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2016/05/23(月) 生きるも死ぬも、時の運だ
 父の最後の山は「蓼科山」で当時75歳ほどだっただろうか。山頂を目の前にして父は動けなくなり僕がひとりで登ってきた。そのあと父は体を硬直させるようになって下山はとても大変だった。そのとき僕はまだ40代で年寄りの身体に理解はなかった。ただ無事に下山させることだけを考えていた。父にとってはずいぶん乱暴な同行者だったのだろう。
 今日は9時間をかけて鳥甲山を縦走した。和山口から登りはじめシラクラ尾根に出てからはずいぶんと怖いおもいをしてシロクラにたどり着きそこから山頂までの間、もっと怖い思いをしてようやくのことで到着した。
 それから下りにかかるのだが急坂の連続で僕の足が動かなくなるまではそんな時間がかからなかった。つまり蓼科山の父と同じで身体の余裕がなくなって身体が硬直するのだ。坂は急で足は動かずもう少しのところまで下りた時だが止めた足が枯葉に滑ってもんどりうって15mほどゴロゴロと落ちた。落ちたのは道の上だったからいいものの大きな岩もあってあたっていれば明日は通夜で明後日が葬式ということになった。落ちているときは何で止まらないのだろう、どこまで落ちるのだろうと気にしながら背中が土に当たったようなので手足を広げてどうにか止まることができた。びっくりしたのは同行した青年で彼に悪いことをしてしまった。僕の従兄は甲斐駒の鋸岳で滑落している。僕は鳳凰三山で板敷の橋で骨折していることもある。もう少しというところに弱みがあるようだ。
 5か所の擦過傷と打撲で明日になって目が覚めればどうにか峠は超えたと判断しようと思っている。人間というのは出会っちゃうのだな。事故なんていうのはそんなものだ。生きるも死ぬも運否天賦なんだと思いつつ、帰って父、母、兄、祖母、叔母、猫、犬に線香を手向けて頭を下げた。


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