来るなら来てみろ もっきりや
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2016年9月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

直接移動: 201910 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 月 

2016/09/30(金) 室内で16度だ
 雲の多い晴れ間で洗濯物もいまいちしゃんとしない。9時まで起きられず11時ころから玄関内に袖の古い薪を入れ込む。カメムシが薪に寝そべっている。それを片付けながら積み終える。津南の青年がやって来て話し込む。一向に帰らないので明日の準備は出来なかった。
 明日は三角小屋の薪を入れ込んで薪割りの準備をする。来週には薪割りを終えて去年の薪を積み替える。
 ところで何時まで薪を使えるのかとず〜っと考えている。今の調子ではあと2年ほどだろうか。木も気もなくなりつつある。いっそのこと冬は何処かへ避寒に出るのも手だと思った。何処に行くかそれが問題だけれど。ひと月もしたら雪だぞ!

2016/09/29(木) 1964年は戦後のふるさとです
 バスやらお医者で疲れたので一杯飲んで電車に乗る。吊広告に目がとまる。「ライバルは1964年」というAC広告で酔った頭では意味が分からない。2020年のオリンピックに向けて国民よ団結せよ!といったことなのだろうがわき目も振らずにイベントを成功させなければいけないと言っているようなのだ。別に政府の広告で言うことではないじゃないかと気になった。
 戦時中にも似たようなスローガンが至る所に掲げられて国民の戦争への協力をあおった。これがそうだとは思わないけれど何となく貧乏くさい吊広告だと感じた。国や都がオリンピックをやるのは勝手だが国民の半分は「別に〜」と積極的ではないのが当たり前だろうと…それが進んだ社会じゃないかと気が付いたら電車はグ〜とホームに停まった。

2016/09/27(火) 渋沢取水口へ
 じゃんけんで負けて渋沢へ行くことになる。本当に久しぶりだ。2時間を切るべく奮闘したが到着時刻は11時4分。9時からだから頑張ったということだけれど足の付け根、鼠蹊部が微妙に重い。
 それでも晴れたおかげで良いハイキングになった。取水口にはそろそろ落ち葉が浮いて流れ込んでいる。秋の大事な作業の時期になったということだ。ここの発電量は原発に比べると小さなものなのだが大正、昭和と長いこと東京の電力を支えていた。それを維持するために地元の人たちも大いに頑張るのだ。あの時、東京を支えたのは中津川の水力発電でもある。喉元過ぎて忘れないで貴重な電力を大切に無駄なく使わなければならないとこの落ち葉の秋になると思い出す。僕らは頑張るから皆さんも節約しなければいけない。そのことを学んだはずだ。
 で山にはいろんな香りが漂い始めた。シシタケの甘い香りや桂の枯葉の香ばしい香り。その中での山歩きは楽しいはずだ。帰りしなひとりの釣り人が最後の釣果を期待して上って行った。
 家に着くと今日の天気のせいか「カメムシ」が動き始めていた。良い匂いも悪い匂いもないまぜになって大地は放っている。選んだりすることは出来ない。
 明日東京、明後日秋山。

2016/09/26(月) 雨ばかりだ
 雨のなかの仕事は嫌である。湿っぽいトンネルの中で昼を使っても落ち着けないので昼を切り上げて仕事に向かった。外の川から雑魚川の右岸を切明方面に向かう。この道は途中で道の崩落があって通り抜けることは出来ないのだがこれが切明まで通じればいい散策道になるのだけれど…
 しかし秋晴れという言葉はどこに行ってしまったのだろうと思わせる天気で山は重い空気に閉じ込められている。

2016/09/25(日) やることはやったがそれだけだ
 ようやく晴れる。朝のうちはまだ湿気が多いので結局9時に作業に向かう。昨日の続きの予備のタンクの清掃でポンプで水を抜いたのだがポンプの具合が悪く昼までかかった。ポンプ次第で便槽の汲み出しは決まるのだけれどだましだまし予定を終えた。こうなったらと気合で下屋のペンキも塗ってみた。
 重いエンジンポンプを軽トラに乗せたり下したりポンプに砂や小石が絡んで調子は崩すし、時計をタンクに落とすし、嫌になった。半分自棄になって便槽に取り掛かるも何となく汚れてしまう。嫌なもんだぜ、汚泥が掛かると。
 もうやめようと思ったのだ。服も気持ちも汚れちゃったから止めてウイスキーでも飲むかと思ったのだ。昔、旧仁成館のトイレの掃除をし終えたときはカツさんは飲めもしないのにウイスキーを飲んでいた。その伝だ。ところが便なんかは血液から比べればきれいなものだと「ER」で学んでいた僕はそのまま下屋に上がってペンキを塗り始める。タンクから救い出された時計は3時半を差していたが自棄のヤンパチで5時までペンキを塗っていた。ペンキというのは片付けが大変で結局30分もかかった。やり終えたのはいいが何となくすっきりしない。これはポンプの不具合に起因するのだけれど。風呂に入ってごしごし汚れを落としたのだが指先や手のひらには赤さび色のペンキが落ちてはいない。

2016/09/24(土) 大工さんが来てくれた
 大工さんが屋根の状況を見に来てくれた。彼の言うには下流側は問題ないだろう。また5寸勾配の屋根については雪止め(ステップ)につかまって作業すれば大丈夫だろうと云う。この秋口にロープを張ってそれにベルトを通して安全を確保してステップを利用すればいいかもと感じた。ひとりでの作業はまずいがゆっくりと時間をかけて作業するとするか。
 ひとりになってボ〜ッとしてもいられないので水の止まった予備のタンクの掃除をして通水を確認した。明日タンクを掃除をして通水貯水をしよう。ついでに午前中に便槽を抜いて出来たら下屋の屋根も塗ってしまおう。グズグズして頭の中にため込んでいると先へ進まない。一丁まとめてやってしまおう。今日は一杯飲んで早めに寝て、明日は6時起きだ。何となく大工さんがスイッチを入れてくれたようだ。
 毎日観ている「ER」は第7シーズンまで来た。グリーン先生が脳腫瘍になってアビーのおっかさんも登場した。これからは惰性で観る感じになるが乗り掛かった舟で春までに見終わるようにしよう。

2016/09/23(金) ウルシはきれいに色が付いている
 どうも一昨日釣り客が行方不明になったようで今日になって亡くなったという話が伝わった。一昨日と云えば中津川の水嵩は激しくあの中での釣りは出来ないと考えるのだが人間というものはその場に出くわしてしまうものなのだろう。だれもやりたいという事故はないのだから…  ご冥福を祈る。
 霧深く山は暗く見通しは利かない。秋山林道はすれ違う車もなくなんだか楽しい道ではない。どうも道に被る草が刈られていないせいでガードロープが見えなかったりするとこの先何処へ出るのだろうかと初めての人は緊張する。肩に力が入っての運転はこんな天気の時は気分が重くなる。対向車も見ない道ならなおさらだろう。
 

2016/09/22(木) 雨のせいか寒い
 朝からずーっと雨なのでよい休養になる。何もしないでいい。
 都会と違って山は回復の仕方を知っているのだがまだ中津川の水嵩は下がらない。土曜から降りっぱなしで相当の雨だったようだ。 津南百の木の宿「もりあおがえる」中島さんが苗場山に登った帰りに寄ってくれる。山は雨と風で大荒れだったが紅葉は始まっていると教えてくれた。中島さんは嵐だから人のいない山に登るのが楽しいようだ。僕よりすこし若いだけなのによく頑張ると聞くと実は最近はぎっくり腰で大変だったと話す。僕と違って医者を頼りにはしないで直したようだ。地の人は強いのか彼の志向が面白いのか分からないが大したものだと感じる。

2016/09/21(水) 山は水浸しだった
 山はどこも水が湧き出してそれを集めた雑魚川は増した水量を呑み込めないまま河原一杯に広がって流れ下っていた。
 ふだん水のない小さな沢や山の斜面から染み出す流れが足元を濡らした。秋山郷は毎年2mや3mの雪で覆われ、春の雪解けの水を流す道が大地に深く刻まれている。その水道を伝ってこの間の大雨が流れ下るのだ。
 そのせいではないだろうが今日は仲間がキノコを見に行くと出てすぐに帰って来た。マイタケがあるという。袋がないのでシャツを脱いでおよそ6キロほどの初ものを採って来た。もちろんみんなで分けた。雨で塗れた身体にマイタケの香りが移った。

2016/09/20(火) タヌキにとって僕は大切な知識人なのだ
 連休は話しと酒で忙しくしていました。同世代の人は残り時間も似たようなものでその経験や知識を面白いものだと感じて過ごすのです。
 その夜に読んだ関川夏央の「家族の昭和」のなかに…『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎「日本少国民文庫」昭和12年)を「哲学小説」ではなく、中学生たちの生活報告、あるいは「青春小説」として読んだ私が受取ったものは、「知識人」(大衆のなかの優れた部分)が、「あの人々」(愚昧で恵まれぬ大衆の大部分)を、嫌悪しつつ持ち上げる不思議さ、気持ちの悪さから発した違和感であったのだ、といまにして気づくのである。…を読んだとき僕の立ち位置というものがそれと同じだと気が付いた。知識などありゃしないのに背伸びして大衆とは違うといった意識に、それにしがみついているということに気が付いた。たぶんそういった感覚を無意識に感じている市井の知識人は多いのだろう。山にいる貧弱なおじさんということに目覚めつつ、少しでもいや、死ぬまで学び感じ考えることを続けなければならないと気が付いた。 
 雨で仕事が気になったが結局終日愚昧な大衆として仕事に立ち向かった。ふと見るとここにいる野良のタヌキが何かくれよと近づいて来た。僕は安心して知識人の立場でタヌキという大衆にエサを投げてやった。
 雨は強い!

9月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.