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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2018/09/18(火) お客さんそれぞれ
 しっかり者のお嬢さんが手伝ってくれてどうにか連休のお客さんを捌いてくれた。僕も助かったのだがお客さんもうれしかったのだろうと思っている。その彼女はベルギーや海外で山水画を教授したり、展示する作家だったのだと今、思い出した。安く使っちゃたかなと思うがこれはこれで良いだろうと開き直っている。すると今度は元気のお客さんが来られた。日本一の安い宿だと面白がっていらしたが僕には面白いこともない。もうこれで18年近くやっているのだから。
 外の沢方面の草刈に出た。曇り空で寒くて寝てられない。そんな時期になった。マユミの実がきれいについていた。今日も少し舞茸を貰った。
 問題は明日の温水便座の取り付けなのだが説明書は今日は読めなかった。

2018/09/17(月) 温水便座の苦悩と対処の方法!
 ぼやぼやと雨ふる。
 昨日までのお客さんは9時に予定通り替えられる。高校時代の山岳部有志のまとまりにちょっと驚く。いい学校だったのだろう。
 昨夜はトイレの温水便座の段取りに眠れない1時間を過ごす。嫌なものだな、自分の知識のなさに泣く。
 昨日発注をした温水便座が今日には届くという。驚いて確認をすると配達にかかっているとのこと。これにも驚いた。
 さて取り付けが出来るかとイラつきながらごみ捨て方々対岸に回ると今月いっぱいで運行が途絶する南魚沼観光のバスを見た。これが見納めだと眺めごみを捨てて温水便座を受け取ってきた。箱を開いて今度も出来るかと気になりつつ説明書を開いた。カレーを作りながら読み進むうちにどうにかなるかといった感触を得た。こんな時は僕は親父さんやお袋さん、兄貴や伯父さんたちの所信を前に線香を立てる。すると彼らが「落ち着け落ち着け!」と言葉を返してくれる。そうだと感じながら大きく深呼吸をして取扱説明書を読みだすのだ。

2018/09/16(日) いろんなことに焦る
 高標山へとお客さんが向かってホッとした矢先、トイレの便座からの漏水あり。いや、焦った。伊達巻戦争の友人がいてくれたおかげで床上浸水を免れたがひとりでは水を切ったり出したりをする間に水浸しになっただろう。その意味ではついていたというしかない。温水便座の排水のねじがばかになっていた。こういう単純な問題は直しようがないと感じた。それでも本管からの水を切って止水をして配管ジョイントを取り外し友人とあれやこれやと考えたのだけれどジョイントは分解しても問題がないようだ。結局温水便座を取り替えるしかないと判断。サンヨーの便座は今ではパナソニックが作っているようなのでパナソニックの温水便座を用意することにした。友人は帰って行き今度はひとりで取り付けなければならない。水回りの仕事は最終的にどう水を止めるかなのでちょっと心配なのだ。それでもやるしかないのだな〜
 いろんなことが次から次に起こるがやるしかないか!
 でも、今日はドキドキして足が震えるような感覚を味わった。厭
なものだがしょうがない。

2018/09/15(土) 山岳部同窓会
 昼過ぎにお客さん来たり、こちらは手伝いの娘ともども準備に専念。たくさんの自家消費の持ち込みあり。残れば頂こうとの算段もあり。
 高校時代の山岳部の同窓会、いいじゃないか!
 ワイワイとこぼれる笑い声に思わず腰が浮いて仲間にしてもらう。明日もあるという。もっとぶっ飛んで遊んじゃお〜!
 ところで玄関に積まれた段ボールを見るとこういうお客さんは良いなと思った。食べ残した食材は僕の弁当のおかずになるじゃないか!

2018/09/14(金) 横根集落跡
 週末用に買い出し。秋山林道を相吉へ向かう。
 苗場山は山頂部の雲が引かない。横根という集落跡に弘法大師手ひねりの跡という石碑がある。車を止めて見てみた。「津南町の宝もの」という案内板にはこう書かれている。昔、旅の老人が水を分けてもらえないかと村人に尋ねるのだが村には他人に分けてやるだけの水はないと断ったという。老人は村の水を石を手でひねってそこに封じ込んでしまったという。老人は村はずれで山道の脇に杖を立てて水を出したという。村人は「弘法の清水」と呼んで大切に使ったという事だと。以前仁成館の先々代の御主人も同じことを言っていた。ここは中津川の左岸河岸段丘の上でいかにも水のないようなところで耕作も難しそうな土地である。今は鳥甲牧場となっている土地である。水がない土地である証左だ。その横根も今は横根集落跡地となって旅の老人の痕跡も消えそうな寂しい土地になっている。その老人が弘法大師だったとは思わないが、ルバング島の横井少尉は何十年の戦争の後に渡ったブラジルで水を見つける名人だったという。昔の人というものは厳しい暮らしの中で生きる知恵として土地を見たり水を探したりすることを上手にできる人がきっといたと信じている。

2018/09/13(木) タマゴタケやら舞茸だって
 昼には日が差してきた。いい塩梅である。今日は渋沢までの行程で草刈も終えることが出来た。
 切明から渋沢へ向かう林道部分に直径1mはあるブナが倒れて道を塞いでいた。その奥には大阪や新潟ナンバーの車が見えるのだがこのままだと車は出られない。それは明日の作業になるようだ。少し僕にも薪として貰っちゃお〜う。少しでいいのだがな。
 エンクラ坂は昨日からすると少し辛い。2日続きの 奥山山行には老体に響く。それでも今日はタマゴタケの原点のような姿を見た。渋沢の端から上流の写真も撮れた。今度が何時になるかわからないからカメラを向けておいた。終活のひとつだ。
 仲間はそそくさと弁当を使って山に入って行った。30分後に帰って来た彼はよろこぶでもなく淡々と「舞茸」をぶら下げていた。今年は聞くと20kほど採ったという人の話も聞いた。今年のように気候がおかしい時というのは種の保存というのか山の生り物が多い時もあるという。すると山毛欅もたくさんの種をつくるだろうか?  仲間はあなたも持って行きなさいと分けてくれる。一泊3千円のもっきりやには地物の舞茸はいらない。スパーでパックされたもので十分なのだが仲間はちゃんと分けてくれる。それではと頂いた舞茸は明日のお客に舞茸ご飯とてんぷらでも作ってやるか。でも本物の味は分からないだろうな〜

2018/09/12(水) 気温はぐんと下がった
 昨日も今日も日が落ちるとストーブを点ける。寒いというのもあるが洗濯物が乾かないからだが、一度温もるとそれからは安直に目が行く先はストーブということになる。一度慣れると元に戻れないのだ。それにしても半月前の暑さと今日日の寒さが体にも気持ちにも混乱を与えているのだろう。
 草刈で渋沢方面に向かうのだけれど道すがらキノコをたくさん見る。厭なツキヨタケも明るい茶色から今は銅色になってツキヨタケっぽくなった。これからどんどん大きくなってぶよぶよに腐っていくのだ。その先にはタマゴタケが見られるけれどいつもは7月辺りから見れるものだ。暑かったせいで今の時期になったのだろうか?
 昼前に雲が切れて日が謝して足を投げ出して弁当を使った。

2018/09/11(火) 僕の芸術祭見っけ
 2時から志賀高原にて保健所の講習会に出なければならないので、さてどのような動き方をするかと考えながら洗濯にかかる。掃除も気になった。それから残りのカレーに残りご飯をぶち込んでかき回し醤油を差してまたかき回した。
 お客さんは8時半に草刈り機を持って出かけたのだからもう少しうまく立ち回れば村の診療所に寄って肺炎球菌の注射も打てたのだけれど国道に降りたのが12時を回っていた。そこで穴山の芸術祭の作品とぐるりと回って見て来た。ぽつぽつと来る見学者はすれ違うたびに皆 こんにちはと挨拶を交わして遠ざかって行く。ちょっと感じが違うなと思ってちょこんと頭を下げるだけにして見た作品は面白いと思った。博物館で展示されているものとは違うなとぐるりと作品の周りを回った。「国境を越えた絆」?だったと覚えているが入場料がないのがおおらかであった。今回の芸術祭では最高の作品のひとつになると思った。あまり作品を追いかけては難民になってしまいそうなので、この近くにある飯山線の「足滝」駅を探してみよう。前の冬にいくら探しても見つけられなかった駅だ。駅らしきものを見て近づくとわからないはずだ、何の看板もなく山道のような石垣の犬走りを上がったところに駅はあった。12:27に長野行が来ると時刻表に書いてあった。やって来た列車は珍しく3両編成で女性の車掌が顔を出してドアを開けていた。列車の去った後の先にあるトンネルとレールを見ているとこの景色が僕にとっては大地の芸術だと思えた。
 そんなこんなで昼を食べて志賀に上がったが間に合うはずはなかった!

2018/09/10(月) 雨降り止まず
 今日も斜面、導水管側壁の草刈で命砂に縋る。厭な感じだった。降る雨のなか滑る急傾斜で鎌を振りながらだった。
 カッパを着て冷や汗やら雨やらですっかり濡れ、パンツまで取り換えるようだった。午後は旧仁成館から索道までのパトロール道を仕事で刈る。
 帰ると津南の友人の草刈応援隊が来て昔話に閉じ込められた。しかしそろそろしごとは決断しなくてはいかん。

2018/09/09(日) 初めてのキノコ汁と芸術祭
 昨日のお客さんは会津南郷トマトをお土産に持って来てくれて、山のキノコを何種類か採って来て新聞紙に広げてカラー名鑑「日本のキノコ」と見比べていた。確認できた何種類かのキノコを煮て汁を作って食べさせてくれる。良い出汁が出てうまいのだけれど見た目は違う。それぞれが一杯また一杯と食べて誰も体調を崩さないのだから図鑑と見比べた眼力は正しかったのだろう。美味かったがまずそうでもあった。山のものである。
 彼らは見物をして松之山温泉に行くという。いや僕も行くのだと約束は出来ないが会えるといいねと帰って行った。
 洗濯をして干して、対岸にゴミを持って出て福一先生を誘って大島村から芸術祭を覗いて松之山温泉「湯の山」に浸かる。すると昨日のキノコ採りの研究者が湯舟の中で「長谷川さん」と声をかけた。よくで先々で会う研究者であった。何かつながりを感じながら二回目の出会いを楽しんだ。
 大地の芸術祭の「三省ハウス」を見てキロロの森を見ただけだがどこも料金があって1500円では次から次と見るわけにはいかない。それだけ出せば上野の森に行けば一日がかりの仕事になる。誰かが言った、芸術難民?という言い方に同感しつつもこの辺りの里山には珍しい何台もの観光バスや自家用車を珍しく眺めた。9回目
の大地の芸術祭、3年に一回の開催だから27年も続いていることになる。はじめの頃は補助金目当ての祭りと見ていた人もこの持続力には感ずるものがあるだろう。続けることが地元の人たちに与える喜びこそ、地域に吹く風となると思った。
 帰りに福一先生に寿司を御馳走になったが僕にとってはそれが胃袋に残った芸術祭になった。

9月絵日記の続き


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