来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
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2018/11/30(金) 湯沢で飲んで、牧之記念館にも寄った
 昨日は御普請組の打ち上げで越後湯沢温泉泊。良い会社だな〜。何となく去りずらいのはそんなところなのだ。
 その前に眼科へ向かい眼圧は薬を差さなくても落ち着いたという。つまり何というか僕の疑心暗鬼が大騒ぎの原因だったのかもしれない。いや症状はあったのだから治ったということなのだろうが。3時すぎに大きなホテルに入って風呂にもつかって肉もアワビもカニも頂いて刺身やノドグロの干物も食べたのだ。ビールも、酒も飲んだ。歌だって唄ってやった。昨日は演歌で三波春夫の大利根無情と唐獅子牡丹なんかを酒の勢いで調子づいてぴんからトリオのひとり酒を次に唄うと準備していたら、時間切れとなった。久し振りに唄いたかったのだけれどそれはしょうがない。
 今日は17号を下って六日町の竹俣から鈴木牧之記念館をゆっくり見て帰る。道脇に桜の木が花をつけていた。ありゃ!と思って記念館で聞くとその木は毎年この頃にも咲くと教えられた。桜もおっちょこちょいの奴がいるもんだと写真を撮った。

2018/11/28(水) 出所なんだ!
 年を越へると直ぐに70才になる僕は渋沢への歩きが遅くなって仲間について行けなくなった。こうなると御普請組の仕事への参戦が難しくなる。
 今日で仕事との距離を取ることにした。毎日の弁当も今日で最後で朝のこの辺りの景色もいつものようには見ることもなくなる、かも知れない。
 「もういいだろう」と感じている。
 渋沢へ行く高橋橋の踏み板を外した。何だか世の中との架け橋を外すような最後の作業だった。踏み板を片付けていると波模様のグレーチングが一文銭の波のように見えた。いい感じに積み上げたけれど僕の現役時代の仕事がこのようにきれいだったとは思わない。山あり谷ありの毎日だった。しかし、面白かった。
 感慨というものはないけれどさらりと現役の仕事を終えることが出来た。帰って来て、兄や父、お袋や伯父さん方に線香を立てて報告をして燗酒をつけた。 
 さてこれから残りの10年どんな桜を見てどんな旅をするかとわくわくする。世間は何と言おうとも僕は僕なりの残る仕事をしなければならない。10年といったてフルに使えるわけではないのだから、せめて5年は戦わなければならない。下ネタ小説でも書くか、シナリオでも書いてみたいのだけれどどうも怠け者だからな〜

2018/11/27(火) 水作業には日差しが力だ
 9月の大雨で流れ下って来た土砂を取り除く作業あり。大きな流木もあるのだけれど若い方が主に片付ける。土砂はエンジンポンプでくみ上げた水の力を借りて押し流した。水を被って面倒な作業だけれどちょっと面白い。子供の水遊びに近いのかもしれないが上手く作業が組み合って仕事が進んだ。おまけに今日は暖かく震えることもなかった。
 帰りしな苗場山方面を眺めると山が夕日を受けて赤く染まっている。今年の冬は本当に暖冬だと思うのだ!

2018/11/26(月) 雪にならず雨だ
 朝は雨で9時には止んだけれどこの中で仕事かと出がけには頭を掻いた。
 バイトも今週には終わりそうだし、長い間つづけた労働も終着駅ということになる。車庫に入ることになる。学校をやめてから50年も続けた労働で一番嫌だったのは出稼ぎで運転したタクシーだった。良かった仕事はあまりなかったけれども最後のこの労働は結構僕にはなじんだ仕事だったように思う。まず仲間が良かったな。身体は使ったけれど秋山郷で住んで良かったという仕事だったな〜。まっそれは良いとして今日はもっきりや道を使って帰って来た。来月の22日冬至まではもっと日も短くなるけれど東京の出稼ぎの激しい労働の最中、冬至頃の辛さから見れば外の景色が見られるのだから上々だ。
 で、もし来月の10日頃にここを出て飯山線、信越線、羽越線、米坂線と北に向かえば花巻には19時ごろには到着が可能だと確認した。でも暗いうちに宿に入るのも面白くないのでその日は奥羽本線のどこかで泊まるとして翌日大沢温泉か鉛温泉に入って2〜3日湯治としよう。盛岡、八戸と回って大湊から下北半島を廻ってみたいと思う。懐かしい湯治場に何十年ぶりに泊ることになるだろうかとちょっと面白い。本当に久しぶりの旅になるな〜 そうだ、新庄から肘折温泉という手もある。懐かしい湯治場だ、行ってみるか、!

2018/11/25(日) 快晴嬉し!
 中津川右岸側では日差しの中で雪が消えたけれども左岸のこちら側ではまだまだ雪道が残る。日差しには大変な力があるな〜といつも感じる。
 青空に浮かれてここの上空を飛び去る旅客機を探す。フライトレーダーというアプリで見ると昼前には何機もの機体が、今日のような晴れた日には飛行機雲を引いて過ぎ去って行く。高度33,000フィート速度500kほどで737や787がソウルインチョンから羽田や成田またNYに飛んで行く。萩原朔太郎の詩に「フランスに行きたしと思えど、フランスはあまりにも遠し…」というのがあってここに居て何となく見上げる空に鬱屈とした思いを馳せるときに飛び去る機影を見ているとに思いが重なる。行きてえ〜な!ということだ。
 このところ酒を控えている。いや、やめたわけではないけれどひとりでぐずぐずと癖のように飲んでいても美味しくはないしなにか良いことがあった時に飲めばいいだろうと感じた。酒もたばこも癖で手が出るだけだけれど、どうもタバコは6本ほどはすってしまうのだな〜「せめて汽車に乗って旅に出る いまだ過ぎずや山科は…」といったところだ。

2018/11/24(土) 雪止み、日差しあり。ひと来る
 朝の9時に二つの電話あり。小生、布団の中で文庫版を読んでいたのだけれどいつまでもぐじゅぐじゅ寝ているのではないということの電話なのだ。同じ老人でも生活のリズムは全く違う。それがどうのこうのといってもお互いに持っている物差しのメモリが違うのだからしょうがない。だからといって相手のリズムと気にしてくれるやさしさを感じない訳にはゆかない。
 それで僕は南瓜を煮て前の湯と「すわり」のおじさんと御普請組の元組頭に仁義を通しに出かけることになる。
 今朝は気温は2℃ほどだけれど朝日が強く差して昨日とは真逆の気分だった。この分ではもっきりや道を使って車を下すことだってできる。昨日はちょっと勇み足だったかと思いつつ南瓜を配って歩いた。
 昨日は月が出て雲がかかってシャッターを押したけれど、今日はそのおかげで強く晴れた。帰りにお湯を頂いて帰ろうとするとフランスの方がお湯をと来ていた。お湯はプライベートだから勝手に入りなさいと告げられたようで露天風呂に案内してやるとブラボ〜と声を上げた。ここのお湯は亡くなった猛さんの力作で誰が見てもそのロケーションには声を上げる。こういうことが感動の原点なのだ。お金も払わないで入れるのかとムッシューはよろこんでいた。
これは安直な「おもてなし」ではない。心に残る日本の記憶なのだ!
 幕下の蒼国来は全勝で九州場所を終えていた。蒼国来だけが気になる力士になった。

2018/11/23(金) 雪降る
 ねぇ〜皆さん、雪が降って来て朝の時点で3cmほどです。空からは降り止まない雪が強く、弱く落ちて来ます。
 昨日は大したことはないとここへ帰って来ましたが さてどうするかと空を見上げています。思うにこの雪は直ぐに消えると感じますが時に強く降る姿に車を右岸 仁成館側に移動させました。写真にでも撮ると大雪かと思われる方もいらっしゃるだろうけれども実は気温が高い。1℃はある。これでは数日降り続かなければ根雪にはならないだろう。それでもここに置いたトラックが出られなくなっちゃったと泣いてみたってだれも鼻で笑うだけだろうから、笑われる前に避難しておこうと言う訳である。気温はそんなに下がっていない。月内はもっきりや道を使って帰って来れると思っている。
 

2018/11/22(木) 雪は来るだろう
 朝の予報では群馬北部も長野でも夜には雪になると言っている。そうだろう、そろそろなのだ。そこで車を右岸側に移動しようと思っていた。だって積もったらここを出ることに苦労をするからで少しでも落ち着いた状況で初雪を見ていたいからだ。
 朝のうちはまだ気温も高く仕事仲間は大丈夫だろうと話す。それに乗って僕も車はもっきりやに戻した。ただ雨は降りだして今も雨音が聞こえる。何回も外に出てみるが気温はそんなに下がってはいないし、予報では今夜は雪だが週末は晴れると伝えた。切明に立てていたポストを片付けて持ち帰り三角小屋に仕舞う。後は何だろう。そうだ、雪を待つだけだ。
 仕事をしながら12月の旅を考えていた。飯山線で越後川口、長岡、新津から羽越線、米坂線を使って仙山線か北上線で花巻はどうだろうかということだ。「奥の細道行脚」は後にして久しぶりの鉄道旅の方がいいかもと考えながら山の上から津南を見下ろしていた。昼過ぎに気温が下がって指先が痛く感覚がなくなっていた。この時期は外仕事とはこういうものだけれど寒い中おんぼろの軽自動車で寒い思いをするより子供に戻って鉄道旅、いいんじゃないかいと感じたわけだ。

2018/11/21(水) 十三夜には小春日和で結構だ!
 バイトを休んでインターネットの工事人を待つ。晴れて部屋は外より寒く感じる。薪を入れて温めるもやはり寒い。
 工事人が帰っても何もする気が起きない。冬はこうなのだ、こんな風に冬の予定を立てていてもただ髪の毛が抜けるだけだ。おまけに老人だ。
 昨日はきれいな十三夜の月を見られた。それだけでいいのだろうが、もう一枚写真をと外に出る。焚きつけように杉の葉を集めてから横断側溝にかぶさった枯葉を掃きながら外に出た。案の定 山の雪は沢筋だけに残って後は消えたようだ。いや、今日は暖かかったのだ。台風が近づいているとも云うしどんなコースを取るのかわからないけれど何でもありの気候になってしまったのだから来るなら来てみろと腹を据えて待つことにしよう。どっちみち南風、大雪にはならないのだからのんきなものだ! 

2018/11/20(火) 山には雪が!
 夜のみぞれが朝の道にうっすらと雪を置いて行った。山は霧の中で見えなかったが800mほどのところで上は雪、下はみぞれと降り続いたようだ。
 山の雪はそれでは根雪かとも思ったが明日の日差し次第で消えるようにも思う。いや、分からないのだが。
 30年以上も前のことだが僕は函館で夜の連絡船までの間酒を前にしていた。その時そとから若い女の声が「雪が降って来た」と聞こえた。外を見るとその女性が両手を空にあげて雪を捕まえようと踊っていた。冬の始まりの北海道で辛い雪の時期をこういった形で迎える雪国の人の姿を忘れないけれど、僕はどうだろうか?いやたぶん同じような感覚なのだろうがひとつの諦めというか季節は進んだのだと春を待つ気分なのだ。あの函館の雪、大粒な牡丹雪がふわり、ふわりと女の髪に降っていたな〜

11月絵日記の続き


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