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最新の絵日記ダイジェスト
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2019/10/05 山が少し色づいた
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2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
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2018/07/31(火) 病光明に入る
 MRIの結果が出たと津南病院から連絡あり。今度の金曜日に行ってみるとする。
 先だっても高標山に登ったのだし大久保病院の眼科も一応の目鼻がついた。病光明に入る、といった感じでそれでは身体はどのくらい動くのかと明日から少しづつ仕事に出てみることにしよう。無理ならお仕舞になるということだ。
 今日は部屋やら台所、廊下を掃除だ。洗濯も出来る天気で昼に日の当たらないところで30℃まで温度は上がったが夕立もあって今は過ごしやすい。
 高島平の研究家にもらった風鈴を付けたり、CD、DVDケースの修理に時間を使っていた。こういった小さな作業はいつも目にするのだが、いつも後回しにしてしまう。それをやってしまうと何となく部屋が広くなったように感じるものだ。
 腰も膝も眼も結局治ったということではなく、病院でいろいろと調べて痛さに慣れたと云う方が強いようだ。今まで大した病気もなくここまで来て、去年の骨折で病院にはまってしまったのか、この半年病院ばかりに気が行ってしまっていたようだ。これからはこの半年の経験を糧にして病気との付き合い方と体力のつけ方を考えて行くしかない。それこそがいちばん難しいのだけれど。
 風鈴が少し蒸した外気の中でチリリンとすずしげな音、釣られてカナカナが鳴いて温度が下がった。

2018/07/30(月) 教えられることばかりだ
 小金井の宿を出て眼科に出向く。ぶどう膜炎は左目は快癒したというが右目にはまだ炎症が残っていると医師は話し、症状はそんなに悪いわけではないので今度は10月に行くこととした。レオナルド・フジタの展覧会を見に行くついでの治療ということにしよう。でもここの病院は良い。長野でも新潟にでもあればいいのだけれど?
 昨日高島平の幕末史研究家の車に乗せてもらって東京に向かった時に、吉村昭の墓が湯沢インターの脇にあるということを教えてもらった。それでは是非にと連れて行ってもらう。どうしてここにそれも何の変哲もない町営のような墓地に第一回太宰治賞の受賞者とその奥さん、彼女は赤字で掘られていたが芥川賞作家である津村節子さんの墓があるのか不思議に感じた。お墓に手を合わせて熱い日差しに禿げ頭を焼いていると吉村昭さんが脇で「どこでもいいのだ墓なんか!」と言っているようだったいる。自然石には「悠遠」と彫られていた。

2018/07/29(日) 台風さる、大久保hへ
 少し蒸したまま朝になる。雨は時より強かったけれど多分脱出は出来ると思う。
 昨日は大した御馳走で楽しんだ。幕末あたりの話で盛り上がりながら日が変わるころに眠ることになった。これから車に同乗して眼科得向かう。帰りは明日になる予定。

2018/07/28(土) すしの出前だって!
 台風はここを逸れて西に向かうという。先だっての大雨被害地での影響がとても気になる。どうか大過なく過ぎ去ることを祈る。
 昨日の疲れもなく上池台の主事さんと昼前はゆっくり起きだして平成になった時のNHKの「昭和の歌」を見て聞いていたけれど2時間も聞いていると歌疲れで続きは次回と言うことにした。主事さんが小屋に向かって横になっていると長野市の箱寿司屋さんが出張に来てくれた。今夜はお寿司ということになる。ホタテと鮭でここの笹を敷いた立派なものだ。いいじゃな〜い。お土産に長野の水蜜桃も頂いて、おまけにスマホ用のスピーカーまでタイ国のお土産として頂いた。川に面した部屋でひとりスピーカーに聞き入っているといつもと違うもっきりやになった。明日大久保病院に向かって明後日帰って来たらUSBも一緒に買って来てジャズだクラッシックだ演歌だシャンソンとファドまで入れてみようと思った。何だか一編の短編小説を書いてみようかと感じている。何となくもっきりやが変わって行くような気分になった。

2018/07/27(金) 老人ハイキングコースを見つける
 この頃高校時代の友人とよく会う。昨日は十日町で上池台の主任を拾って、今日はどこか山に登ってみようということになって、私もこの頃ゴロゴロばかりしているので復帰への道筋を確認のために同道した。
 カヤノ平から2時間ほどで登れそうな1747mの高標山が良いだろうということになって弁当を二つ作って向かってみた。時計はカヤノ平で10時を過ぎていたけれどそこから300mほど登ることになる。林道(北志賀林道)のゲートにトラックを止めてゆっくり足を運んだ。笹の茂った尾根道を行くと石の祠が見えた。そこで道は途切れていた。遠く妙高、善光寺平と千曲川が望め山並みを追いかけて目の前に2千メートル級の連なりが岩菅、裏岩菅、烏帽子、笠法師で切れて切明に沈み込んでいく。良い風が吹いて弁当を使ってゆっくり昼寝でもして帰って来るのはここが一番老人向けのコースだろうと上池台の主任と話した。痛い膝は早くは歩けないがどうにか行と帰りまで持ってくれた。登りも柔らかいしおよそ1時間半から2時間で登れて樹林帯で涼しい。広い尾根には湿地もあったが水芭蕉も見えていろんな時期に登るには良いと感じた。おまけに静かな山行きだった。これからはこの山を紹介しよう。

2018/07/26(木) MRIの
 MRIというものに入ってブルブルブル、ピコピコピコ、ガーガーガ、ズンズンズン、ポ〜ンポ〜ンポン、プルルプルルピーという音を聞きながら僕は亡くなった親父とお袋、兄貴と猫を思い出して、ああ〜俺は死ぬのだなと感じていた。レントゲンの1千倍の放射線が何処をどう刺激したのか良く分からないけれどこのままあの世とやらに落ちるのかと思った。終わって聞いてみると30分程だと技師は言ったけれどけっこう遠いところに出向いた気分だった。
 歳を重ねてあそこが痛い、ここも変だという頃になると人というものは自分の存在理由に病気と言う証明書を欲しがるのだと感じた。そしてそれでは生きられないとも同時に感じる。
 どう死ぬかを思わなければ、どうにも生きられないことも分かった。ガ〜ガ〜ガという放射線の眼に見えない刺激が症状を明確にするものだということは分かったとしても、出てきた病名に生きる力をなくしてしまうのも本当だろう。先日亡くなった友人の連れ合いは一切の治療をやめて好きな酒を飲む日々を選んだ。結果亡くなったとしても彼は自己の生も死も己の納得の中で完結したと思う。僕もそれに続かなければならない。人は病を得てやがて死ぬのだから。MRIの中で会った親父もお袋も兄貴も来いとは言わなった。ただ ぼくの猫はニャ〜ニャ〜と啼きながら早く来いと言ってるようだった。

2018/07/25(水) 昼中、こまこま、せかせか1
 今朝の8時で外の日陰の温度は19℃でした。夕方になって寒暖計を覗くと26℃ということでした。で今はと言うと面倒だから見に行きません。たぶん23℃といったところじゃないのかな。
 昨日のお客さんはゆっくりここを出て夕方お帰りになったのですが苗場山に向かって6合目あたりまで行ってきたということでした。
 ここで僕は包丁を研いだりカレーを作ったりしただけで足を伸ばしただけだった。少し楽をし過ぎである。
 まず本数が増えたタバコを4本までと決める。家の周りのゴミを片付ける。両親や兄たちの写真置き場をきれいにしてはげた緑のペンキを塗り直しトイレの窓も塗ってやった。茶殻ですべての部屋を掃きだしてどうだと素っ裸になって風呂に入った。時間はかかったが何にもしないでMRIやブドウ膜炎を心配するよりはずっといい時間の過ごし方だった。
 タバコは5本にしようかな?いや、焼酎を一杯飲んでタバコは諦めよう。

2018/07/24(火) 飯山、津南は35℃ほど
 カヤノ平を抜けて飯山へ飯米を取りに出る。ここから30分ほど走ったところにある高原でキャンプ場になっているカヤノ平は標高が1000mは越えているようだ。テントは何組かあるけれど人が見えず遠く木陰に放牧された牛が草を食んでいるばかりだった。でもここの高原は良い感じだ。そもそも空が大きいと感じられる。それだけでもうれしい。
 飯山は34℃ほどで急いで買い物を済ませ、友人のところで米を積み込んだ。栄村に寄って知事選を投票し。精米していろいろと用事を済まして帰り着くと5時になっていた。
 到着予定のお客さんがまだ来ていなかったので買い物を片付け風呂の用意をして待っているとお客さんが到着して共にビールで漠然とした話を楽しんだ。日中の暑さに当たったのか疲れて早めに寝に付いた。夜は涼しくて夏掛けをしっかりと被った。
 今日は10時で外の日陰で26℃。部屋で横になっていると冷たいと感じるのはどうしてだろう?
 熱い街になんかいないでここで昼寝なんかしたほうが良いと思いながら気になるガラスを拭いて包丁でも研いでカレーでも作ってみるか!
 昨日、森林組合が鳥甲山登山道の草刈を終えたようだ。あの道を機会を持っての作業は頭が下がる。しかも尾根筋のこの暑さのなかでの仕事を山に向かう人は思ってみてもらいたい。

2018/07/22(日) 観光客への接し方
 雲が出て、風も吹いて昨日とくらぶべくもなく涼しい。と言っても気温は26℃。太田の先生の曰く、「ここの26度は街の温度とは違う、下手すりゃ寒いくらいだからな」これは誉め言葉なのか来る冬の寒さに対する同情なのかはわからないが思えば、暑い暑いと言っているうちに、汗を拭くタオルが襟巻に変わるのなんかアッという間のことだから一喜一憂することがそもそも間違いなのかもしれない。でも昨日までは熱すぎた。
 明日は預けている米を取りに出るため車を替えるべくごみ捨てついでに対岸に渡る。
 福一さんは今日の日陰に乗じて作業をしている。声をかけると鎌を持ってにっこりと笑った。今度は武雄さんが渋沢から帰って来た3人の釣り人に奥の状況を聞いていた。昔、釣りあがった沢のこと、釣り上げた魚の数を問いながら嬉しそうにうなずいていた。「でもここはどうしてこんなに魚が多いのですかね?」と聞く釣り人には「あなたが上手だからさ、でもたくさん釣れてよかった」と我がことのように喜んでいた。脇でそのやり取りを聞いている僕はこれが観光の原点なのだと感じた。お客の喜びに共感して釣行の辛さを労わってやる心根がお客さんにしてはうれしいじゃないか!

2018/07/21(土) 今回の草刈はやめた
 見るにも嫌だった寒暖計が如何な数値を差しているかとのぞき込むと玄関外の日陰で10時すぎに28度まで上がっていた。日差しの温度なんか知りたくもないから調べないけれど村の本村では31度だという。それでぐずぐずと3時すぎまで室内に身を置くのだがどうも日が陰るとここにとどまるとというのは気が引けて、それではと立ち上がって小屋への道の草を刈り太田の先生は荒らしている畑の草を刈ってくれた。これで草刈は終了するが来月の末にはまた草が気になるようになるのだろう。9月の声を聞かなければ草刈からは解放されない。
 風呂に入ってふと見ると窓に置いたシャンプーやらボデイ何とかという石鹸がまるで人形劇の登場人物に見えた。子供とおっかさん、亭主と浮気相手だ。暮れなずむ空の下壊れそうで壊れない家族のドラマっぽくなったなと笑った。

7月絵日記の続き


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