心配をされます。 けれど私にとってそれは性と生に一体化したもので、むしろ健康的な感情。 今生きる私は死ぬからこそ生きている。 死なぬ生物は生きなくてはいいのではないか。 だから植物は‘死’なず、個性よりも動力よりも繁茂を選んだのです。 「菊」は何輪枯れようと、咲いている限りいつでも「菊」です。 それが種として続く生物の本質。 ヒトだとて同じこと、私は無数の「ヒト」の一部であるのです。 私が死ぬことは私にとってだけの重大事。 一番身近な人だって、私が死ぬことで一緒に死んだりはしないのです。
悲しいとでも寂しいとでも思いはします。 けれど、忌避はしないしむしろ愛する。 だから愛でたいと思うのが死です。 あと、ストイックという評価を頂くことがしばしば有ります。 それは誤解です。 私はタナトフィリアとしては大変強欲な方に属しますので。
予定に追加 http://diary3.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/natutatism/?Y=2006&M=10&D=12
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