来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2019/07/30(火) 草も刈りたいけれど8月まで待つ
 梅雨は明けたようだ。カッと暑くなるのかと思ったが蒸し暑いだけだ。
 久しぶりにお客さんが来て、苗場山に向かうと言う。明日も4時起きになる。おまけに昼用の弁当作りもあったちょっと忙しくなる。4人の高齢の登山者だ。とにかく雨の時期も終わったようなので登山には良い日になるだろう。彼らの話を聞いていると昼には下山に向かうと話している。大丈夫だろう。
 今日は蛹になれないまま死んだチョウの幼虫の葬式を出してやった。変な感じだけれど火にくべるのが一番手っ取り早い。代わりに甲虫のメスが飛び込んで来た。これは写真を撮って外に放した。
 郵便を取りに出てもっきりや道に新たな標識を見た。中津川で行われている関係者の報告文だった。
 それでは明日が早いからもう寝ましょう。

2019/07/29(月) 看板を取り付ける
 酒を飲まないせいかこのところ血圧は低いようだ。130台なら健康そのものなのだろう。
 二度寝で7時を時計は差していた。少しパソコンに向かっていて2時になったので看板を取り付けに出る。すわりの旦那へ寄って見るとハチが2回の軒に巣を作っていてそれを退治するという。カッパを着て防御を固めるので汗のかかない夕方の仕事だという。看板の設置を終えて帰って来ると道脇に止めた車の中で旦那は「国定忠治」を読んでいた。ここの忠治も少し歳を取ったようだ。

2019/07/28(日) 雨降って、夏来るか
 日が落ちて長野北部は大雨警報が出た。レベルは3だそうだ。
 終日ぼやぼやと降っていた。釣りのお客は昨夕この前で3尾釣ったという。でも今日はダメだ。上流で降ったのだろう大水になっていた。6時頃にお客は連れだってお帰りになった。朝ごはんはいらないということで、私は寝ていた。
 ひと休みして、昨日の仕事の片づけをして看板の足を付けた。古い看板を薄め液できれいにしてさて何と書くかと思いながら時計を見ると5時を回っていた。明日は看板を持って出て、ひとつを栃川の分岐へ もうひとつは林道から川西道の分岐に立てて来よう。足を付けていて親指を打って血マメを作った。今日の仕事の勲章だ。
蜻蛉がおとなしく止って動かない。

2019/07/27(土) ペンキ塗りは汚れるし、疲れる
 佐武流からのお客さんは5時に朝食を食べて鳥甲山へと向かった。おかげで私は4時起きとなった。ここでは早いお客さんにでも朝食を出すことにしている。それで出発してくれればもう一度寝ることも出来る。けれど眠れるものではない。
 早起きしたので早く作業が出来た。台風の余波はないのだけれど時に風が吹く。暑さもそんなにではない。蚊も飛ばないので続きを始める。雪囲い板の塗装だ。余った屋根用のペンキでしっかりと19枚、支柱の柱も塗った。昼に時々ぱらっと来たがすぐ止む。それでも降り始める前に予定を終えるべく努力した。4時近くなって釣り客が来て仕事も予定を終える。川を渡って風呂に向かったお客さんが帰ってくる前にとレトルトカレーとカップ麺で遅い昼飯になった。彼らは夕間詰に竿を出すというので再び出て行く。夕食の準備も終えたので日記なんかを書いてみた。

2019/07/26(金) ペンキづいているな
 梅雨は明けたのかと思うほどに蒸していた。佐武流へ上ったというお客の言うにはとにかく暑く、熱中症にかかったのかと思うくらいだという。明日は鳥甲山へ上るという彼は盛んに天気予報をのぞき込む。
 台風が過ぎればここでも梅雨は明けると思う。途端に真夏ではちょっと苦しいが夏だからそんなものかと受け入れることにしよう。
 日差しがあるうちにと灯油タンクの雪囲いのペンキ塗りを始める。段取りに時間がかかるが緑の枠のところは塗り終えた。明日、お客が5時に食事をするというので彼が山へ向かった後で囲い板を塗ってみよう。見た目だけだけれどきれいになりそうだ。それと索道の「山房下」駅の踏み板も塗ってから取り替えようと思っている。何かやっていないと身が持たないが、汗が目に入ってしまう。

2019/07/25(木) 看板はとにかく一応書いてしまった
 夏の景色には程遠いが今日は晴れた。草刈でもと思うのだがも、まだやめておこう。それで今日は看板を作ってみた。昨日の予約は来ないというので良い塩梅。
 看板書きは大変なのだ。準備をしながらあれもない、これもないと苛立つ。黒のペイントが無いこと、細い筆が無いこと、目が利かないこと、デザイン感覚がないこと、文字が下手なこと。つまり面倒なことは止めて寝ていたら!ということなのだ。お酒でも飲めるのならや〜めた、と思うところだが汗もダメで仕事も出来ないのだから下手なりに、下手うまだと書き始める。気温が上がらずペンキの乾きが遅く、9時までのダラダラ仕事になった。筆の代わりに竹串をつぶしたり、割り箸を使っての看板だから推して知るべしというところだ。

2019/07/24(水) 今度はひと月後ね
 蒸し暑いけれど空が良い。青空と入道雲。久し振りだ。帰りに雲が崩れて北斎の昇龍を見たように思った。そうだ、今度小布施に出て葛飾北斎最晩年の龍を見て来よう。
 眼科医は実にあっさりとしたもので光を当てレンズで両目をのぞき込んだ。「今度はひと月後に来てね」終わりだ。それは順調と言うことだとさっさと帰って来た。看護師は両目、裸眼で0.6.いいようですよと優しい。お酒は2ヵ月、温泉は1カ月、労働は2ヵ月、薬は日に4回ひと月。なるべく準じるようにしている。ビールは良いだろうひとつ位はと自分で判断する。きっとお酒だって1合を1時間かけてちびりと本でも読みながらならばそれは薬だ。それもこれから自分で決めよう。
 村の役場に用事あり。ついでに最近決まったという介護保険の金額と支払い方を確認して帰る。「足滝」駅に昼に上り下りの列車が森宮野原でのすれ違いでここを通ると思い出して向かうのだけれど1時間早かった。飯山線は千曲川を眺めながら景色が良いのだけれど夏はおとなしい。うとうとしていると直ぐに飯山についてしまう。やはりこの線は冬、1月から4月までが乗りごたえがあるのだけれどここの鉄道会社は降ると直ぐに運休を決めてしまう。根性がないのだ。そりゃ赤字なのはわかるが散々地方路線を切り捨ててなお 残った少しのローカル線の採算をそろばんばかりはじいているのでは見るべき仕事をしているとは思えない。本来、国が敷設した線なのだから存続させるために国と交渉ぐらいしないのかな。もっとも国なんていうのはいい加減でそこから自立したと思っている会社じゃ意見も言わないか。どこかの興行会社とおなじだな。
 私はレールフェチだから列車が来なくてもよいけれど、たまにはあの音も聞きたくなる。1回100円の賽銭箱でも吊るしておいてもらえればな、ちゃんと入れてやる。

2019/07/23(火) 何かしていないと、身が持たない
 来週はお天気マークが続いている。梅雨は明けるのだろうか、暑くなるのだろうかと気をもむ。
 玄関の上がり框に小林大工さんからいただいた踏み板があってケヤキの一本ものだ。それが長い間少し動いて気になっていた。玄関のたたきも大工さんと私で塗ったもので少し凸凹がある。今日は直そうと取り掛かって直した。今のところはピクリともしない。上手なものだ。
 道の看板を作るべく看板板を作っていた。栃川あたりともう一つはどこにするか?文字はへたくそで自信がないけれどもっきりやとは何だという人が多いので「「宿」「GUEST HOUSE」とはっきり書いてやろうということだ。な〜に時間をかけてやってみよう。ただ林道との分岐点に看板が多すぎやしないかと気になっている。
 明日は眼科の検査だ。先日見玉不動にお礼に出たことだし大丈夫だと思っているが、ダメならダメで「駄目」なんだと思うよりしょうがない。先生の本拠地、東京の大学病院までも追いかけて行くしかない。「どうにかしてくださいと!」

2019/07/22(月) 日照りのときも…寒さの夏は…
 長い冷たい梅雨が続く。ここではうすら寒いのですが津南に下りると蒸し暑い。宮沢賢治の詩ではないが「日照りのとき」「寒さの夏」は交互に何回も来たのだろう。ここでも野菜は出来が悪く値段も高く涙を流し、おろおろ歩いたてナスもキュウリもピーマンも選び探さなければならない。賢治の頃は今と比べることも出来ない位に農家も消費者困ったのだろう。
 現代は夏に避暑だと気楽に自然の中へ出て、あそこのスイーツは美味しいここのパンは可愛いと人は話すけれどちょっと気を許すと大雨だ、寒さだと自然の怖さにぶち当たってしまう。自然の大切さを感じながら一陣の風を思っていなければならなくなった。私が生まれた1949年世界の人口は25億で、今は70〜80億へと膨張している。その中で生きる人間はすでに大きなハンデを持って暮らさなければならない。今年のような夏は厳しいけれどこれからの夏のことを考えてごらん。あの頃はまだよい方だったと言わないために私たちはこの自然とこの社会をよ〜く考えなくてはならない。海を渡った先にはわがままの自己中の小統領もいるのだから。もっとも明日になったら前線が抜けていつもの夏がやって来ることもあるだろう。そんなときは太陽に両手をかざして僥倖に感謝するのさ。でも来年、再来年に向かって私たちは努力しなければいけない。もちろん多くは望まないさ、70億分の1の私らしい努力をすればよい。グリーンピースにでも聞いてみたらよいだろうさ…

2019/07/21(日) ドイツ・レクイエムいい感じだ
 18日の白内障総括は間違えて消しました。再度投稿が出来ないので、掲示板に移しました。大した文でもないのですけれど。
 ブラームスのドイツ・レクイエム作品45が届きました。先だって朝に聴く音楽が無いと思っていたところ入院中にFMで聴いたのです。宗教曲なのですが言葉は分からないしそこのところは、さておいてこれがなかなか良いのです。バロックもいいのだけれど何となく聞き飽きているように感じるので、合唱曲を含むこの曲は落ち着きます。バレンボイムの指揮でシカゴ交響楽団&合唱団。でこれが1000円でした。ちょっとうるさいとこもあるけれどボリュームを下げて聞いています。
 何だか聞くところによるとジャニーズ事務所とか吉本興業という会社は個人の意見や会社の規則から逸脱すると直ぐに首を切ったり仕事を干したりするという会社だったのですな。私は今時の若い人が歌う曲や漫才?いやコメディアン?ボードビリアン?まっ どうでもいいけれど、好んで見やしないから構わないのですが今時の興行というのは大正時代的に遅れているのだなと感じました。またそういった興行会社の恫喝にビビってしまうマスコミやテレビといった存在が戦前の軍国時代から1cmも進んでいないのじゃなかろーかと思ってしまうのです。首になったら自分たちで新たな会社を作って活動したらいいやないかと思うのは一般人の世間知らずなのでしょうか。きっと多くの一般人は新たな「吉駄目興行」を応援するとおもうのだがな〜
 でもこの〜事務所とか〜興行とかいう組織のやり用は日本の会社や組織、国自体も含めて当たり前に覆っているのじゃないかな。日本はまだまだ村社会でみんなが喜んでいることに疑問符を投げかけたら総スカンを食らわせちゃうのでしょう。戦前の陸軍じゃあるまいし首を切られたら泣くのでなくて立ち上がって文句を大声で言わなくっちゃと老人は思うのであります…
 今朝、目薬を差すとき立ったままで居たらバランス崩しちゃって後ろにほんと、バタンと倒れちゃった。先長くなし こむら返り てとこだ!

7月絵日記の続き


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