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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2018/05/31(木) 掃除をしたい!復活するために!
 掃除をしたいのだ。今度の土曜日に大工さんが入って風呂場をゲストハウス用にシャワーが使いやすいように直すのだがそれが終わって、日曜日に大掃除をしたい。掃除は回復で復活でもある。何となく宗教的だけれど掃除、洗濯は精神に良いのだ。復活するためには大切なのだ。
 昨日今日、渋沢から雨の中を帰って来た。二日連続は疲れた。往復5時間ほど3万歩弱の穂数となる。3年前にはエヘンプイプイだったが今年は泣いている。老人はそろそろ引きこもったがいいようだ。
 帰ってチョウを見るとすべて幼虫になるのを見た。先に出た幼虫は1回目の脱皮を終えていた。後、3回脱皮をして蛹になるのだが6月の中ごろ以降のことだろう。これからが忙しいことになる。子供のいない私としては子育てごっこということだろう。

2018/05/30(水) おけさの松
 福一さんは仕事前に事務所にふらっとやって来た。僕らはこれから渋沢行だというとそれはそれはとねぎらってくれた。
 彼は思い出すように目を細めて話した。、まだ若い時に渋沢に荷運びに出た帰り、みんな元気だったから馬鹿な遊びをしたものだ。水平道の5号のサイレンのある所に川に向かって切りたった尾根がある。そこに一本の松が絶壁の端に佇立している。「誰かあの松に上って佐渡おけさを唄ってみたら酒一升だ!」というと満直さんという仲間が「じゃっおれがひとつ」と切りたった尾根を渡りその松に取り付いて上り始めた。当時はみな若く荷運びの帰りで空身だったせいもあって力が余っていたのだろう。滿直さんも元気いっぱいで威勢がよかったのだ。松の天辺までたどり着いて大きな声で「佐渡おけさ」を唄った。そう話して福一さんはこう言った。「ところがさその佐渡おけさが震えていたな〜」とあの時代は何でも一升瓶で人は危ないことも楽しんでしていたようだ。今でこそやれ危ない、責任だ、安心、安全だという時代になってしまったけれど、その分人間が小さくなって面白くなくなってしまったようだ。
 バンドリ沢に春ゼミが落ちていた。手に取ってふっと息を掛けて放るとドタドタと飛び去った。ともに写真が悪いが、ごめん!

2018/05/29(火) 昼寝が出来た
 4日ぶりに仕事に出るとちゃんと時間には休みがあるし昼の後は寝ることが出来る。ここの仕事はネクタイを締めて通勤電車に乗るでもないが都会での仕事と比べるとずっと良い。街で苦しんで暮らしている人たちはこういったところで暮らすことを思い浮かべてみるが良い。そりゃ楽なことはないが嫌な奴に気を遣うことではなく流れる汗を拭う暮らしの単純な軽快な生き方に目覚めることが人間の成長なのだ。この国の組織というものは会社にしてもスポーツクラブにしても社会運動にしてもどこか間違っている。石牟礼道子さんが言うように「逃げられない所 逃げられない処 東京へと流れ着く」ということだ。日本の地方が元気だった幕末へ戻るということはできないけれどあの頃の日本の地方は今の100倍の元気があったはずだ。都会では仕事は選べないし ここでも仕事は選べないけれどここだどこだって気を使わないで立小便が出来るじゃないか。
 昨日の水場の整備で糠蛾に食われた両手両足がかゆくて仕方がない。それでもゆっくり掻いてみると結構快感だ。力を入れてはいけないぞ!

2018/05/28(月) 水場の問題が解決された
 チョウの残った卵は卵は黒く色づいて明日辺りにはみな幼虫に変わりそうだし 先に幼虫になったものも少しづつ大きさを増してきたようだ。ヤクルトの入れ物に差した食草を食べているようで葉を食べた跡まではっきりしている。
 今日は先生のいるうちにと水場の整理を行う。山の水が細ってどうしたのかと思って水場に上って行った。全体の水が細っているのだろうとひとり納得していたのだが水は結構来ている。さて?頭をひねっていると先生の曰く。「ここずいぶんみずがながれているじゃない!」そこでタンクのジョイント部分を掘り出してみるとどうも雪に押されてジョイント部分と黒パイが外れているじゃないか。これには自分の不注意を断じざるを得ない。それも2カ所。先生の忠告に頭を下げてパイプを繋いだが、番線を持って行って接合部分を強化し、毎回水場整理の時は接合部の確認の要があると心に刻む。それでも1年2年何ともなく過ぎると忘れちゃうのだだよ。これからは面倒なことは余計にそうなる。それでも水が少なくなったときはどうするかという経験を積んだことになる。
 風呂場の改装のために新しい中古の浴槽を貰いに出て十日町で部品を見るも結局業者に頼んで来た。シャワーの水で湿気を少しでも抑えるべくシャワー用のカーテンを買って来る。先生は冷やし中華、僕はオガワメンを食べて7時になった。先生にはありがとうと言っておく。
 三角小屋で上水をタンクに遠しているとアカショウビンが山から背中をかすめて川に向かって飛び去った。はっきり確認出来たわけではないが飛んで行った先の木の枝が揺れていた。夕闇が迫った7時だった。

2018/05/27(日) 時計は8時前だ
 昨日はアカショウビンの声を聴きに友人が来ました。朝は風呂馬の改修の準備に大工さんが来ます。その後、K先生ともっきりや道、川西道の草刈を行いました。
 友人は朝の4時に鳴き声を聞いたといいます。ここにはいるのです。でも姿を見せません。それでいいのかも。
 おお帰りになった後で昨日の続きの草刈。右岸側の草刈。一休みして川西道に沁みて出て来る水を側溝を深く掘って対応する。それとU字溝が低く走りにくい個所をコンクリート面に合わせて調節。コンクリートを練って修理。最後にS字カーブの側溝に落ちた石を取り除く。時計は8時少し前を差していた。K先生ともども疲れる。

2018/05/25(金) この医者大丈夫かと、見つめる
 毎年1回胃カメラを撮るようにと担当の医師に言われたのだがその医師は開業をされたようで別のお医者の内診を受ける。ちょっと心もとないお医者だったが内視鏡は別の医者だというので少し安心もした。
 今朝のことだが蝶の先生が確保した30余りの卵、その半分が楊枝の先ほどの幼虫に変わっていた。始まったのだ。
 草刈り機の修理を頼んで壊れる前に消耗品を買った。何やかやでお金はかかったがしょうがない。飯山で食材を買って、昼をそそくさと済まして帰る。この辺りでは気の利いた食事は取れない。道すがら援軍のKさんと明日明後日の作業を考えながらハンドルを切った。草刈、U字溝の調整、水場の整理。それらに必要な道具を思い浮かべ、無いものは会社で借りるようになる。人が増えれば3倍の作業をこなせる。天の助けだ。
 日大というのは闘争後に変わったと思っていたけれども体育会にはまだ古田体制がのこっていたのだな〜まるで日本陸軍のようだ。でもそれって日本の組織そのもののようにも感じるな。

2018/05/24(木) タイヤを替え、アカショウビンを聞いた
 昨日は高校時代の友達からメールが入る。僕は勉強も出来なかったが彼は級長をやっていた生徒だった。この頃何となく彼を思い出していた時もあった。その彼から「あなたはあの時代の長谷川さんではないでしょうか…」と連絡があった。その夜、明確に彼がではないがあの時代の夢を見た。何となく高校生の夢だった。
 昨日までは渋沢方面の道の整備で疲れる仕事だったが、どうにか今日まで続けて仕事に出られた。風邪は相変わらずだが体力は膝を除けば戻って来たのだろう。
 「栃ノ心」の相撲を見て勝ったとたんに拍手をした。外国からひとり一番古い因習の相撲界に入り、けがで幕下50番台まで下がった男の復活には泣けてくるような嬉しさがあった。横綱も姑息なことをせず真っ向勝負ですっきりした。思うに最も日本的な世界が制度的に公平に番付を組んでいる。強ければ大関でも横綱にでもなれる相撲界はとてもフラットで先を行っているのではないのだろうかと。
 その時外で「アカショウビン」の鳴く声を聞いた。玄関前で鳴いていた。姿は見えなかったがその声は聴きとった。今日は車のタイヤを夏用に変えた。そのご褒美なのか、それとも昨日の誕生日には間に合わなかったけれどアカショウビンを強く気にしている同い年の友人へのプレゼントになればいいと思った。

2018/05/23(水) どうにか降らず
 薄紙一枚良くなったようだが相変わらず咳、鼻水、くしゃみ。それと膝の痛みが左右に出る始末。ことに下りの歩行がおっかなびっくりになってしまった。「ちくしょー」
 その分とにかく早く寝る。9時には寝やしないが時計を見上げる目がちょっとおっかなびっくりで、そろそろ寝なさいと諭されているようだ。
 天気の予報は昼過ぎから雨で昼飯も降らないうちにと食べ終わるとすぐに働きだす。寒くてじっとなんかしていられない。渋沢方面の土砂整備でどんどん遠くへ向かっている分 帰りが長くなる。辛いのだけれど歩かなくては風呂にも入れない。
 道路情報はカヤノ平へは14日に通行可と書いたが通れず17日だというのでそう書いたがまだ通れない。25日という人もいるが通れるとはもう言わないことにする。実は整備は済んでいるとも聞くが建設事務所の判断が出来ないようなのだろう。
 仕事仲間のKさんはいつもニコニコして感じの良い青年なのだ。

2018/05/21(月) 渋沢往還
 8時になろうとしているから手短に安否確認の日記になる。 
 今日は久しぶりに仕事に出ると渋沢までの長躯となるという。さて行って帰って来れるかと危ぶんだが6時少し前に帰って来れた。それでも安直に行くとは言い難いな。長い山歩きだった。それでも行ってこれたのは頑張った証拠だ。と言うものの大したことではない。途中シラネアオイを見るもツツジは散っていてシャクナゲも終わっていた。例年だと沢筋には雪が山のように残っているのだが今年はその残雪がない。少ない雪だったということだ。
 先週からのかぜが抜けなくて鼻水と痰が出て困った。熱でも出れでば寝てられるのだがそうもいかん。

2018/05/20(日) 風が冷たい
 昨夜はお客さんがあって懐かしく昔話をしていた。昨日はそんなに飲んではいない。蝶の先生とも付き合うのでいい塩梅の一日だった。それでも疲れは同じだ。
 先生は蝶の卵を30ほど見つけて来た。ある程度大きくしたら20ほどは自然に返そうと考え、残りの10ほどをここでさなぎにして来春に放す予定だ。ここには毎年採集家が集まって大きな網を振り回す。そのうちにここの蝶はいなくなると思われる。「沈黙の春」は環境ばかりではなく人間の偏執的な欲によってももたらされる。長野県の環境行政に一役買ってもらわなければ進まないが、こっちはそれだけの体力がない。せめて食草を増やして行くことくらいだ。
 昨日は寒く薪を炊く始末でもしかしたら山は雪でも降っているのかと気になった。お客さんがお帰りになって、蝶の先生を津南へ送ってから4時間ほど草を刈る。すると長岡ナンバーのベンツがS字カーブを下って来た。ご老人の運転になる車は道を間違えた。展開して戻る車を見送りながらどうも秋山林道で津南方面に帰るという。ああいう高級車は力があるのか戻って来ないところを見るとちゃんと戻ったのだろう。
 小屋への草も刈ったが5月いっぱいは草刈三昧となるのだろう。毎年のことで今年はアルバイトを休んで専従とならなければ終わりそうもない。

5月絵日記の続き


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