来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2019/07/20(土) 明日の選挙
 私の投票所は小赤沢まで行かなければならない。20分もかかってしまう遠さだ、対岸の和山の投票所で出来ないかと問うとそれは出来ませんと役場は答えた。そういうことなのだろう。今度総務省へでも聞いてみよう。何かあるのじゃないかと聞いてみよう。それと選挙公報も届いていない。何か軽く扱われているなと感じたから明日の投票は止め〜た と思ったのだが今の政府にも飽きたし、隣国との喧嘩に首を突っ込むのもやだから投票には行って来るかと思った。
 でも隣の国のいい分だって全く分からない訳ではないけれどあの彫刻はどうにかならないものかね。もう少し何というか芸術性があってもいいのじゃないかな。あれじゃ情けないと感じないところが隣国の限界なのかな〜。言っていることは分からない訳でもないのに…
 切明の雄川閣が今日から営業を始めたようだ。努力して良い商売をしてもらって、皆さんもお風呂に入ったりして賑やかしくなったら上々なのだ。

2019/07/19(金) 血圧にはアルコールは良くないようだ僕には
 術後はお酒は飲まないようにと指示があった。それでもここに居ると缶ビールひとつなら良いだろうと続けている。風呂に入った後に栓を抜いてちょっと飲んでいる。習慣なので美味しいとかいうのではない。ただ缶を取り出して飲むだけだ。
 入院中の血圧や体温測定をこのところ朝に行っているのだけれど140はあった血圧がグンと下がって125ほどになった。体温も35℃少しなのだ。いやに健康的じゃないかと思う。これは酒を缶ビール一本にしたことに由来するのかは分からないが酒の飲み過ぎが体に良くないということはわかった。でもやめる気はない。良いお客さんでも来て、話が弾んだ時は一献また一献と重ねるのだが癖になって飲み続けることは美味しい酒を飲んでいるということではないとわかった。80までにホップ、ステップ、ジャンプであっちに行こうと決めている割には何だか長生きに執着しているように思われる人もいるだろうけれど私はそう思ってはいない。ぐずぐずと酒もたばこも続けるのは、それこそほっホップ、ステップ、ジャンプ作戦の遂行にそぐわない。自分の意志をコントロール出来てこそ80歳になった私の作戦の完遂を支えられると思っている。いや、その時になったらまた違ったって構やしないが私の人生を私の自主で完成させなければならない。何としても90歳までは生きてはいけないと思うのだから。
 池の脇にトンボが止まっていてオスだかメスだか分からないが飛んでくると尾をピンと振りあげていた。交尾の時期なのだろう。これからの命の連続のための姿で、私の作戦とは真逆だ。

2019/07/17(水) 術後は順調のようだ!
 「それでは行ってきます」「気を付けて行ってらっしゃい。索道で行くのですか?」それに答えて頷いて右岸に渡った。お客は堰堤の上を行く私に万歳の手で見送った。どっちがお客か分からないこの宿のよくある景色である。
 津南の病院へは8時半に行かなければならない。術後の検査である。だからはっきりしない眼を信じないで時間をかけて町まで下った。状況は悪くないのだろう、医者は薬を忘れないでと言うだけで何も言わなかった。それは順調ということになる。また来週の検査まで日に4回の目薬を忘れないようにする。結構面倒なのだ、目薬。
 病院を出るとまだ9時を回ったころだった。村ちゃんと会って頼まれ文章の相談をして急に暑くなった津南の用事を済ませて急いで帰りついた。まだ1時前だった。
 他人から聞いた話なので真偽は分からないがこの20日から雄川閣は営業を始めること。一泊は1万5千円になるということ。日帰り入浴は6百円だと聞いた。ひとつこの辺りにお出でになった際はお風呂にでも入ってもらいたいものだ。のよさの風呂は土日だけのようだし、切明は鈴木牧之が北越雪譜や秋山紀行に書いた温泉である。秋山郷にとっては何と言っても歴史の湯であるのだから。
 ところで八月三日の法事は四日の間違いで二日から五日の夕方まで私は不在になる。ちょっと困ったことも出来したがどうにかしよう。
 帰り道、中の平の道脇にある石仏に頭を下げて来た。個性のある良い顔をした小さい石仏だ。通ったら寄ってみればよい。見倉のトンネルを抜けて小屋を過ぎた右にそれはある。

2019/07/16(火) 必死に元気で笑って暮らす
 日が暮れて雨が降りだし、止んでからまた降りだした。昼に電話をよこしたお客さんがやって来たのは7時の少し前だった。
 早く起きてしまって今日の分のペットボトルを捨てに出て、収集が終わったころに明日の分の燃えるごみを捨てた。一度に二回分の仕事をしたことになる。どうだ偉いだろう。その帰りに久し振りに湯に寄って来た。女将さんはそれでもこのところ落ち着いているようでアサとチュウの犬たちもそれなりに元気そうだった。医者に止められているのでお風呂には入らなかったが本当はここの温泉には浸かってみたいと、この辺りの一番の温泉なんだから。
 見学の人も立ち寄って何となく気ぜわしかった。聞くところによると切明の雄川閣の営業が20日から始まるという。秋山郷の最奥の温泉なのだからやってもらわなければいけない温泉なのだ。この先には志賀に抜けていい温泉はいくらでもあるとしてもここのお風呂はここで大切なのだ。そして始めたからにはやり抜くのが商売というものである。大変だろうが辛かろうがもっきりやと同じように泣きながらでもやり抜くのだ。と、私は思う。
 変なカメムシが見つかった。これは臭くはない、カメムシもいろいろだ。空を飛ぶトビも子育てで疲れたのか尾羽打ち枯らしてでも飛び続ける。生きるということはそういうことだ。儲かる儲からないということではない。生きるということなのだ。

2019/07/15(月) 私は決めた
 今朝のことだが用を足してふと便器を見ると汚れが見える。それくらい明るくなったのだ。見えたのだからきれいにするかと膝をついて水を流しながらブラッシを使う。終わりかけた時だが一滴の半分、いやもっと少なかったかちょっと水が目に入った。ありゃーと直ぐに目薬を差した。そのあと玄関前の階段を被う雑草が危ないと思って鎌を持って草を刈った。その時もちょっと目がごろっとなった。
 ここに居てひとりでのんきにしていたとしても何かしら身体を動かさなければならない。そうしないと暮らせないのだから。術後の養生は気にかけている。看護婦は注意点を細かく伝え、目薬の差し方にもうるさい。もちろん私もそれを遵守するのだけれど完璧には出来ないし、守らなければ死んでしまうということでもあるまい。目に入ったごくわずかな水やちょっとしたゴミは私をすり抜けて入ってきてしまう。防いでいてもである。私はこう決めた。注意深く処して大胆に生きるべきだと。あれがいけないこうしてはダメだ、ちゃんと時間を守れと云うことは分かるが生身の人間でやりたくてやるわけではない。やってしまった後のことをはっきり自覚してやれることはやろうということにした。タイマーや目薬を持ち歩き目に入らないように閉ざしてペットボトルの水で目の周りを洗い柔らかいガーゼやメガネなんかで目を被う。それでもいけないというのならもう一度入院でもするしかなかろう。良いのだそれでよいのだと私は決めた。

2019/07/14(日) 目に負担のない仕事とは
 汚れが良く分かる。見え過ぎでとても気になるので冷蔵庫やら床、便器に向かってひざまずいてゴシゴシと磨いてみた。これからは掃除が忙しくなる。汗をかくような仕事はいけないと言われたことだしひと月は掃除と看板書きでもして過ごすことにします。
 太田の先生がいるうちに土砂で埋まった側溝を掘ったり、重機の駆動部分のグリースを差しておいた。霧雨が降って来たけれどやりだしてしまった以上はやり終えるまで続けるものだろう。それでも幸い降りは強くはならず2時間で終える。汗はかかないのだが木を切ったりスコップを使うと木くずやら汚水が飛んでくる。結局何も出来ない。それでも映画ばかりと言う訳にもいかずに良い仕事を作ろうと頭をひねっている。

2019/07/13(土) 入院は終わりました。明るくなりました
 まだ完治と言う訳には行かないもののやるべき手術は終わったのです。病院には多くのご老人たちが横たわっていて、若い人もいましたが皆さんナースの当意即妙な対応に助けられておりました。私はというとそこでは70歳という中途半端な老人でありましてほとんど自力でこなせるのです。若いご婦人に介護を受けるというときは点滴の注射ぐらいで一抹の寂しさもあるのですが、そこは百戦錬磨の職業婦人、ちょっとしたほほえみで私を見つめてサッと踵を返すのです。「出来るな!ナース」と口ごもって点滴の流れを目で追いながらFMからブラームス「ドイツレクイエム合唱曲集」を聴いて最後の一日を過ごすわけです。どうも前回肋骨を6本折った時の病院は竜宮城だとばかりに思ったのは錯覚であったと反省をしながらFM放送でもう一度クラシック音楽を聴こうと思えたことが大きな収穫であったのです。それで充分良かった。時には旅や本や入院、映画や演劇に没頭することは新しい自分を見つけると70歳になっても75になったとしても思うのであります。
 病院食の朝食の後だから今日は甘じょっぱい大名カツどんを頂いて落し蓋(ちょっと大きかった、こんど取り替えて来よう)を求めて帰る。チョウはまだ蛹になっていない幼虫もいたり、なれずに死んでいたものもいた。マッチ箱だがそれにウスバサイシンを敷いて棺桶に見立てて今日は通夜でもやってやろう。私の目の身代わりになったのかも、そんなことはないけれども。
 それと8月の2日、3日、4日は法事があるためここにはおりません。眼の状態もあるので余裕を持たせてもらいます。そこのところ宜しく。

2019/07/09(火) 梅雨寒である
 時に強く、雨降る。時に寒いと感じてストーブ付ける。こんな時は愚図って毛布をひっかぶって寝ていたほうが良い。
 来月3日に用事あり。答礼の法事だ。帰りには日が暮れる。果たして漆黒の闇を帰って来れるかと夜中に目が覚めた。両眼の治療は終わっているが車の運転が出来るまでに治癒出来るかと気になる。もっとも難しいと判断すれば湯沢の仮眠所にでも入って夜の開けるのを待つのだけれど術後2〜3か月は眼鏡の準備が出来ないと説明書には書いてある。ちょっと気になる。とすればバスに乗って湯沢から列車ということになるのだけれど、まずは明日か!
 アジサイが色を付けてよい感じになっているように、ひとつ私の視力も良くなっていて欲しいものだ。見玉のお不動さんに願掛けをしておこう。

2019/07/07(日) 目薬をちゃんと差さねばいけない
 今日も気温上がらず、洗濯物乾かず。がちゃ目で塩梅が悪い。気楽に外は歩けない。
 昨日は居間に逃げ出した幼虫が疲れたのかへたっていた。蛹部屋に戻しておいた。今日は巣箱のなかはし〜んと静かなものだった。
 日に4回3種類の目薬を差す。就寝時には瞳孔を開くものも入れて4種類。首からタイマーをぶら下げて5分置きの投薬に忙しい。早く右目の処置を終えたいと切に思う。
 今日は七夕か!

2019/07/06(土) 病院を出て、外泊1日目
 病院の周りもそんなに温度が上がらない。室内には冷房が入っていて掛布団を引っ張て横になっていた。昼になって太田の先生が迎えに来てくれた。
 外に出て歩いてみると右目の霞が気になってそろりそろりと歩くばかりだった。当然ひとりでは帰れなかった。少し慣れたところで昼を食べて買い物をして帰る。福一さんはそろそろ帰る時間だと道端に車を置いて待っていてくれた。手術をした左目は明るくなった。まだ慣れていないせいか遠くはピントが合わないようだ。この10日の手術を待って時間薬で慣れるしかないだろう。気になるところだ。
 帰ると幼虫は3分の1を残して蛹になっていた。残りの幼虫はそれこそ明日には蛹になると思う。ただ私の目が半ちくなせいで上手くあつかえなくなっているが彼らの生きる力を信じるしかない。今年の飼育は終わった。
 目は写真のように半分が見えない。医者は私の右目はちょっと面倒だといった。なに、やってみなければ分からないだろう。寝たり起きたりして10日を待つ。病院に帰ったら同室の方が揃って迎えてくれるといいなと思っている。

7月絵日記の続き


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