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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2018/12/31(月) 年末と新年の合間に健闘を祈る
 晴れは時々で屋根の雪下ろしを手伝ってくれる方を迎えに出る。新雪がゆるく足が固まらなかった。2時間かかって湯に上がる。車には優に1mの雪。重そうで如何にするかと悩む。友達は自分の車の置き場所に雪を片付けている。お嬢さんの頑張っている。
 今回の新雪1.3mには参ったが毎年何回かはあることだ。共にかえっておでんとお酒を飲んでいる。明日は屋根に上るが無理はイカン。な〜にひとりでもやるだけだろう。
 みなさんこの一年わたくしの愚痴を聞いて頂いてありがたく存じます。一年の終わりにこの年に亡くなった大切な方々へ、僕もすぐに行くからとの伝言を込めてまだ戦わなければならない多くの友人¥のご健闘を祈りつつ、明日も元気で!と祈ります。じゃ 失敬

2018/12/30(日) 八甲田山かくありなん
 3日降り続いた当地は八甲田山になってしまった。降雪量は強風が吹いたせいで でこぼこがあるのだけれど1mの余はあるようだ。一気に積もった雪は綿のようでとらえどころがなくカンジキを履いてでも腰まで埋まるようだ。こんな雪の中で5連隊の雪中行軍。装備もない時代の痛さの一端を感じた。兵隊なんてなるものじゃない。あんな訓練を企てる指揮官は今でもどこにでも居て人々にいつも犠牲を強いる。変わっていないな日本の組織って。
 結局対岸には渡れず、家の周りの雪を少しづつ片付ける。川側はそう、小さなゲレンデだ。今日も玄関の上の雪を下した。昨日下ろして今日は40cmはあったかな?
 今朝のことだが寝ていると天井裏でガッタンガタ、ブルブルと大きな音がして目が覚めた。いや、びくっとした。質感からすると大きなケモノ、ハクビシンではなかろうかと大声を出して威嚇するも奴は天井裏を何事もなかったようにゆっくり、ふてぶてしく去って行った。何というか悪漢が俺を縛り上げて金品を盗んで立ち去る時にちょっと振り返って凄んで行くような感じだった。たぶん侵入口はここだと思っている。屋根にかかる梯子を上って雪の中にトンネルを掘って隙間から入る。雪下ろしが終わったら今度は梯子にシートを巻いて登れないようにしてみよう。まず。それにしても雪降り止まず。雪構いは嫌になるだけだ。こんなふうになると雪を楽しもうとは思わなくなる。一日でも早く年が明けて、1月が過ぎて2月も終わってくれないかと祈りたくなる。でも今年は大雪にはならないと思っている。

2018/12/29(土) 大雪続き ひとり楽し
 いや〜よく降る。1mは越えたと思う。それでも12月は降らなかったのだから得をしたということだ。良いと思えばすぐにこれでも参ったということはない。降らなきゃ街の人が困るのだからバランスの上でもこれを受け入れるのが山で暮らす人の覚悟だ。
 今朝は7時になんて起きやしなかった。朝令暮改は世の習いだ。起きだしてお客さんが来るのでここのおせち おでんを作ってから外に出る。雪片付けで家の周りと下屋の雪を下す。消雪の水で少しでも融かそうということだ。2時間もかかってしまう。それから朝食を頂いてストーブを点けて落ち着いたのが昼前だった。
 こうなると降り止むまでは何も出来ないので読みかけの「八甲田山死の彷徨」を読み始める。高島平の旦那が八甲田の谷地に行のならこれは読んでおかなければと渡されたものだが八戸でピタリと本を閉じた。いや他人ごとでは無いと感じた。冬の寒さで指が凍って小便が出来なくて凍えて死んで行く青森5連隊の兵隊の記述に感じたのだ。冷たくて指が使えなくなって垂れ流して凍って倒れる。そこまでは無いとしてもそれに近い体験はある。昨日までの晴れが突如として大雪になった今回のような低気圧に遭遇してしまえばそれは僕の体験ともなる。これは嫌だよ。電車で最終で小便に悩まされても死ぬことはないけれども、ここではひどいことになるのは必定だ。だから読み進めなかったが今日はストーブも漬けたし豆炭炬燵も用意したのだからと読んで行く。するとお茶ばかり飲んでいるのでトイレが近い。近すぎた。外は細かい雪が糸を引くように降るのを確認した。一服つけてテレビを入れると「72h」の総集編に出会った。本もやめてテレビの前で焼酎を飲み始めてしまった。だって、今見なければ見過ごす番組だろう。NHKのなかでは1,2の番組だ。それを見ている。雪のことなんか気にしちゃいられない。いろんな人が悩み笑い照れ怒っている姿は見ておくべきものだと大雪に閉じ込められた僕が見ている。「な〜んだ みんなおんなじじゃないか」と

2018/12/28(金) 日暮れまで50cmか!
 冬の一日は直ぐに日が暮れる。だから8時まで寝ていたのでは何も出来ないと気付いてこれからは7時起きとする。6時じゃ何だか貧乏くさい。それに寒くもある。3月まではしょうがない。裸足のまま台所に立って冷たい、寒いでマキまで引き入れたりと大忙しだ。どうも田舎の暮らしはボクトツであって、野暮まで届かないがそうでなければこのようなところのひとり暮らしは続きゃーしない。音楽も本も映像だって楽しむことは出来ない。それにしても冷て〜 おまけに今日は大雪だ。ことに降りは昼を過ぎてギアを上げたようだ。−6℃の温度は−4℃まで上がった(?)けれども豆炭炬燵に入って本を読んだり居眠りをしたりするだけだ。上等だよ!

2018/12/27(木) 災難を除ける法…
 食材を買いに出る。天気は曇ったり降ったり、雨になったり晴れたりと忙しい。
 用事を終えて帰って来ると栃川の上のカーブで左の前後のタイヤを落した。上がりそうでそのまま10mほど進んだがダメで側溝に雪を入れて固めて脱出。そういう年になりました。そのあと車がイタイ、イタイと泣いていました。また修理か中古のおんぼろを探すかと考えながら帰った。
 思い出した、つまり災難に遭う時節は遭うがよろしく、死ぬる時節は死ぬがよろしく、これが災難を除ける法だと良寛さんは言っていた。そうなのだやってしまったことはしょうがない。暮らすということはそんなものだ。旅ではこれといって災難に遭わなかったのだからよかったのだ。
 大雪の警報は出ているが気温はまだまだだ。しかし、降り込められたら降り込められる、それが解決策だと理解する。

2018/12/26(水) 寒いのだか暖かいのだか
 朝のうちは寒いと思った。寒暖計は−2℃ということで室内の温度が上がらない。
 昨日は水の出が悪くごみがストレーナに詰まったようだ。それを直し、ぶらぶらしていたが外の方が暖かく感じた。雪も積もった後に降った雨と気温の降下で表面ががさついていて、ぼそぼそっと長くつをのみ込む。何となく旅の思い出に疲れていたがおかげでゆっくりできたようだ。これで良し。
 明日辺りから雪マークがついて、警報も出るようだがまだ降る寒さではないようだ。降ったら降ったで部屋に籠って尻をぼりぼり掻きながら寝ていてやるのだ。でもテレビは良くないのだけれど何となく付けてしまうのだ。まっつそのうち飽きるだろう!

2018/12/25(火) 旅の終わり
 旅の途中で都会に向かい、その波にのまれて旅のほんわかした気持ちが吸い取られたように感じた。旅はそこで終わったようだ。
 報告しておこう。あれから僕は遠野に向かい立派な真面目な遠野物語の館を見たのだが心に残ったものはDVDで見せてもらった語り部役のご婦人の話だった。そこで僕もDVDを3部 買い求めて新そばをすすり熱燗をのんだ。そこからバスで伝承館に寄って例の作られた河童渕を覗いて遠野YHに向かった。YHで2段ベットへの寝具の設置に苦労して洋風の夕食を頂いて横になると9時を越えていた。一番のバスに乗って北上線を目指すもバスは遅れて連絡せず。一本遅れて花巻で少しの時間を追いかけて賢治碑を見るべくタクシーを走らせて帰ったがここでも列車に間に合わなかった。それでも水沢を見て北上線から田沢湖線に乗って盛岡へ帰ったのが7時になった。夜行バスで渋谷へ帰り着いて山手線に向かう人の群れに足が止まる。流れに乗れなかった。荷物を津南へ送ってから友人のお誘いを受けて牛久。翌日は千住時代の友達たちと会って調布へ泊る。膝が痛くてふらふらと歩きなれた道を行くのだが年寄りの歩みだった。連休の18切符の混み方を気にして24日に新宿から10:12発の快速で高崎、水上、越後川口と回って十日町には16時だった。津南で泊めてもらって帰り着いたのだが吹きだまりに無理して突っ込んでスタッグする始末だった。
 帰ってゆっくり足を伸ばして寒い部屋で僕は人心地をついたようだ。とにかく今回の旅の、東北の自炊宿それぞれに懐かしさとゆとりを感じた。温泉の洗い場なんか使わない、こんこんと流れるお湯とゆげとぼんやりと灯る電球とその暗さに心がざわめいたことが発見だった。この調子でぼんやりと暮らして世の中にひたってみようと思っている。旅は良い。

2018/12/19(水) 旅の途中3
今日は大沢温泉に薄らと雪が積もって大沢温泉に自炊部劇場の観客席はため息が溢れている。
さて、ちゃんと起きて朝風呂に入り、部屋を片付け、夜用を足して支払いを済まし、朝食を取って荷造りを終えストーブを消してコタツの元線をはずした。部屋の中央に立って座敷童子に頭を下げてお礼をする。予定通りのバスにのって今日は遠野をみてまわる。曙の空には日があたって冷たい風を楽しんでいる。

2018/12/17(月) 旅の途中2
大湊の友人宅で用事を済ませて、本八戸に寄って安藤昌益資料館に入る積りが時間を間違えて急遽、八戸に戻り八甲田、谷地温泉にむかう。なるほど八甲田、少ないと云っても朝は除雪の音で目覚めていた。ここは37度の透明な湯と43度ほどの硫黄泉が並んであって湯客は12時間はじっと湯船のなかだ。木の浴槽と暗い電球のなかの2時間はアット言う間だ。高友旅館の浴槽とここのお風呂はなんだろう。天国ではないとしもそこにいたる道程のなかを歩く亡者のための一服のお休みどころのようだった。
歩いてみないと分からもので僕は30年つまらない時間をすごしたのじないかと気になっている。

2018/12/14(金) 旅の途中
昨日は十日町駅、5:50から鳴子御殿湯駅17時まで車中にて遊ぶ。高友旅館自炊部泊。何種類もの風呂を回って気がつくと居眠りしていた。奥羽本線の大石田から舟形までロングシートの対面にすわったおんなの人が良い女で70才で無ければ結婚をお願いしていたかも知れない。良い女の娘だった。高友旅館のうすぐらい浴槽で狐でもいいから出てこないかと念じた。今どきの狐は化け方を習わないらしい。

12月絵日記の続き


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