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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2017/03/31(金) 寒いくらいだ
 それでも気温は2℃。昨日が暖かったせいで寒い寒い。明日は4月になって北の丸公園の桜は3分咲きのように見える。そろそろ桜を見に出たいのだけれども今月締め切りの仕事が終わらない。電話が来ないことをいいことにあと1週間ねばってみよう。これが終わるころには東京の桜も散るか?となると近場で高田の桜でも見て来るかと思っている。どっちにしてもここにこの時期に居てもイライラするばかりだ。春はやはり外に出ねば心が腐る。

2017/03/30(木) 暑いくらいだ
 昼に気温は上がって8℃まで上がる。雪はぐちゃぐちゃ気持ちはドロドロでございます。14時のバスで来る友人を迎えに向かう車の窓は開け放している始末で寒いとは感じなかった。車の調子は悪いので速度は出さないことに決めました。
 車の任意保険を払って軽トラのタイヤ代も払うとまた財布が軽くなる。まっこれはしょうがない。春になって仕事が始まるまでは通帳に頼るほかないのだ。みんなと同じだ。
 今日は若いころからの友人にいろんなことを教えてもらおう。

2017/03/28(火) でも、でも、でもだ!
 僕の車は雪道で滑って側溝に落とし、ぶつかった衝撃で少しシャーシがゆがんだようだ。中古の部品をつけてみたのだが完璧には直らない。残り1年の車検を終えたら廃車だろう。もう2台の車はいらない。これからは軽トラ一台でここで暮らすようになる。でも瀬戸内海の島へ行ければ車なんていらない。でもそううまくはいかない。でもその暮らしは魅力だ。でも年寄りになってしまえばめいわくだ。
 床屋に行って食材を買って帰る。1日仕事になってしまった。津南の反里口でお地蔵さまが雪の布団から頭を出していた。いい感じだった。

2017/03/27(月) いつまでも冬だよ
 寒々と家に引きこもりねちっこい冬の雪を見て過ごす。
 去年は4月に入って積雪があってまだか春はと恨み節を言いながら東京の桜をテレビで見てたっけ。
 昨日多摩川では咲き出したもののこの寒さで縮こまっていると聞いた。
 修理が終わった車を取りに出る気もせず野球を見ていると早実は投手とキャッチャーがいけないなと寝そべっていた。もっとも半世紀も過ぎて母校はないけれどもな〜
 パソコンの不調は津南の友人が遠隔操作で直してくれた。それでも使っているとさっきの操作が変わってしまうことがある、はてなんで〜と思っているけれどもそうそう連絡も出来ない。無ければ困るし有っても進まないしガラ系爺さんには住みにくいもんだ!

2017/03/26(日) あの頃の宮沢りえはいいな〜きれいでしょ
 早く起きた、といっても8時だったけれども何となくぐずぐずしてしまった。テレビを見て食事をとって、テレビを見て横になっていた。友人がストレスを溜めるなというのでそれに乗ったのだが、11時になって雪を片付け始めた。いや、テレビに飽きたしそうしている姿が嫌になったのだ。
 玄関前から建物の周回の雪を池に放り投げた。だらしなく積もった雪で重い。この辺でハダレと呼ぶ彼岸ころから降る湿り気の多い冷たい重い雪のことを言うらしい。そう云えば昨日武雄さんの言うのには鳥甲山のむじな平で大きな雪崩があったようだと。この時期ならナデという底雪崩なのだろう。これから気温が上がればそんな時期になる。
 昼に山田洋次の「たそがれ清兵衛」を見ちゃった。宮沢りえ演じる『ともゑ』さんが清兵衛の娘を村の祭りに連れ出すシーンがある。武士は村方の祭りに出ないという時代『ともゑ』さんはこう言う「私たち武家の暮らしは、お百姓さんの働きで出来ている」と。東北の人たちの出る映画も小説もそのような言い回しに出会うことがある。これって安藤昌益の言う直耕に由来する考え方のように感じる。昌益は生きているのだな〜って。それはいいけれど『ともゑ』さんに扮する宮沢りえの髪の乱れがいいと感じた。僕の葬式にはこれもみんなで見てもらうか。するとお経をあげている間がないな〜

2017/03/25(土) 老人会
 上野原で老人会の役員会だった。
 比較的に若く見えるのだが多くの方が80歳を超えている。85歳の役員の方は自動車免許の書き換えに行くのだけれど視野の検査に手間取って3回も行く羽目になったと聞かされた。僕も結局その年になれば同じで人間人生は80歳くらいまでがいいのかと感じた次第だ。本当はまだ老人会には入らなくてもいいのだが先輩方を師匠として見ることは自身の先行きを教えてもらっているようにも感じる。なんでも早く経験しておくほうがいいのかもわからない。
 さてこれから老人会の名簿や決算などの書類を作り直す作業に入ろう。

2017/03/24(金) いろいろ困る、寒い、疲れる
 −3℃。積もるわけはないのだけれど、日中チョロチョロと降って、止むことはなかった。そして寒かった。
 津南から修理が終わったという連絡もなく 出もやらず高校野球を見ていた。早実は50年前に卒業した母校で応援をしながら文句ばかり言っている。別に今は身内ではないのだから距離を置いて一喜一憂してればいいのだけれど、早実というのは世間の皆様が気にしてくれる野球を持っているのだろう。しかし今日の早実は頂けなかった。投手がダメだ。野球に負けて勝負に勝ったという感じだった。一応母校なのだ。
 昨日は眠くてしょうがないのだけれど老人会の名簿作りや、会計決算用の表を作っていた。それがさ、出来上がってプリントしようと思っていると無くなってしまった。これはショックですよ。眠い、使い慣れていない表計算、さてどうするかと悩む間もなくもう一度作っていました。おかげで今日は死んでいる状態ですが表計算少し分かったのかも。明日は老人会の役員会絶対にお酒は飲まないのだ。もう車を修理に持っていけないだろう、まして代車だぞ。それも新車だぞ!

2017/03/23(木) 21日から23日まで
 21日は飯山での用事、津南での用事を済まして津南泊。
 翌日(22日)軽トラックで新宿まで荷物を引き受けに出て、そのまま帰る。頂いた荷物を使うお宅に下ろして、再び津南泊。今日は車の修理がまだ出来ないということで自宅に戻る。
 疲れた。自分のことではないのだけれど手伝いを逃げるわけにはいかない。とにかく疲れた。明日は再び車を引き受けに津南まで出る。25日は役員会と忙しい。
 21日、清水河原のスノーシェドには大きな雪崩がついていた。

2017/03/20(月) 地区総会
 地区の年度末の総会の日でありまして9時前にここを出て9時半に地区の公民館へ向かいました。だんだん参加者が少なくなって各地区の役員の選出も大変になりました。また広い地区内の道普請やセギ普請と各戸から人が出て地区を守る伝馬という作業もあるわけで人が少なくなるということは残った人の負担が増えることになります。さてそんな時どうすればいいのでしょうか。僕らの世代が80歳を超えるときここでは何人の人が地区を支えているのでしょうか。
 今、テレビで言うのにはここ出身の若者は近くの町に住んでいる人がいるはずでその人たちを巻き込んでいくしかないというものでした。そういえば近くの長岡や信州中野、津南にはたくさんの関係者が住んでいるな〜とも感じました。あんまりカチ、カチと考えないでルーズでいいようにも感じました。どっちみち親が具合が悪くなればやって来なくちゃならないのだし…
 で少し飲んで帰って来たら側溝にタイヤを落としちゃった。いけません。
 でも手すりは付けた。

2017/03/19(日) ここは特別のところのようです
 いちにち晴れもせず、夕方からは氷雨が降って、日が暮れると雷が鳴りだした。どうなっているのだ!今日はどこでも晴れで暖かいと聞いたけれどとんでもないことだ。それとも何か、ここだけ置いてけぼりを食わされたのだろうか。
 何となく東北の良い温泉の情報が入ってくると行くしかないなと般若心経を暗記している。かんじざいぼさつ。ぎょうじんはんにゃはらみたじ…とか言っちゃって

3月絵日記の続き


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