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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2019/02/28(木) 3月になるから雪囲い外す、ちょと早かったか
 昨日油揚げを煮て、今朝すし飯を作って稲荷ずしにした。その後冷たい雨を見ながらぼ〜っとして、エリア・カザンの・「アメリカ・アメリカ」を見ていた。ちょっとすごい映画だった。終わってから雪囲いを外せるところは片付けた。2月内の仕事じゃないのは分かっちゃいるのだが雪の消え方や雨の降り方を見ながら先え、先へと片付けてしまおうというのは性格だ。「アメリカ・アメリカ」の主人公のように貧乏がつく奴なのだ。

2019/02/27(水) 怪盗猿はメスだった
 昨夜、お酒の代わりに飲んだ甘酒がいけなかったのか、甘いだけで寝入りが悪かった。おかげで3回も起きるようになって浅い眠りで同じ夢を見続けた。その日に見たドキュメンタリーでひとつは東欧ジョージア「テロリストの母」(?)という。二人の息子が、ISの戦闘員としてシリアに出て、残されたひとりの母親の哀しみだった。それと深夜「地雷撤去?」をニッパひとつで行う技量のある兵士の話。結局3回目の被弾で亡くなるのだがISが巧妙に仕掛けた地雷が子供を殺す。だから自分がやらなければならないと命を賭して除去をする兵士の話だった。イラクで戦う、ISとクルド兵を同日に見ることになった。こんがらがって何回も夢を見たのだろう。戦争は始ってしまったら、しょうがないと言った小説家もいたけれど、始めない方法を講じなければ、ジョージアの母やクルドの兵士の苦痛は止むものではない。と感じながら最後のトイレに起きた。
 今朝は0℃なのだが芯から冷えた。湯治に行ついでだとゴミを持ってグリーススプレー缶を2本持って出る。中ほどでオイルが無くなったので続きは明日にしてゴミを捨てに向かう。
 そのサルはごみステーションの脇にいたのだけれど気が付かず車を回した時にふと存在に気付いた。サルは動ずることなく止まった車をのぞき込んでいる。写真でもとバックすると脇をすり抜けて前を駆けて行った。左手首が見えないし歩き方も左足を引きずっているようだ。それで奴さんはメスなのだ。
 人間と害獣と決めつけられたケモノとの対峙ということも、生き物の宿命で、イラクで人間同士のそれと同じで、ず〜っとつづくものなのかもしれないなと感じた。
 今日は燗酒をちゃんと飲んでぐっすり寝なくちゃ。解決できない夢なんか真っ平だ!

2019/02/26(火) 春に向かう作業はひと月ばかり前倒しだ
 昨日から体が重い。堰堤上の作業が続いたせいだけれど、朝に玄関を開けると鳥の餌台にシジュウカラがウロチョロしている。麻の実はどうやら食べたようだ。追加してリンゴをむいて置いておいた。
 体の重さは作業場所が高いところで堰堤の高さは15m程あって落ちれば相当に痛い思いをする。落とした雪の幅はせいぜい1mで怖い怖いと思って歩くものだから転ぶと落ちるように感じる。いやそんなに簡単に落ちることはないのだけれど、転ばぬ先の杖で体の痛みよりまずは移動する平安を先行しようということにした。
 天気も良いのだし手すりさえ片付けてしまえば安穏であるでしょう。シートに残った雪もこの日差しで溶けている。そのシートに足を引っ掻けて転倒をしないことが肝心だ。すると変なところの筋肉を使うようになって硬直する。明日も体が痛いに決まっている。それでもお日様に助けられて手すりを付け終わった。
 今朝作ったマカロニサラダを持って湯とすわりに持参し、屋敷に回って歩きやすくなった堰堤上を歩いて帰って来る。時計は5時前だ。
 3月は別の勉強もあって忙しい。4月には恒例の旅に出る。忙しい。天気が良くなって、暖かくなって春だぞと外に出るとまだまだ雪でこの季節にここに滞留していると精神的に良くはない。神経内科的に言うと転地療養ということになる。九州に去った友と長野で泣いている私が真ん中あたりで「おう〜」「やあー」と出会うのだ。

2019/02/25(月) 猿のいろいろ、狸の夢
 暖かく結構な一日でした。
 対岸の昨日の続き、手すりを掘り出しに向かった。1時になってしまったし、作業も2時間かかってしまった。高い所での作業で気は使うし変なところに力が入って体が痛くなる。無事に終えたのだから2時間でも3時間でも構わない。そして手すりを付ければもっと楽になる。明日以降に手すりを段取りしよう。
 湯治だと上に出ると小赤沢の民宿「え〜のかみ」のご夫婦がいて、久し振りの再会となった。馬鹿話で笑ったけれどひとつ面白かったのは「猿」、それも片手を怪我した猿の話で 怪我をしていると群れの行動の邪魔になるようで仲間外れになる。はぐれとなった猿の行く末は厳しい。その割には長い間見かける。わなにかかって腕をなくした猿で、代替わりをしているかもしれんが?
 猿の空腹は最大限に知能を働かして生き抜く知恵を身に着けるようになる。一人暮らしの老人宅はどこか、老婆はどこにいるかを記憶しているようだ。
 はぐれの猿は小さい一軒の商店に入り込んで菓子を盗んでいた。困った主人は売り物の商品を隠して置いたのだけれど結局持って行かれたという。そりゃ困ったもので頭を抱えるのだがそういった話をするときの表情は怒りではなくて、呆れているといった感じだ。
 またある家のひとり暮らしの老婆のところでは三日も家に入り込んで出て行かなかったという。
 「嘘だろう!そんなことあるわけないよ!」とお思いだろうが街に拠って暮らす人には体験、経験の外のことで、自然のめんどくささは分からんでも良い。
 老婆は猿と対峙する力はない。そのうち出て行くと思っていたのだろう。そもそも人の暮らす家に泊まる不届き猿は聞いたこともないのだから。ところが出ない猿に気をもんで電話を掛けたのが四日目になったのだ。猿は老人より力がある。それでも猿は老人に危害を与えなかった。この辺が近頃の短略的な人間と違うところである。湯でも狸が入り込んでストーブの薪置き場にじっとしていたという。犬もいるのでまさかと思うが、狸はただ黙ってストーブに当たっていたようだ。狸にしてみりゃその晩は暖かかったのだろう。きっと良い夢でも見れたことだろう。そんなこともある秋山の夜は更けてゆく。

2019/02/24(日) 気の早い仕事になった
 やまと尼寺ではフキノトウが早くも出始めて白みそを作った方がフキ味噌を作っていた。フキというのは晩秋に体勢を作り上げて雪の下だ春を待つ。桜の蕾も同じだけれど雪消えが早いところではこの辺りでもひとつやふたつは見受けられる。それでもフキ味噌はまだまだで楽しみに待つとする。白みそに砂糖と味醂を入れて混ぜ、湯がいたフキを刻んで和えると見た。この辺でもそうだ。大和地方も今年は雪が少ないと言っていた。
 今日は天気も良いので雪もやわらぐとみて中津川右岸、堰堤上の雪を下してみた。出がけに電話があって出が遅くなったが5時前にほぼ終えた。というのもまだ2月、寒い日もあると凍るなと手すりを付けられるまではと気になった。手すりを置いた場所はまだ1mの雪の下だ。それでも手すりがあるとないとでは怖さが違う。お客さんは来ないだろうし来たとしても4月まではご遠慮申し上げる訳で私の安全のためにチョロチョロと作業をしようと思い及んだ。ちょっと早すぎた。そんな作業をしながら見上げる鳥甲山は相変わらず知ったこっちゃないとずんと天を仰いでいた。

2019/02/23(土) 汚れた雪はシーツをかぶせたように
 土曜日の朝はラジオ「きこえたまご始まるよ」を聞くことにしている。一般参加の子供がなかなかお利口さんで心地よい。3月いっぱいでなくなるというが何故なのかな、良い番組なのにな〜 私は寒いので起きださない言い訳を言っているのかもしれない。
 昼になって霙が止んだので津南に買い物に出る。大赤沢を過ぎると雪が降りだし大粒になる。それが見玉に出ると空は青く雪はが止んだ。こういった降り方は春が近づくと多くなるという。寒いけれども春は近いということだろう。明日も予報は低い。それでも日中はだいぶ上がるようだ。
 駆け足の買い物は3時間で済んだ。凍った斜面にうっすらと積もった雪で滑りやすく嫌な感じだった。
 昨日はウイスキーを飲み過ぎたから今日は銚子2本としよう。

2019/02/22(金) 晴れさえすれば、そりゃ楽しい
 気温高シ、池ノ周囲ヲ一面片付ケル。本来三月ノ仕事ナリ。ソレナラ対岸ノ堰堤上ノ雪モ落トス事、可成リ。危険個所ノ整備モ必要ト思考ス。今ダ二月内、三月ニ延期モ一案トス。
 村の観光協会より夏場のもっきりやの写真をと依頼があった。PCは苦手なのだがそれでも一枚送ることが出来た。写真を探しながら古い管理人日記を繰っていた。懐かしいあれこれがその当時の記憶を思い出させた。時にはこういった来し方に思いを巡らすのも薬だと思った。
 高島平の旦那に教えてもらったアイスクリームは甘みが足らないのとバニラが無かったせいで味気なかったがそれでも作ったのだから勉強になったということにする。
 今朝の空、ケモノの足跡、自分の踏み跡が絵になるなと思っただけで日が暮れた。

2019/02/21(木) ペリュリュー島も落ちた、雪も落ちた
 何となく寒いのだがメモリは2℃。差ほどじゃないな。前日の暖かさのせいか消雪用の水は水量が多い。それでもまだ2月、こんな凸凹を繰り返しながら月日は過ぎていく。泣きもしないし笑いもしない。じっとしているしかしょうがない。
 朝にふと見ると小屋の雪がどうも変わっているように見えた。すわ落雪したかと昼過ぎに小屋へと向かうことにした。屋根のは雪もなく小屋にも問題が無いように見える。あの気温とあの雨だもの、雪は落ちて当然だとホッとした。そのまま川を渡って福一さんのところで郵便をもらって新聞を見ると記事にペリュリュー島の記事を見た。秋田早口、知り合いのお父さんが、当時少尉でそこで戦ってオーストラリアの捕虜収容所に収監された時に使っていたスプーンとホークを預かったことを思い出した。少尉はすでに亡くなっていたけれどもここに残されたスプーンとフォークをどうしようかと思った。
 私は壊れそうな炊飯器を買い替えるべくアイリスオオヤマのそれを頼んで福一先生のところに届くとお願いをした後、湯治に向かった。際のところが滑るので洗って温まって帰った。するともう何も出来ないようにだらしなくこたつに入った。ねぇ、こんなことではいけませんよね、ね〜、、、

2019/02/20(水) 小屋の雪、半分だ!
 スーパームーンは深夜には雲に消えたけれど、明るくて雪と木立と影が美しかった。それと、小屋の雪、北側屋根の雪が落ちているようだった。ただ屋根のトップには白く見える帯があるようだ。
 北九州の明太子を朝食にして、カレーを作り雑煮もついでにこしらえて昼にした。
 小屋は案の定、北面の雪が落ちて反対は切れ目が出来ていたけれど今週うちには落ちそうだ。屋根の雪割り用のところを抱えるようにへばりついていた。帰って寒暖計を見ると外気は4℃。ここも春めいて気温と雨でもっきりやの雪はペラっと布団をかぶせたように乗っかっている。この時間もやはり雨でもっと降れ、もっと降りさえすれば小屋もすっきりすると思った。
 先日もっきりやの看板を探しながら古い日記やら掲示板を見ていると’10年1月20日に去った「タミコ」の記事に気持ちが沈んでいる。テレビから「レッズ」の最後のシーンが流れていた。ロシア革命に裏切られてロシアの病院で亡くなるジョン・リード(ウォーレン・ベイテイ)と彼を愛して最期をみとったルイーズ・ブライアント(ダイアン・キートン。私は歳も考えずに涙を流していた。タミコと重なったのだ。今度書くものが無くなったら2010年1月の当日の日記でも載せようか。つまらない愚痴よりずっと大事かもしれないな〜 泣いても笑っても腹は減る。カレーでも食べるか。それにしても1日が過ぎるのはなんて早いことか!

2019/02/19(火) 子供は危ないよ!
 2歳と5歳と犬を連れた、伊達巻戦争当時の戦友が家族でやって来た。索道を渡るときは穴山の蕎麦打ち名人も追いついて、1回、2回3回とカゴで渡ってやって来た。暮れなずむ頃だった。
 いや、この雪のなか小さい子供を連れて来ちゃいけないよとドキドキしながら見守った。3回もカゴを引くのは重労働である。
 そばを茹でて、イノシシの鍋を突っついて時間が過ぎた。この年齢の子供というのは落ち着くことはなく動く、泣くと母親は大忙しで見ているだけで疲れてしまうのだ。大変だなと…
 名人は早朝 川を渡って雪を蹴って帰ったらしかった。朝ご飯を食べて、左岸から右岸へと渡り返して一家は山を上った。犬が先導しているようだった。家族は湯に浸かったのかしばらくして車が消えた。
 その後、私もここを出て「すわり」の旦那で郵便を受けとった。帰り際に旦那は「どうも峠は越えたようだ」と話した。大きくうなずいて出て、帰り着いた。テレビの前で何も考えないで呑み鉄本線をじぃ〜っと見ていた。
 雨は止むことなく降り続いて、雨だれを聞きながら高知、四万十へ帰るのは何時頃になるのかなと家族の一路平安を祈った。

2月絵日記の続き


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