来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
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2016/08/31(水) 8月の空
 久しぶりの快晴でひとつ志賀を越えて帰ってみようと渋川で高速を降りた。結局2時間ほど余分にかかったが白根山や渋峠を青空の下走って来た。
 着いた日に墓の草むしりをしていて腰の筋を痛めてしまった。日曜日月曜日火曜日と腰をさすりながらどうにか用事を済ませるしかなかった。帰り着いて風呂に入って腰をさすっているとずいぶんと良くなったようだ。
 今度の月曜日の道の舗装を考えている。今年の最大の仕事でどうにか無事に終えなければならない。そうは言ってもなるようにしかならないけれど努力する、それしかない。
 台風がこちらを逸れてくれたのでほっとしている。その分東北は大変だったのだな〜

2016/08/26(金) 避難するとしよう
 蒸し暑い一日。週末に不在となるので昨日に続いて今日も帰ってから草刈を行う。昨日は家の周り今日は対岸の草を刈る。
 アブに咬まれて手の甲が腫れているが大したことはないだろう。しかしよく腫れているなと手をかざして見るが痛くもかゆくもない。
 切明から雑魚川を上ると取水ダムがあってそこに2人の釣り人が見えた。10分もしないうちに一人が2匹も釣り上げていた。ここで釣り人を見たのは初めてだがイワナもうかうかしてはいられない。釣り人はどこへでも這い上がって来る。
 台風が直撃という予報がある。逸れて欲しいものだがどうなるか。それでは台風が去るまで避難するとしよう。

2016/08/23(火) 青年の僕が見える
 高校時代を1週間友人と過ごした。彼はそれはよく見ると充分おじいさんだけれどけっこう若く感じた。話し方や声の質、笑い方、恥ずかしがる姿まで、また髪型も彼が履いているパンツまで昔のままだった。それで話が弾んでしまってオリンピックと相まって日を越えて話し込む始末だった。
 なかなか昔の話が通る仲間が少なくなるなかあの頃の思い出ひとつひとつを共有する友人はたくさんの自分をそこに浮かび上げさせてくれる。もう一度若返ってなんとは一切思わないけれど 自分の脳裏に飛び出して来る青っぽい僕が何となくいとおしく感じるのだ。ヒトは難しく昔の仲間に一緒に会えることはないけれど今度は真冬の大雪の頃にここに閉じ込められて1週間でも10日でも青い僕や彼を引き出して眺めてみたいと念じた。
 友人を津南へ送って僕は飯山に向かい眼科の診療を受ける。飛蚊症はしょうがないがこの頃目やにが出ることやレーザー治療の術後の診断を受ける。ドライ目だという。白内障もあるという、治療の必要はないとも言った。それならまた来月という声を後に目薬をもらって帰る。
 さぁ〜て、今日は久しぶりにひとりだから映画でも見て早く寝るか!

2016/08/22(月) 台風中にちょっと作業
 今朝はさして降らず。昼頃から降り出すも草を刈ろうと出る。激しくなるのだけれど濡れついでにもっきりや道の4回目の草刈を終える。偉いもんだと自分をほめてみたが高校時代の友人は何の反応もなかった。
 思えば以前遭遇した台風はけっこう怖い思いもしたのだけれど今回の台風はここではそのようなこともなくどうにか過ぎて行ったようだ。明日になって川西林道を通れれば安心と判を押せる。
 

2016/08/20(土) 整備状況
 友人は天気を見て鳥甲山へ向かう。ムジナ平からシラクラまでだと出て行った。僕は彼の弁当と道路整備のオペレーター用に稲荷寿司を30個ほど作った。湯のおかみさんや福一さんにも届けなければならない。みんな喜ぶのだ。喜ばれるのだからもっとおいしい稲荷寿司にしなければならない。だんだんと上手になる。
 で、今日は川西林道からもっきりや道への分岐のスロープを緩くした。バイクが跳ねないようにするのだ。そしてな〜来月のコンクリート打ちに備えなければならないのだ。草も刈る。
 作業の終わりころに強い雨が来た。雨のなか土を構っていると土が膿んでくるので早めにやめて山から下りて来た友人と久しぶりに和山温泉に入った。湯量が増えて熱めになっていたが僕はこの辺りが良い。
 ここにきてもう何年になるのか、毎年少しづつ改良や整備を行ってここまで来たわけだが何かしていないと前に進めないように感じるからだ。もちろんお金もかかるがここにいる必然だと諦めている。ご褒美は「よくなったね!」のひと言で僕は少しエヘンプイプイと肩を怒らせる。それだけだがそれもだんだんと出来なくなりそうだ。道の整備は今年で終える。切りがないのだ。今度は村にお願いをしてみるしかないだろう。村道にしてくれない?と

2016/08/19(金) 道の側溝整備だった
 2時までオリンピックなどにうつつを抜かしていました。それでもバトミントンの女子ペアの試合は驚いた。よくやるな〜、すごいねと二人して感嘆しきりだった。
 そんなことで今日は朝からボケて3時になって道の側溝の土砂上げを始める。気が付いたのだが道のコンクリート打ちの前に草刈をやるべきだと。またか!
 明日は川西林道からもっきりや道の分岐部分を下げる工事をする。さて、どうなるか…

2016/08/18(木) 池の暗渠部分を直す
 夕方になって激しい雨に打たれてしまった。今日は台所の雪囲いの支柱を作り、池の腐った丸太を捨ててちょっと古い角材で魚用の暗渠を作る。
 ラジオでは沼田に大雨警報が出たと言っていたが5時に栄村でも雷雨の警報が出た。外に出ると蒸し暑いが家に入るとやはり少し涼しいと感じている。明日は重機で側溝上げをしなくてはならない。この雨で土砂が入っているだろう。危ないところだから雨には止んでもらわなくてはならない。

2016/08/16(火) 秋風 立つ
 台風の影響なのかまるで秋空のように見える。鳥甲山も苗場山も青空に浮かぶ秋雲の下にのびやかに浮かんでいた。こんな日があるともう夏は終わったのかと津南に下る。そこはまだ真夏で蒸し暑く感じるのだがどことなく暑さの勢いが違うようだ。
 東京から来た古い友人の言うのにもこのところの暑さは以前と顔が違ってきたようだと言った。用事を済ませて帰り着き網戸に風を通すとこの秋山ならではの冷たい風が足元を流れる。
 台風はどうやら関東をかすめて北上しそうでその後は気温も落ち着いて来そうだ。調子を崩した太田の友人も回復したというので安心した。きっと赤城おろしの風を受けてどこかへと走り出すのだろう。吉だ!

2016/08/15(月) 敗終戦の日だ!
 僕はそれほど家族的に生きて来たのではなかった。いつも兄の家族に任せて生きて来たように思う。それがこの頃になって亡くなった父や母、兄や伯母、祖母と猫や犬などの写真に向かって毎朝線香を手向けてそれまでの不孝を詫びて来た。いつもひとりで生きてきたような錯覚は今も続いていて、それがいけないのは十二分分かっているのだが周りに家族的な存在がいないのだから致し方ない。
 今回山の仕事を手伝ってくれた友人の具合が悪くなってとにかく気をもんだ。起きてこないとどうしようとうろうろする。心配ばかりだった。そのとき思ったのだが家族というものはそういう心の動きがあって成り立つものなのかもしれないと…人間はそうした守るべき者への心配や配慮を織り交ぜて生きて行かなくてはいけないものなのかもしれないと思った。僕はどうも半端者のようだ。
 ひとりになって昨日のメッシュ切りを続け、剥げかけたペンキを塗って包丁を研いだ。何かしていないと自分が浮いてしまうような不安を感じていた。

2016/08/14(日) 日差しをよけて
 強い日差しが落ち着いてから5ミリのメッシュを加工した。80枚。そのうち50枚もカットすると嫌になった。
 盛んに苗場へヘリが飛んでいた。多くの登山客が苗場に登ったのだろう。そう言えば100名山のなかで苗場山は登りやすい山でベスト3に入っていたっけ。
 お客は今日のひとりだったが今年の盆休みもこれで終わったようだ。

8月絵日記の続き


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