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2017/01/09(月)
秋山郷の時限爆弾
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福一さんは「大変な南風だ」と言う。 山の雪は雨に打たれたかのようにしまりがなくなってぐずぐずと崩れた。朝の気温は0℃、昼に2℃の暖かさだった。 5日振りに温泉に浸かって帰ろうとするとちょっと寄れと招じ入れられた。ニコニコしながら女将さんは話した。 「昨日ね、ベトナムの留学生がバスで4人も来て何か食べられないかと言うのよ」「ネットで雪のある所を探してバスに乗ってここまで来たけれどどの家も鍵がかかっていて入れないんだって、長岡の大学で春には国へ帰ると言っていた」と言う。「そりゃ長岡科学技術大学でしょう」と僕。きっと18切符で早朝長岡を出たのだろう。「寮の朝食を食べず、森宮野原駅でも食べられず和山にも何もない。お腹が減っているので何か食べられないかと手を合わせるのじゃない!」ご飯を切らしていた女将さんは風呂に入れている間にパンとおかずを作り、それでは少ないとみてカップラーメンだけれど食べさせたと話した。帰りのバスを確認してお金は幾らかというベトナムの留学生に手を振っていらないと伝えバスの時間だからと送り出したという。 秋山郷は本当はお金なんかの通用するところではなくて気持ちの通じるところなんだと感じて嬉しくなった。ベトナムの彼らが何十年してそのことを子や友人に話すときに僕らの暖かい時限爆弾がさく裂して涙を流すのだ! 福一さんも奥さんも湯の毅さんが亡くなってから大きなコロッケも牛肉のカレーライスも食べれなくなったなと話しての帰りだった。
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