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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2019/06/29(土) 2回目の草刈をやったのだ
 天気が午後から不安定ということで目が覚めた6時頃に女子サッカーを見終えて、起き出して食事もとらずに草刈に出た。7時を少し過ぎていた。ちょっと私らしくない。この時間は布団の中で白河夜船の時間じゃないか!どうも草刈を終えることに気持ちが行き過ぎているようだ。あと1時間もすれば終わると思っていたけれどこれが倍の2時間もかかった。雨は限のように降り続いていた。それでも刈り終えて帰って、風呂を沸かして汚れを落とした。これから朝食で昼飯になってしまった。そうなるとぐずぐずさせてもらってちょっと違った一日を過ごした。
 雨は今夜、今だけれど強まるというが刈った草を洗い流してくれれば上等なのだが!

2019/06/28(金) 結構降ったようだ
 夜半の雨は落ち着いたようで今日は昼前から草を刈る。ところが少しすると雨は強まってしまった。やめるかと思いつつ切りが良いところまではと草を刈って仕舞うことにした。ちょうどお腹がゴロゴロとうなりだしたのもあったが切明のトイレに寄って昨日約束しておいたとろろ昆布と揚げ玉のお汁の具を持って向かう。これは安直でおいしい汁なのである。まずとろろ昆布(な〜に安いもので良い)それに揚げ玉を入れて素を多めに降って醤油で味を調える。ネギのみじん切りでも良いし、ワサビを落しても良い。簡単レシピで十二分に頂ける。気分も変わる。先日はお一人のお客さんにお出しした位だ。な〜においしければよいのだ。
 欅の丸盆を頂いた。お風呂もひと月振りに入れてもらった。何だかエビタイになってしまったようだ。その帰りすわりの福一先生のところに寄って雨のやむのを待ったが雨は降り止まずそろりと帰って来た。林道から開拓の建物まで100m弱残った。何としても明日には終わらせよう。
 この草刈というのはここに来るお客さんの為でもあるが、まずは私の自己満足なのである。誰もほめてはくれなくても甲斐のない作業だとしても私が満ち足りていればよい。そうなのだ。スポーツのようなものなのでとにかくやり終えることが肝心なのだ。だいいち大騒ぎのオリンピックの競技にはならないスポーツということがうれしいじゃないか。NHKのニュースにもならない私ひとりの立派な草刈競技なのだから。

2019/06/27(木) 接触国交省、爆食いのギフチョウ
もっきりや前に砂防工事が進んでいる。昭和30年代の陳情に拠る工事が半世紀過ぎた今行われている。この辺りは温泉の湧出もあって地盤が沈下していてそれを止める工事だそうだ。陳情と決定から50年もかかる仕事なのだが陳情した集落は住む人も少なくなって陳情したことすら忘れているようなのだが国は順番だから工事を進める。予定調和ということだ。その工事に私の土地が引っかかって土地の買い上げだと国が吏員を派遣してきた。すでに交渉は終わっているのだが今日は書類を持って説明と押印ということではるばるやって来た。それが国の買い上げ価格はなんと約一坪700円を下回る。私も70才になってこの先長く生きられないのだし、お国の事業に反対して「蜂巣城」のようなつまらない抵抗はしたくない。「はいはい」と諄々と受け入れる。それで14万円が入金されるというが、私の父が払った土地代は45万円だったのにと一言嫌味を言うも所詮 せん方無し。吏員は法律で動くもので国の組織の雇われ職員に文句を言ってもしょうがない。だって今度の選挙でもたぶん政治は変わらんだろう。
 湯に寄って爆食いを始めたチョウの食草を探してから帰った。時間は3時になったが大雨ではないので草刈をつづけた。ポストには配達員の方が来てくれているようでその上下を刈ってみた。「きれいに刈ってるわ」という声を聞きたいがここまで来てくれる郵便配達員へのささやかな連帯だ。明日も刈れば林道との分岐点までの作業は終わる。後は竜宮城で目の手術だ!

2019/06/26(水) 晴れの間に
 一昨日の夜に聴いたドボルザークのチェロ交響曲。聴いている内に寝てしまった。こういうことが子供だった頃からのクラシック音楽に対する私の実力なのだ。それで昨日の朝はシャンソンを聴いたがこれが良くない。朝に聴く音楽が分からなくなってしまった。するとやはりバロックなのかと思っていた。
 昨日の草刈最中に不意に客現れる。彼の対応を終えて、今朝は保健所の講習でいろいろとお金を支払って授業を聞いて来た。関係各局の下で商売をするということは「イエスサー」といった順々とした姿勢が必要なので、相手もそんなに強く言うわけではないけれど上部団体、政府系の役所への忖度ですべてが収まっているよ湯に感じる。この国のシステムなのだからもう慣れたが何処か違うように感じながら帰って来た。
 さてそれからだが日差しの陰る2時あたりから道の草だ。いい加減にしろと思いながら、それでも毎日草を刈るのである。今日は津南町中子の「もりあおがえる」の旦那が志賀山登山の帰りに寄ってくれた。道にへたり込んでぐずぐずと話をして笑ってから 蚊に追われるようにお帰りになった。
 なんと云うのかここに居てひとりで音楽を聴いていてもその先にある自由や開放や安寧といった感情にたどり着くには、居眠りだとか涙を流すとか幾時間の経験を経ねばならないのだろう。えらそうにクラシックrという前に今夜都はるみをちゃんと聴いてから寝るとしよう。

2019/06/24(月) クラシック曲に驚く
 都はるみも好きだ、竹内マリアにも心が震える。エデット・ピアフもアマリア・ロドリゲスのファドにもひたり込む。ジャズや端唄も大切だ。聞く時間を選んで曲をセットして体を伸ばして音のやって来るのを待つ。
 昨夜は写楽の版画をテレビで見ていた。そのままN響のクラシック曲を聞いていた。曲はベートーベンの第5交響曲だった。あのダダダダーンである。何十年ぶりで聴いた曲で「運命」と名がついていたが昨日のテレビでは第5交響曲としか言わなかった。良い曲だと思っていた。それが2楽章に入った時にな大昔の時間が帰ってきたように感じた。3,4楽章になるとベートーベンにひたるしかなかった。1998年ホルスト.シュタインの振るN響だった。よかった。クラシックに詳しい友人の言うにはヨーロッパでもクラシックは聴衆が減ったようだと。
 都も良い、竹内も泣ける。ピアフもロドリゲスにも揺さぶれる。それでもクラシックの段違いな大きさには忘れていた大切なものを呼び起こされる。2楽章を聞いたとき「もう一度 やり直せるか」と心から思った。
 そのあと日本の若いクラシックDJも見ていた。いろいろあるかも知れないけれど小野蒼生という指揮を勉強したDJは楽し気にクラシックを選んで聴衆を呑み込んでいた。良いんじゃないかと私は思った。今日はブラームスの4番を聞いてみよう。おすすめの曲があればどうぞ教えてもらいたいものだ。今では私はクラシックの素人になったてしまったから…
 予定の草刈部分を終えるとザッと強く降りだした。明日はお客さんのキャンセルになったからワグナーの曲でも聴いて草刈を続けよう。

2019/06/23(日) 幼虫は脱皮、レトルトカレーはレストランの味
 昨夜お客さんは食後直ぐに寝てしまった。食後一杯サービスしようかと思っていたところだった。さて何かしくじったかと気になったが、それはそれでしょうがないとひとりでチビリチビリと呑んで私も寝てしまった。
 朝になると5時頃から下でお客さんの動く音がする。予定の朝食を早く用意する。体調が回復したというお客さんと食後少し話した。取材時のことや秋山郷のことなどで私より年上なのにずっと若く感じる御主人は山の話が好きだった。奥さんは版画や押し売りコーナーの土産物に手を出してくれて、買っていただいた。このコーナーはすべて地元の方の作品でそのまま売り上げはそれぞれお渡しする。これといって花があるものではないが昔からの秋山たわしや木工品である。またいつか来てくれるだろう。
 そのあともっきりや道の草刈に出た。気温も上がらず邪魔をするチョウもセミも動いていない。そう後一時間もあればもっきりや道は片がつく。その後はボチボチ刈っても2度目を終える目どがついた。
 さて今日はレトルトカレーをどう美味しく食べるかと考えていた。レトルトを温める鍋にジャが芋とニンジンを薄く切って一緒に茹でる。玉ねぎは薄切りにして別のフライパンで炒めてカレーを投入しジャがとニンジンを入れてなじませる。これでちょっと違ったレトルトカレーになる。大リーグに渡った斉藤隆はひとりでレトルトカレーを米国で食べていたという。面倒なときは私も同じだ。食べることよりも時間が大切なのだ。ひとりの時は食事は後回しで食べる時にはしっかり食べもするが自分の時間の方が大切なのだ。時間を上手に使えよ。ひとりの時間をだ!
 幼虫は最後の脱皮を終えたものが出始めた。予想通りだ。これから彼らはバリバリむしゃむしゃウスバサイシンを食べる。音がして来るようにだ。

2019/06/21(金) 生きているものたちへ
 夜になってゴロゴロと雷様が騒いでいます。
 
 草を刈るのが仕事で今年は眼の手術もあって早めにはじめ今日から2度目にチャレンジである。私が刈り始めるとどこからともなくウスバシロチョウ(アゲハチョウ科)がやって来て機械の前をウロチョロし始める。今年も来たなと思いつつエンジンを噴かすと近くまで来て刈っちゃだめだよとばかりに邪魔をする。そのうち見えなくなってえ、ブンブンと回転を上げると再びやって来て私にこう言う「刈っちゃだめだと言っただろ」と花の頭にまといつく。そうなるとエンジンの回転を下げて注意して雑草のヒメジオンやハルジオンを残すように刈るしかない。
 去年だったかボルネオかインドネシアだったか密林を伐採する大きな重機に向かっていっぴきのオランウータンが「壊すな、止めろ!」と向かって行く映像を見て、なんだか胸が熱くなって泣いたことがあった。
 考えれば私の草刈り機はウスバシロチョウにとっては、大きな重機と同じでそれに立ち向かってくる姿がダブって気持ちが入ってシャンとして雑草を刈り残すことになる。止まったチョウを見ると羽根も傷ついてボロボロである。
 彼らはエンコグサ、ケマンといった草を食草として卵で越冬する。ギフチョウを守ろうと努力しつつ、他の昆虫に害を与える私の行動は矛盾なのであるが、そこはひとつ大目に見てもらって ここでのケマンやエンコグサを刈らずに務めることが、あのオランウータンの強い意志に連帯することだと いつも忘れないで置かなければならない。人だけではなく動物も昆虫もみんな同じように生きている。
 今、アカショウビンの声を聞いた、トンボも昨日見た。それでもカメムシは生かしてはおかない。人間のわがままに付き合ってはいけないが もし輪廻転生があるとしたら私はカメムシに生まれ変わってそれも何千回もだが、そこで罪滅ぼしをすることは厭わない。殺しつつ拝みつつという二律背反はどうも正しいようだ。

2019/06/20(木) ギフチョウの環境それぞれ
 玄関前に増やしているチョウの食草。その種を集めた。カッパを着て膝をついて、尻を落として。それでも100ほど集める。プランターに植えて来春の発芽を待つ。去年の種は少し早すぎたようで芽が芽が出たものは少なかった。これってなかなか時間がかかる。3〜4年してから地植えするのだがなかなか大きくはならない。順々と続けるしかない。今年の種は良いと思うのでしっかりと植えるかということである。
 いるはずの幼虫が見つからない。探すのだがけれど見えなかった。裏の食草には小さなものが6頭、少し大きくなったものが5頭見つけられた。幼虫は4回ほど脱皮して蛹になるのだがその変身時はこの葉の茎を食べてじっとしている。見つけたものはまだ1回目と2回目の脱皮後のものであろう。今年は何時までも寒い、そのせいか幼虫の成長も遅いのだろう。写真のように葉を食べつくして茎にかぶりついてから脱皮するのだ。自然界というものは厳しく裏の幼虫の生存率は3%ほどなのだろう。因みに室内に確保した50頭ほどの幼虫。半分は3回目の脱皮を終えてバリバリ食草を食べて黒い糞を山のようにしている。大きい方は入院までには蛹になるだろうが小さいものは間に合わないだろう。大きくなったのなら山に放してみよう。自活してもらわないと困る。

2019/06/19(水) 手術とはめんどくさいものだ
 昼までは晴れていい感じだった。チョウは突っつくと反り返って角を伸ばすまでになったものも出始めた。
 今時の入院というものは面倒なもので、ひとり暮らしの爺さんとしては 保証人や事故のあった時の連絡先などをはて!どうするかと考えあぐねている。

 白内障の手術前説明を「すわり」の福一先生にご同道を願って向かうのだった。帰りには町で用事を済まして久し振りに竜神の湯に浸かってから秋山へ帰る。津南相吉から林道は工事中ゆえに通行できず石坂から405に向かった。3時を過ぎていた。
 両目を7月の3日と10日にそれぞれ手術を行うことになった。白内障は簡単な手術だと経験者に聞いていたけれど、渡された書類を括っていると手術の内諾書やら入院保証書、保証人と連絡先、入院セット申込書、アンケートに署名する右手が疲れてくるようだった。だんだん入院や手術というのは大変面倒なことだと肩が下がることだと実感した。好きな女性はいくらでもいたが私を好いてくれるご婦人はちょっと少なすぎた。お陰でここに来て入院手術の落とし穴にはまってしまうのだ。いまさら言ったところで詮無いことです。
 保証人を誰にするか連絡先はどこかと考えていると忘れていた私の帰し方来し方を嫌でも考えざるを得ないのだ。今の手術ごときに悩んでいるようではこれから来る私のラスト、去って行くひとり者の終点はどんなに大変なのかと考えざるを得なかった。簡単にあと10年で向こうに行くなどと言うことではないのだ。生きることも大変めんどくさいのだが、死ぬことも全く同じなのだと考えた。
そこをじっくりと思い致さなければ死ぬにも死ねないと…つまり何か事に向かうとひとつの知らなかった世界に直面する。それは、ちゃんと勉強しなければいけないと勉強するのだ。
 津南病院の眼科の担当医師のはっきりしたもの言いに裏打ちされて私の手術はどうなっても納得できる。医者というものはそんな自信を見せつければ患者は自らの内なる力でそれに応えるものだ。そういったはっきりした自信を探すことにして毎日を過ごすとするか!
 津南の正喜堂?で木製の落し蓋を見つけたし、竜神の湯に至っては故障でお湯が満杯にならないが良ければ入りなさいと話す受付に二人して何となく嬉しく商売というものはこういうものだと顔を見合った。この分では私の手術もそんなに悪いことにはならないという予感をもらった。

2019/06/18(火) 重機仕事、チョウ食草の杭打ち
 布団の中で寒くて寝返りを何回も打っている。6時あたりがとにかくそんなふうに感じた。いつものように8時過ぎになったので起きだして外の気温を見ると15℃で寒くはないのだけれども部屋のなかがいけない。外気と同じように15℃ほどでだ。ここもっきりやは山のなかの北向きなので冬はしょうがないが 夏の間は涼しいのだ。梅雨の頃だとしてもダウンの掛布団にくるまって寒いと感じじるのはまずいだろう。冬の雪、春と秋の虫、夏の草といろいろ嫌なことはあるがそれでも夏の涼しさが救いなのだ。それなのに7月ももう直ぐというのに寒くてはいけないだろう。今年は寒さの夏なのだろうか?おろおろ歩く夏だろうか?
 このところの雨で土側溝が埋まった。今度の雨までに側溝の土砂を片付けなければと昼に作業を始める。バックの使い方は右手と左手で違う操作をする。3時間もやっていると頭のなかが混乱して来て作業は進まなくなる。60の手習いで始めた重機の操作は上手くはならりゃしない。それでも始めたころと比べると一応というところまで来たのだ。やってみたらよいだろう。大きな地震でも来て重機を操作できればたくさんの命を救えるのだよ。

 明日は手術の段取りの説明を聞きに病院へ向かう。誰か身内を連れて来なさいというので「すわり」福一先生にお願いしておいた。その打ち合わせを終えてチョウの食草を夏の草刈から守るべく杭を打ってきた。一本張り出した枝も落してもうやめて一服しに帰った。
上皇后さんも白内障だという。彼女は良いお医者さんに掛かれるのだろうかと気になった。

6月絵日記の続き


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