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2016/05/06(金)
そこで僕も考えた
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橋本治はその著書のなかで四世沢村源之助の言葉を引用して「ただでさえ年寄はきたないものだから」と書いている。 年配の方は認めたがらないだろうが年寄の僕はまったくそう感じている。子供が親から遠ざかるのもそんなことも理由のひとつだろう。 このところ去年までの自分と違ってひとつ階段を下ったと思っている僕としてはいろんな状況に出会うとそんなふうに感じる。 目がみえにくくなる、イライラする。下の締りが悪くなっていやな臭いがする。頭髪がなくなって風貌が怪異になる。速効性がなくなる。ちょっとした段差も飛べなくなる。咳をする。酒もだらしなく飲み続ける。こぼす、汚す、片付けない。テレビを付けていても見てやしない。困ったものだ。「さてどうしたものか」と考えるのだ。 そこで僕は考えた。生活の形を作ろうと思う。自分の周りをきれいにする。直ぐに掃除をする。酒もタバコも止めようとしないのなら自分でコントロールするようにしよう。風呂にもなるべく入ろう。早く寝よう。丁寧な言葉使いをしよう。身の回りを整理して少ない品物でさっぱり生きようと。ただでさえ年寄はきたないものだからということを頭に入れておこう。 しかし、年寄になってひとつ気づいたこともある。社会とか世の中の仕組みが分かってきたことだ。そういったことを若い世代に伝えるにしても嫌われる存在である年寄だということ忘れないで行動しなければ、伝えたい事だってつたわらない。生きてきた70年近い時間を再度理解するためにも身辺に気を使って自立して行くしかないじゃないかと。 若者も年寄もこれから先はなかなか大変なのだから…
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