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2009/01/25(日)
自我の外殻
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義手や義足は好きだ。 でも必要も無いのに、自分の体を切ってまでは付けたいと思わない。
自分の体は、道具でパートナーのように思っている。 精神や魂と呼ばれる様な、言わば自我としての情報の入れ物。 生まれた時から「自我」と一緒にいて、互いに連結している「肉体」。 影響を及ぼし合い、強制したり、助け合ったりしている。
昔はファンタジックな唯一無二のパートナーに憧れた時期もあった。 それは運命の相手に憧れるのと方向のもので。 けれど今は自分が一人であることにも感謝している。 ただ、いつまでも付いて来るであろう体は少なくとも私だけのパートナーだ。 それでいてきちんと道具と割り切っておくべきだと思っている。 騎士と馬とか、武士と刀とか、鎧熊と鎧とか… 育て守られ、時には部分的に手放すことがあるかもしれない物。 指導し感謝し共に歩むのが良いことなのだと考える。
ダイエットしようなんて思ったことはないけれど、筋肉は欲しいし体力も欲しい。 私が私として効率良く動く為のメンテナンスは重要だ。 この道具を、磨き上げるつもりはそんなに無い。 ただ便利で使い易い状態を保つ為に、手入れをする。 人が自分の道具を観賞用にするのには、そんなに文句も持たないが。
十代での整形手術が増えているそうだ。 特に一重瞼を二重にしたり、鼻を高くしたりといった美容整形。 自分の形が気に入らないのなんて、十代は当たり前ではないのか。 育ちきらず、これからの変化も分からない状態で弄ってしまって大丈夫なのか。 親に与えられた体を傷付けるのは良くないなんて、そんなに思わない。 けれど、内面も外面もこれから変わる子供の必要不可欠ではない手術を、親が認めるのはどうなのか。
形よりも成長を優先してくれ。 健やかに完成するのは、意外にも難しいことだというのに。 もっと体がこの形で生まれてくる意味を考えるべきでは。 唯一無二のものなんて、手を入れてしまえば失われるのだし。 多少気に入らなくても上手くやっていくことは可能だし、時間が経てば愛着も湧く。 本来離れられないはずの嫌な物を排除してもらうことを、幼い内に学ぶべきではないよ。
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