来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2017/05/17(水) 上空より
 なかなかヘリコプターなどには乗れないのですが、乗るかという問いかけにハイハイハイと手を挙げた。
 今年は寒く雪解けが遅れる奥山にあるダムの手当てに向かうという。原発が発電する電力と違って水力の電力は衆人の認めるところである。それを守るために多くの人たちが努力をしている。その手伝いなのだ。群馬に向かう保守道には沢筋に山のような雪が望まれた。降り立ったダムサイトには普段残雪のため通れないところの、ほとんど見られない桜も見た。
 津南では暖かかったのだが奥山はやはり寒い風が吹いていた。折れた樹木や柴、木の葉が山となって排水路を塞いでいた。限られた時間だったが必死に相棒とごみを始末した。少しは都会に送られる電力も増えたことだろう。

2017/05/16(火) 桜の下にて春死なん
 大屋さんの奥さんが亡くなりました。95歳でした。やさしいいいおばあちゃんでした。ご主人とは71年連れ添ったそうです。子供たちが相寄って葬儀の準備をしていました。お線香を手向けてお参りしてきました。それでも桜の散るころに亡くなるというのは達人であります。

2017/05/15(月) 志賀へは6月末まで無理かも
 寒い日と暑い日が交互に来るように感じる。今日は寒い日だった。トラックの荷台で移動すると雪の残るところなんかは寒いのなんのってふるえる。
 このところよくテレビのニュースに老人の死後の話を目にする。今日は老人が大学病院へ献体をしてその後に火葬をしてもらうというのもこれからは拒否されることもあるという。そんな話をしていた。老後をどう生きるかは昔の話で老後にどう死ぬかがこれからの問題だという。生前いくら準備をしていても死んでしまったらそんな準備も反古になってしまう。人というものはオギャーと生まれてやがてこの世を去っていく。古今亭志ん生はそう言っていた。そしてだから楽しまなければいけません、殿方はご婦人と、ご婦人は殿方と…志ん生の噺のような生き方がなくなってしまった今、少し具合が悪いからと言ってお医者に行こうと考えるのは間違いなのかもしれない。病気で死ねれば結構だとトラックの荷台で身体を震わさせながら、死ぬなんてこれっぽちも考えないで死ねればもっといいなと考えていた。

2017/05/14(日) 看板取り付け
 スマホを果たしておもちゃのように使いこなせるのだろうかと心配している。いろいろご説明を頂いたのだが教授がお帰りになって看板付けやら上水タンクの清掃をしてごみを捨て、暗くなるころに帰って風呂に入ったら、もう教えていただいたスマホのTPOを忘れている。しょうがないので暇を見ていじくりまわしてから再度教授を訪ねるようになるだろうが、とにかにおもちゃとして遊んでみよう。
 昨日は長野の板前と津南のそば職人の料理でテーブルは皿であふれた。一汁一菜のもっきりやではイレギラーなので写真は載せませんが…

2017/05/12(金) まだ見たい人のために サクラ
 春の仕事に出て疲れてビールを飲んだ。風呂にも入った。ようやく人心地が付いた。今週は自分がどれほど出来るのかという意味で出続けた。どうにか1週間を終えた。
 昨日はこの日記のタイトル「志賀方面の状況」を打ち間違えて「死後方面の状況」と打っちゃった。目が悪くなることと、このPCの文字が小さくて見えにくい。そこで志賀は死がになったり死後になったりしてしまう。でも仕事をしながら「死後」の状況というのも面白いと感じた。勉強不足で死後のことは分からないけれどそろそろ勉強しなければならない歳になる。まず仏教の経典だろうか?修證義に 生を明らめ 死を明らむるは佛家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく… どうも生死は宗教の専売特許なのだろうがそこから始めるのも大変だと感じる。そもそも僕は仏家ではないのだけれど、それなら聖書でも読むか…
 ところでまだ桜を見ていない方に国道405の切明から志賀へ向かうとそこに何本かの桜が咲いています。道は通行止の看板がありますが桜見物なら行けます。ただ道には石が落ちていますのでくれぐれも注意して行かなければなりませんよ。志賀が死がにならない為にも…

2017/05/11(木) 志賀方面の状況
 手伝い仕事で志賀への連絡道、秋山林道を行く。道は石が落ちてはいるが通れるようだ。ところが旧スーパー林道志賀方面で去年大きな岩が落ちてきてひと月通行止めになったことがある。そこにはまだ大きな岩があって落ちて来る可能性があるそうで7月辺りまでその岩の除去作業があるという。そうだとすれば木島平方面には行けるだろうが志賀は無理ということになる。
 秋山のサクラは終わりに近づいて新緑の時期になった。もう津南は木の葉は伸びているとも聞く。ところが志賀方面に向かうとまだ新芽の状態だった。こんな狭いところでいろんな景色を眺めた。

2017/05/10(水) 道は通れる!
 道は昨日のうちに通れるようになったと返事をもらった。対岸から見ると道の法面の雪が見えたのでまだと判断したのだが路面の雪、石は片付けたということだ。つまり側溝には土砂が落ちて埋まっているということだ。一日かけて側溝の土砂上げをしなくてはならない。軽トラも持ってこなくては「来るなら来てみろ」の看板も立てられない。それでもゆっくりなら大丈夫になったことを報告しておきます。
 昨日の夜の風で湯の桜も開拓の桜も半分以上が散ってしまった。いつまでもサクラではないけれど咲き始めの山桜はきれいなものだった。サクラが咲くと雪はあっという間に消えるものだ。

2017/05/09(火) 暑かったり寒かったり
 昨日の風でも散らなかったけれど色がくすんで盛りは過ぎたようだ。
 手伝い仕事に出るのだが疲れが残る。年だなと感じつつ帰って来た。湯によると少し早いせいか女将さんがいて風呂を借りた。
 裏の道はまだ除雪を行っていない。もう少し様子を見てみるとしよう。

2017/05/08(月) あちこち秋山
 聞くところによると渋沢方面は残雪が多く行けないということだった。渋沢への水平道は絶壁の谷に作られた道で雪は谷全体を覆い春になって水平道が顔を出したとしても沢筋にはまだ雪が山をなしている。そこを乗り越すときは細心の注意と恐ろしさを感じる。また春の雪は崩れやすく滑る。しっかりした爪のついたアイゼンを履いたり脱いだりして進まなくてはならない。橋の踏み板もまだなようだ。
 志賀方面の林道も雪と落石が落ちて予定の6月開通もずれ込むのかもしれない。それら新の情報があればまたお知らせする。くれぐれも単独での釣行は行かないようにするべきだ。
 秋山の桜は連休が過ぎてもまだ散りだした頃だが何となく色がくすんで美しくはなくなった。それでも切明発電所のソメイヨシノはいい頃だと思う。湯の下堰堤の上のソメイはまだ咲いてはいない。

2017/05/07(日) 日本ミツバチを追って
 ひとりのお客さんが帰って連休は終了です。そこで買い物に出る。
 すわりの福一さんは庭先に飛びまわる日本ミツバチを確保するべく頼まれたミツバチの巣を置いて飽かず眺めていた。陽が当たっていい感じの景色だった。
 買い物を急いで済まして頼まれた品物を届けると日本ミツバチも福一さんも見えなくてミツバチの巣だけが寂しく置かれていた。「ハチ入ったの」と聞くと「いや、ハチの前にアリが入っちゃったよ」と言う。毎年この時期に彼の家の前の花に日本ミツバチが飛び回るのを目にする。そこに何かミネラルでもあるのか、それとも巣別れでもしているのか僕にはわからないが。日が当たって飛び回るミツバチを眺めている風情は何となく絵になる。

5月絵日記の続き


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