来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2019/04/30(火) 2019年は2019年なのだ
 朝は雨。少しして、曇り。洗濯して敷布を干す。お客を残してごみ捨てに和山へ出る。和山の公民館横の桜7分咲也。湯の桜は1分咲のようだ。
 お客さんがお帰りになって2時間ほどぐずぐずとする。2時になって看板取り付けに向かう。鹿児島のお客さんが赤湯から回って来る。看板設置場所にはまだ雪。道の狭くなっているところに注意の杭を立てる。明日にトラロープを巻く予定。
 私は昭和の子供で40歳近くまで昭和を生きたその後の平成にも生きたのであるが、私は昭和の子供で先のことにあまり興味はない。30年もすればまた元号は変わる。どんな時代になったとしても天皇の責任ではない。ただ厳しい時代になるのだろう。この元号のうちに私はこの世を去る。
 和山の桜も、湯の桜も、開拓の桜もず〜っと咲いていて欲しい。

2019/04/29(月) 川西道、もっきりや道自力で通す
 オフロードのバイクは寺泊から秋田へと向かうということで6時に出発なさった。片付けものをしていると玄関で声がする。「うう」と出て見ると秋田へは行かないのかライダーが立っていた。雪の路面でスタッグして上れないという。スコップを担いで救援に向かう。どうにか上りきって手を振ることもなく消えて行った。500k近い走行になる。一路平安を祈る。だからさ、入って来ちゃいけないと言ったのにな。
 10時になって重機が山を越えてやって来た。対岸に渡って軽トラで川西道へ向かう。なるほど10連休で観光の人たちが散見できた。見ると湯の桜も開拓の桜も咲き始めた風情だ。さて、あと一週間かな。寒気も入って来るというので連休内は持つだろうと思っている。道を開けたばかりにお客さんの車が入って来る。明日は路面の雪も消えるだろうとバックのオペレーターと話す。トビだろうが作業中に 何をしてるのかと何回も円を描いた。

2019/04/28(日) オフバイクが入って来た。初めてだ
 お客さんはむじな平で仲間と待ち合わせて鳥甲山へ向かう。昨日の雪と今朝の寒さで心配したけれど車も帰ってこなかったしお仲間と山へ向かったようだ。
 雄川閣へ福一先生と軸を引き取りに向かう。この連休は新たな経営者がお目見えサービスで無料でお風呂に入れてくれるという。
 昨日通れないということだった道は山側の雪が落ちて来たようだ。今日のひとりのライダーは夕方にその道を通ってここまでやって来た。曰く「雪は残っていたけれど問題なく通れた」とおっしゃった。とすれば明日は重機で作業をすればここまで降りてこれそうだ。ひとつ頑張るか。
 駐車場に広がった杉の枯れ枝を来るだろう車のためにかたずけているとアズマイチゲを見た。箒で掃いていると「キビタキ」が倒れていた。電線にでも引っかかったのか残念そうに横たわっていた。引き上げて穴を掘って埋めてやった。般若心経を唱えてやったのだけれど彼の宗旨が佛教なのかキリスト教なのか分からないので聖書から「飛ぶ鳥を見よ、撒かず刈らず 倉に納めず」とも唱えてやった。アッラーは分からないからやめた。

2019/04/27(土) 時ならぬ 雪に降られて 道迷い
 朝に4℃だった気温が昼過ぎに2度に落ちる。寒いはずだ。
 福一さんはストーブを片付けた後のこの寒さはどうなっているのかと電話をよこした。答えようもないので震えているよと返事をするだけだ。予定のお客は裏の川西道を着たけれど土砂崩れで来れないという。結局湯に戻って索道に乗った。でもどこが崩れたのか要として分からない。明日ひとつ見に行ってみるかということだ。
 お客と飲んだ。風呂に入ってもう寝ようと思っている。明日は5時には起きなければならない。

2019/04/26(金) 平成万葉集 良かったよ!
 「平成万葉集」というテレビを2回見た。時代感覚が鋭くて痛く心に残った。何だか、私が何時か書きたいと思っていた文章など及び様もないと実感した。自分が爺さんに成り下がった僻みか、あまり若い人とは合わなくなってしまったのだけれど、その若い人たちの言葉の選び方に恐れ入った。彼等のこれから先にするだろう努力を見てみたいと感じた。この国の人間は何ていうかダメなところが多いとしても面白い人たちだと思った。
 朝からの雨は昼に少し強く降った。ズボンを脱いでポケットの穴を繕ったりしていると降りどまった。それではともっきりや道の見分に出る。あと少し、あと少しで雪は消える。月曜日には重機でガタガタと雪をいじめてみよう。すれば、2日もあれば車は降りてくるようになる。

2019/04/25(木) さくらを見に回る
 天気はもう少しなのだけれど桜を見に出かける。十日町の花は精彩を欠いたけれど津南から少し上がったところの花は満開だった。咲き始めて1週間もしないうちに散り始めたようだ。山の桜は潔よいのだろう。
 十日町で3日の法事に向けて散髪。酒などを仕入れて帰る道すがら405号線、見玉のお不動様の対面に一本の古木を見つけた。そこにある墓を抱きかかえるようにドンと咲かせていた。反里口の小さな祠の花も良し。畑の脇の一本桜も良し。街とは違った風情があると感じた。
 今朝も曇りなのだが南風が暖かい。エンコ草や二輪草の蕾も見られたし、桜も近いと思い蛹を出した。27個の内3っつはカビが生えている。5月になったら放すことが出来ると思う。
 月曜日に重機を入れてもっきりや道の雪を構えばどうにか道は通れるようになるだろう。雪解けが進んで水量を増した中津川を索道で渡るのを怖いと思うならばぐるっと回って来ればいいだろう。

2019/04/24(水) 風が雪を消した
 湯の桜の枝にはほころんだ花びらがついて私の親や兄たちの写真の前でどうだと枝を広げている。家族たちと私も桜見物をしよう。
 道が開かないようなので「山房下」の駅からの道を掘る。いらっしゃるお客さんも歩きやすくなる。川を渡って郵便取りに出てそのまま川西道の様子を見に向かう。前回の除雪の跡に雪の壁が崩れたり石が落ちていた路面がキレイになっている。2回目の除雪をして頂いたようだ。もっきりや道にはまだ雪が残っているのだが、さてどうするかと頭をひねった。津南に下げている重機を持って来てもらえばキャタで雪を踏むだけでも雪消えは早まる。重機は月曜日になるという。みんな用事があるのだからしょうがない。月曜日にガタガタと雪を踏むしかない。
 林道との分岐点に目印と小さな看板を付ける。歩いて来るというお客さん用だけれどもこれで大丈夫だろう。
 開拓の桜はまだ咲かない。本当に平成から令和へのつなぎの桜になりそうだ。

2019/04/23(火) 布団部屋は片付けたし
 朝食も取らないで何でか?布団部屋の片づけを始める。暖かく天気も良いのでまず客室の布団を引っ張り出して干す。下に下りて洗濯の1回目。再び上がって予備の布団を前の部屋に出してすのこをどかして掃きだす。要らないものをまとめて冬用の電気敷毛布を仕舞い、毛布の敷布をまとめる。大きめの電気炬燵を壁に立てかけその前に敷布団、掛布団、毛布、枕をまとめて大き目のカーテンで被い、だいぶ落ち着いた。2回目の洗濯をして空きっ腹にカップ麺で遅い朝食とする。もう直ぐ昼だ。こういった面倒な片付けはやになって止めてしまうともう身体が動かない。一気にやるものだ。カメムシを拾い洗濯を取り込んで干して1階と2回を行ったり来たりする。コタツも片付けた。
 花瓶の桜は半分ほどほころんでいる。今日はあたたかい。2時になってどうも力が出なくなって遅い昼飯だ。ついでに3回目の洗濯をした。郵便を取りに出て湯によるとご飯を出してくれた。風呂にも入れた。乾かない洗濯物を取り込んで干して少し冷えるなと感じたのだがコタツは仕舞いこんでしまった。失敗もある。カーペットに通電して毛布を掛けて熱燗でも飲むこととする。この際だから夏用のタオルケットを明日洗濯をしてここの居間もやっつけるか。26日になったら津南の桜を見に行くこととしよう。
 仁成館から中津川の堰堤上に車を置けるようになった。湯の桜は週末辺りだろう。開拓の桜も同じころなのだろう。早く片づけを終えてゆっくり日向ぼっこをしたい。もう少しだ。

2019/04/22(月) 津南は満開、ここは25日あたりかな咲き始め
 21日は私がここへ来た時から遊んでもらっている友人の仲間が来てくれました。昭和に過ごした青春の話で笑い転げました。同じ年のみんなは良いものです。
 今日は帰り車に便乗して軽トラを引き揚げに向かいました。津南は桜が満開になっていて順次秋山に上って来ます。待ち遠しいものです。この頃の桜というものは。きっと残雪のなかに咲く桜と残雪の上に散る花びらに何回も車を止めて見ることになりますな。今度はここの番です。
 切明からの林道から分岐した川西道のほとんどは雪を切って通れるのですが切った後に小さいのですが雪崩れたところがあります。それともっきりや道の上には結構の残雪が見られます。車を停められるところからおよそ10分は歩かなければなりません。それでもいいのですが果たして歩いて来る人はいるのかなと私も歩いてみました。明日は林道の分岐に小さな看板と目印でも立てて来ます。
 二日ぶりに風呂を沸かして入ってゆるゆるとしましょう。それではこれで、失礼!

2019/04/20(土) ストーブもいらないようだ
 昨日、2年越しの約束だった。屋敷の元老漁師のところを訪ねた。ネコ好きのご夫婦は、すっかりネコに囲まれて楽しそうだった。それぞれのネコに名前が付いていて、間違うことなくその名を呼んでいた。
 秋山の狩猟は1830年代に秋田マタギがここに入ってから行われるようになったと記憶している。元猟師の彼は戦後25年あたりから猟に出たという。リュウ沢には300ほどの岩の洞窟があってそのうちの30ほどの洞窟を根城に猟を行ったという話などをカメラを前に語ってもらった。
 もっと早く聞かなければいけなかったのだがカメラを揃えたり器械を使いこなし、それをDVDに落としてに渡すということを一連の流れでやろうと思っていたら2年もかかってしまった。まったくの素人なので今も何の技術もないが時間切れになる前にと始めたのだった。
 その夜は友人のように気心の知れた植物カメラマンが来て ぐずぐずと酒になった。
 今朝も良い天気でカメラマンは玄関前のウスバサイシンの新芽を指差してくれた。冬用の敷毛布を洗濯して、玄関前の消雪用の水を止めた。川西道ともっきりや道を見に出る。川西道は切ってあったけれどその後で壁が崩れて道をおおっていた。もっきりや道はまだ雪の下だ。ここまで車を下すのはやはり平成が終わってからということになる。
 花瓶に差した湯の桜はほころび始めた。

4月絵日記の続き


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