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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2018/04/30(月) いい塩梅の連休の入れ込みになる
 夏になったような気温で家の周りの雪は消えた。
 昨日はお客さんの作る料理も入れてごちそうになったがあくまでこれはイレギュラーであるのでいつもは3,000円の内の料理になるのは当たり前であります。ゲストハウスもっきりやは未だこのホームページが変わっていないので旧来通りということになります。まっ梅雨が明ける頃には素泊まり3,000円夕、朝共に各500円となりそうですのでそこのところは宜しく。
 この頃どうもいけないのだが、今朝も去年飛ばされた風鈴を見つけた。ポケットに仕舞ったと思ったのだがいくら探してもないのである。こういったことは寂しいことで悔しくていろいろ探したけれども見つけられなかった。しょうがないからひとつ南部風鈴を買おうと決めた。
 お客さんが続くがそんなに大人数ではない。一人、二人位の人数だと疲れもしないでのんきに出来るからいいものだ。

2018/04/29(日) カメムシ殺しの烙印
 朝にちょっとうすら寒いように感じた。ストーブに火を入れてもあもあと暖を取る。
 洗濯の後に布団を干して掃除をする。気温が上がってカメムシが動き出す。私はこの虫がどうもいけない。ここに来た頃2階の廊下にびっしりとカメムシがうごめいているのを見て、すぐここを出ようと感じたことがある。ここをうごめくカメムシはヤマトクサギカメムシで嫌な臭いは同じだがこの臭いはどことなく土臭いように感じる。対岸の温泉場にはエメラルドカメムシ?という小粒な青っぽいカメムシもいるがこの臭いは金属的なよりなじめない臭いがする。200種類もいるというのだからどれがどれだか分らないが冬になる前に隙間から入り込んでこの時期に外へと出て行く。夏は繁殖であざみや草の中で植物の液を吸っているようだ。人間がクサムシノいるところに家を作るから入り込んでくるので本来は杉の木の樹皮に入って越冬すようだ。
 布団を干すとその中に排泄したり、洗濯物を汚したりする。それで今日のように気温が上がると湧いて来るように感じるほどイライラさせられる。
 私はペットボトルを工夫して灯油を入れて処分するのだが結構重さがあって量が増えるとズシリと感じる。この辺りの人はおおらかで見つけると外に出すけれど、そういう訳にはいかない。廊下一杯のカメムシを見た記憶はそう簡単に消せやしない。見つければ灯油入りのビンなどにほおりこんで処分する。今日だって2〜300匹はつぶした。
 よく観察すると彼らは敵が来るのを察知して実に上手に身を隠したり、陰に同調してピタリとも動かない。あのセンサーはきっと何かに応用できそうなのだが私の仕事ではない。彼らは重さがある割には羽が小さいのだろう80〜100mも飛ぶと飛行が続かない。つまり秋の暖かな風のない日に大挙してやってくる。また今日のような日に風もないころに外に出る。カメムシ殺しの私は死んだら500回はカメムシに生まれ変わって人間に殺され続ける運命が待っていると思う。しょうがない、因果応報なのだ!今もトイレに行くと7匹のカメムシをみた。もちろん殺した。困った癖になった。

2018/04/28(土) 手伝いと昼寝
 お客さんが再会ということで一杯のビールをついでくれた。それではと私も返礼の杯を返そうと思った。
 朝早く苗場山へ向かうお客さんを送り出し、8時に屋敷の薪割りを手伝い始める。ひとりでの仕事は進まないが二人での仕事は三人前の量をこなす。半日で手伝いを終えて帰り着きホッとした所でお客さんかから電話が鳴った。なるほど連休の始まりなのだと思ったが昨日も今日もお一人様でこのぐらいが私の仕事量にはちょうど良い。
 食事の後で昔話を交わしながら若かったころの失敗を思い出して笑った。昔話と大笑いには焼酎があっている。レモンなんかを切ってそれぞれの宝焼酎を飲んでみた。うまいと感じた。

2018/04/27(金) 新もっきりや実験
 一日おきにスカッとした天気にならない。そうこう言ってるうちに桜も盛りを過ぎて期待した分少し肩が落ちる感じだ。それでも気まぐれの桜も良いけれど、これからの新緑の美しさはいっそう目を見張るようになる。山毛欅だ欅だ、楢だ栃といい季節になる。
 今日はお客さんがいらしてお一人だが料理の勉強方々いろいろと工夫をしてみた。朝に作ったえのきだけの煮物や切干、豚汁にてんぷら。ビールやお銚子も出してもっきりやの「食」を提供する。他に無いかというのでレバニラ炒めも出すとペロッとお食べになった。新しいもっきりやのシステムを試すには良い勉強になった。ちゃんと明日朝にお代を頂けるというものだ。あまり大勢では当方ひとりなので対応は出来ないがそれなりの努力はしてみる用意はある。
 明日は薪割りの手伝いに呼ばれている。断れない!

2018/04/26(木) 用事があれば往復6時間、旅行だな
 昼になれば濡れた荷台も乾くと11時からゴミを積み込む。対岸のお宅によってそこのゴミも加えて1時からのゴミステーション開場に合わせる。途中開拓の桜は盛りを過ぎた風情だった。
 ゴミを片付けてホッとして十日町へ向かい床屋で散髪、買い物をウロチョロしながら終えて友人の新築祝い用の広辞苑も買った。昼がまだでそこで済まし何気なく見ると時計は3時を回った。燃料を入れてぐいぐいと秋山街道を上りながら東秋山林道を越えられるかと気になった。越えられずともカタクリの花でも見て来るかとハンドルを切って坂道をうねりつつ上って行く。トンネルの手前にカタクリの群生がある。見るという感じではないがとにかく咲いている。写真だけ取って直、秋山へと向かうとトンネル前の通行禁止の看板が立っている。すり抜けて再び秋山街道に戻る。志賀方面の遠くの岩菅山、烏帽子岳を見ることが出来た。東秋山林道はどうにか通れるようにはなっている。運転次第である。
 やはり昼から町へ向かうというのはこの時間になってしまうものだ。買い物を下して片付け終わると、外はすでに暗くなっている。ここは遠〜い僻地なんだなと確認するけれどそこが良いところだと一服した。

2018/04/25(水) 掃除をしたりテレビを見たり
 雨音を聞いて起きだすのもゆっくりだった。昨日寝つけに見た「デスライヒ −ヒットラー死の部隊」を見てしまった。今日もやるが録画にしておこう。
 昨日よくやったと誉めるお言葉を頂いたのでそれならと調子に乗って雨でもあるし続きに取り掛かろうと思った。のだが大谷君が投げるというので朝食のついでに6回まで見てしまった。低めに投げる球は勢いがあったように感じた。良い時も悪い時もあるのは必定だとしても今日はよかった。
 で立ち上がっていらない服を集めて、倉庫の片づけをつづけた。すると今度はウオーレン・ビューテイの「レッズ」が始まった。レッズと言ってもMLBじゃないよ。ロシア革命の取材に単身ロシアに密航したアメリカの社会主義的?記者が見たロシア革命の内面。これがいいのだ。持っていたDVDが見つからないのだけれど今日はテレビで見れた。3時間半近いのだ。昨日の「大統領の陰謀」といい長いテレビは家庭の敵でもある。何も出来なくなってしまう。先日来ていただいたご婦人も食事の後BSをつけていたら「BSでは仕事が手に付かなくなる」と立ち上がったけ!
 玄関はトラックに積み込むごみが山のようになっている。それでも昨日今日の仕事を忘れずにどんどん身軽にしておこう。それと軽くなることは健康的でもある。

2018/04/24(火) ごみ捨ての前に大掃除になる
 軽トラが戻ったので明日辺り冬の間中のゴミを捨てに出る予定を立てる。
 缶だ、ビンだ、古着だ、壊れた機械だと集めているうちに倉庫の煙突が邪魔になった。片付けながら今年はどうにか過ごしたけれども煙突の掃除と取り換えを片付けながらやるかと思いついたのが運の尽きだった。あれはひとりでは面倒で行ったり来たり、外したり付けたりで、おまけに雨が降ってくる始末だった。嫌になったが途中でやめるわけにもいかずテレビを見たりお茶を飲んだりとぐずぐずして4時を過ぎた。食事も面倒なのでトースト3枚とオムレツで9時までかかってどうにかめどを立てるとこまでやってみた。明日は雨だというのでごみ捨ては明後日にしてもう一度掃除のやり直しをしておこう。ここから湯の桜、索道の桜ときれいに光っているが、私はすすだらけで見に行く時間がなかった。

2018/04/23(月) ご婦人の目線
 お帰りになるご婦人の車で津南に出る。彼女らは清津峡の温泉に寄って帰るという。この温泉はなかなか良い。
 私が津南から冬の間預けておいた軽トラを引き取って帰ったのは6時半だった。お礼の電話をするとまだ高速に乗っていないという。ご婦人というものはどうものんきなもので同い年のおふたりは夜の高速を帰ることになる。運転する車は格段の違いがあるが私のおんぼろ軽では夜に高速を走る自信がこの頃失せた。ご婦人というものは強い者である。ひとりで暮らすことは寂しいものもあるがご婦人の強さを横で感じながら暮らすというのもなかなか勇気のいることだと思った。
 ところがご婦人は私と比べて目の付け所が違うなと感じた。まずイワウチワを見つけ、ヒトリシズカを探し、ウドを発見する。昨日は木の芽をもって来るし、山のようなフキノトウを片付けた。とにかく目の付け所が違う。放っぽってもいられないから一緒に動いたが疲れた。それは動き疲れたりするだけではなく話し疲れたということもある。ずいぶん笑ったせいか誰もいないもっきりやに帰って来るといやに空間が広く感じたし心細さも浸みて来た。
 

2018/04/22(日) 桜と山菜とおぼろ月 か!
 今日の天気を見て残りの敷布団を干し終わる。友人の来るのを待ちながら開拓の桜の前で座り込んでいる。晴れたいい天気で日当たりで汗ばむ。ちょっと早いのじゃないかと残っている雪を見るが、心細げに雪はみるみる消えて行く。
 ご婦人の採って来たフキノトウを洗って刻んでフキ味噌を作る手伝い。先日作った私のフキ味噌を試食してもらう。これでは持たない。もっと味噌を強くしないと、とのご指導。しかし小分けにして冷凍すればいいと教導を頂く。確かにフキ味噌というのは弁当のおかずや酒のつまみとすれば箸の先でなめるように口に運ぶものなのだろう。今日は量も多いのでフキノトウの味を残して煮物っぽくすることにした。3人で台所に立つと仕事が進む。シドケ、コゴミ、木の芽、ヤマニンジン、葉ワサビと次から次と片付いて行った。
 今日はおぼろ月夜だよと新宿のお姉さんからメールが届いた。桜が月の明かりで浮かべばいい夜になるが桜がちょっと少ないか!
 二年前もこの頃、桜が満開だったと思い出した。
 

2018/04/21(土) サクラサク
 村からの配りものを貰いに出る予定あり。土産の総菜を作って敷布団を干す。一日晴れる空だ。
 本当は開拓の桜がこの陽気でどうなったのかと見に行かなければいけない。お仕舞の山桜が咲きだしたのだ。
 開拓の桜は一気に咲きだした。この木は少しおっちょこちょいなのかもしれないが秋山の桜をリードしているようだ。屋敷に向かう秋山林道でも咲きだした木も見える。それでもソメイヨシノと違っていっせいにというのではないようだ。屋敷を出て湯の桜が気になる。湯の桜はまだ1分咲だろう。今週はいい気分で秋山を歩けそうだ。
 布団をしまい込んで、思索小屋の片付けをして5時になる。こんなに暖かいと小屋でぶらぶらしているのもいいものだ。小屋の前に焚火が出来るような穴を掘ってブロックで囲って青草が生えるころに炎を見るのもいいなと感じた。いやきっと良い。今時の人は火の不思議さや怖さを知らないのだろうから経験としても良い。

4月絵日記の続き


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