来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2017/03/18(土) この春は…さて
 旧もっきりやのナポリタンを作って川を渡る。福一さんは昔の喫茶店のナポリタンが好きだという。ならば僕のナポリタンでいいと作ってみた。今頃食べ終えて満足しているだろう。ついでに湯と屋敷にも出てそれを置いてきた。
 区長から連絡がないが地区の集会が20日だと聞いた。しょうがない、ちょっと嫌味を言ってみよう。
 青森の友人が大湊で亡くなったという。4月になったら線香と鼻を手向けに行こうかと時刻表を見ていた。十日町を6時前に乗って長岡、新津、酒田、秋田と回って大館、弘前には10時近くに着くようだ。そこに一泊して青森、野辺地、大湊には10時前になる。帰りには花巻辺りで温泉に入って北上線にでもなるかと考えていると亡くなった友人がどこかに消えてしまっていた。困った!

2017/03/17(金) このところ 寒し
 玄関外に据え付けた寒暖計は0℃をしっかり守ってピタリとも動きゃしない。
 こんな日は気持ちが震えて小便と薪運びに忙しい。ちょっと机に向かった後で黒澤明作品「赤ひげ」を見てしまった。少し長いと思った。120分でもいいのではなどと書くとどこからかお叱りの声が聞こえてきそうだが「七人の侍」ほ別格として、120分ほどの長さで「用心棒」とかいい作品があるのになと感じながら「赤ひげ」を見ていた。医者の時代感覚は現代的だけれどそうしたほうがいいのかなとも思った。しかし、黒澤監督は思い込みの強い気難しい作家だったから評価されているのだろうなと思う。晩年の作品は頭をひねるけれども。
 今朝、2階の古いPCの無線ランの子機をセットした。どうなったのかわからなかったが2階の以前のPCが使えるようになった。

2017/03/16(木) 津南から友来る
 10cmの積雪。津南の友人は久し振りにゆっくり食事をして帰って行った。
 彼が作ったヤギのすね肉と燻製、豆腐とハタハタの煮つけ。僕の生ハムとカマンベールと酒。そして手打ちのそばで遊んだ。

2017/03/15(水) さむいな〜
 寒くて家の中にいた。つまりこれといった内容のない日記だからすいません。
 今日も昼過ぎに5分おきに重い回転翼のうなりを聞いた。それ!と外に出るも灰色の低い空のなか、なんら新しいものは覗けなかった。
 クマというものは4月の20日ごろに冬ごもりの穴から出てくると聞いた。そして今日のような霧の深い日には人目につかないと感じるのかよく出歩くという。空の新しい飛行機もクマのようにあまり目立たない日を選んで飛んでくるのかもしれない。そのうちに「見っけ!」と写真でも撮れるかしれない。

2017/03/14(火) すき焼き、雪掘り、オスプレイ
 年寄りは言うことを聞かない。昨日の3時すぎにやって来て相撲を見てこのところはまっているすき焼きを食べていた。やっぱ肉が違うといいね!それにシラタキだろう、焼き豆腐、白菜に長ネギと春菊。シイタケまであるとちょっと違う。思うにえのきだけがあればもっとよかった。お麩も味をしみさせるとうまいものだ。僕のすき焼きはどっちかというとすきにする焼きであんまりお金をかけたって食べてしまえば同じだからもどきなのだが。でひとりは小屋に夜に帰って行き、ひとりは9時には寝てしまった。年寄りなんて身勝手なものだ。自分を見ているようだ。
 彼らは昼に索道を渡ったが僕もついて行ってみた。索道への手すりを掘り起こしたがそのまま福一さん宅に寄ってみる。
 奥さんが言うには「きのう大きなプロペラのヘリを見た」と。信毎には4機のオスプレイが昨日小松基地から群馬の自衛隊員を乗せて関山基地まで飛んだと書いてあった。この中津川沿いはよく自衛隊の戦闘機が飛ぶところでオスプレイまで来るのだったらそのうち大きな事故があってもしょうがない。
 大正時代の電力開発、大陸進出した戦時中、毛皮需要のコケモノ撃ち、今回のオスプレイとこの山深い土地は、いつも歴史の中に巻き込まれる宿命があるように感じる。今日も機体こそ見えなかったが低い重い回転翼の音がした。外に出ても低い雲の中だったがこれから毎日こんなことが続くのかな。でも初めは指さして感心して眺めている自分がいるなとも感じている。国内に米軍が居る以上はそんなものだ。

2017/03/13(月) 玄関の戸まで磨いた
 友人が来るので、一日かけて掃除をしました。彼らは明日帰ると言います。僕はこんな時にこんなところへ来るのだったら、もっとゆっくりしなければいけないよ、と話しましたがみんな都合があるようです。
 右岸側の索道への雪を除けておいてよかったと感じました。友人は二人とも同年齢でやはり昔とは違います。危なくないようにしておかなければいけないと思います。

2017/03/12(日) 寒い 寒い
 昼になっても気温は上がらず。雲があるものの空は高いように感じる。
 何となく付けたテレビに将棋番組が映っていた。連盟の会長佐藤康光九段と佐藤天彦名人の対決で169手で康光九段が勝ったのだが早指しの将棋は面白いと見てしまった。結構名人戦より面白く早く進むのでわかりやすい。ありゃつまらない番組なんかより数段上だ。で、ちょっと本を読んだだけでありました。
 今日は満月だと言います。昨夜はきれいだったが…

2017/03/11(土) 春の準備
 この二日間で20cmは積もりました。重い春の雪で始末が悪い雪です。この雪の下はザクザクの雪で対岸右岸側は日も差す分ことに歩きにくくなった。
 そういうことならしょうがない 索道までの堰堤上の雪を落とした。この雪の上を歩いていると足は雪に取られる、水面までの距離が怖いと感じるようになった。去年もこの頃だったように覚えているが、手すりを付けられればより安全なのだがやってみるか近いうちにでも。2時間半かけて終わったが少し天気が良くなれば雪も消えるはずだ。もう怖くはないはずだ。

2017/03/10(金) まだ春ではないのだ
 あれ、きょうはどんな天気だったのかと考えてしまった。すぐに分かったけれどもこういった「殿中松の老化」はちょくちょくあるものだ。いや誰だってある、みんなそうだ。そうに決まっていると鏡を見て無い髪をくしけずった。この辺もちょっとおかしいのかな〜
 春になればこのあたりの人の心のありようは面白くもなく、身体は調子がいいのだけれど外はまだまだ雪で家の中と外を行ったり来たりするだけになる。まあ〜これが木の芽時というやつでことに天涯孤独の一軒家、もっきりやに至っては最たるものである。
 毎年18切符でウロチョロしないことには身が持たないのだが、この頃の18切符は愛嬌のないJRの仕打ちに呆れておんぼろ軽トラックで行こうかと考えている。テントを積んで自炊も出来るようにして流れるように旅をしてみようか。でも「道の駅」にはトイレだけにするんだ。
 パクちゃんも追われたし、カゴイケ先生もインパール作戦の牟田口廉也中将のように責任を擦り付けて出て行っちゃうし、名前を出された橋本元知事も困るだろうに、まっ他人のことか。
 

2017/03/09(木) 落ち着いた日が続く
 晴れた分寒さは強かった。外で8時に−3℃。そんなに寒くもないか。
 無い髪を櫛で梳かして川側の雪を片付ける。何となく体を使う。するといちにちのリズムが出るように感じる。どうだかわからないけれどそう云うことにしている。その間ストーブにのせておいたおでんを焦がした。捨てません。
 老人会のお手伝いをしているせいか役員会の連絡が入る。会計の帳簿をつけなければいけないのだが表を作るのがちょっと面倒なのだ。計算はすぐできるけれども。また名簿も作る。今年度は7名の会員が亡くなってしまった。どうも慣れないなこのパソコンは。

3月絵日記の続き


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