来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2016/05/30(月) 渋沢往復
 久しぶりに仲間と一緒に渋沢合流点まで歩く。往復5時間歩いたのだが帰りのエンクラの坂では少し気を使わなければならなかった。僕の場合5時間までならどうにか歩ける。少しずつ筋力をつけていけばいいと感じたが渋沢往復までが範ちゅうのようだ。それでも歩けたことはいい感じだった。
 6月1日朝の7時、BS3で鳥甲山を歩く田中陽希の番組がある。15分だ。彼は屋敷から和山口までの山行だと思う。恐ろしい山だと見ればわかる。それでもカメラマンは相当の猛者だと感じるのだが。ちなみに明日は佐武流山だ。

2016/05/29(日) マムシ酒
 お客さんが帰って、見学の人が来て、水平動を自転車で走った友人が寄ってくれた。彼は自転車で転び指の付け根を打撲していた。あの時の僕と同じで共通するけがのようだった。
 もっきりやは治療室となって奥にしまっていたマムシ酒を幹部にシップした。腰にはシップを渡して擦過傷には消毒液をつけるようにと云うのだが、大したことはないと言いつけを守らない。若い人は元気がいい。
 マムシ酒は長いことここにあってすっかりビンは汚れてしまっていた。打ち身には効くようだ。材木が倒れて当たり、色を失った腕がマムシ酒に漬けると見る見るうちに血行が復活するという。僕も以前山で指を脱臼して困ったことがあった。痛いのである。コップにマムシ酒を入れて指を浸していると痛みは消えた。その後指が動かなくなってお医者に怒られたことがあった。マムシ酒は民間薬の本によると神経痛、切傷、肋膜炎、歯痛に良いという。強精はこれではなく焼いて食べるらしい。また生の目玉を飲むとも書いてある。そこまでする強精は必要ないがマムシは民間薬としては昔から使われているようだ。お医者が近くにいないこの辺りではマムシ酒や熊の胆、栃の実の焼酎漬けなど実に多くの山の生り物や蜘蛛まで薬にした。こういった民間薬が命の綱だった。そういえば長野県は薬草の宝庫で養命酒や百草丸など実に豊富だ。

2016/05/28(土) 夜鳴く鳥の 悲しさは
 夜に鳥が鳴いている。変に思った。外に出てみるのだが鳴き声は遠ざかった。部屋に入って耳を澄ますとその声は聞こえてきた。きれいな声で右に左に飛びながら鳴く鳥は小さい鳥のようだった。もう一度外に出ると近くで(ピイヨーーピイ、ピイヨ〜ピイ)と聞こえてきた。ヨタカがどう鳴くのか分からないがそれとは違う小鳥の声で空は月もなく星がいっぱいだった。
 調べてみるとヨタカはキヨキヨキヨキヨと鳴くらしい。しかし今聞こえてくるのはピイヨ〜ピイだ。山型の波紋のように鳴いている。昼によく聞く声のようにも感じる。
 以前夕方に車のライトをかすめて飛ぶ比較的大きな鳥を見た。それはヨタカだろうと見当をつけたのだが鳴き声は違う。頭を打ったので少しいかれたのかと考えたが1時間ほどで鳥は何処かへと去った。
 朝になってひとりのお客さんに聞いてみると彼も聞いたという。それならば僕の頭のせいではないと安心したのだけれど、鳥もたまには夜になくこともあるという記事を見つけた。浜千鳥という唄は夜鳴く鳥の悲しさはという歌詞である。どうも思い込みいっぱいの僕にとっては知らないことが多すぎるようにも感じた。
 8時を過ぎたころあの鳥の鳴き声を聞いた。初めてである。どうも池の魚を視認したようである。
 ヤマニンジンの白い花にウスバシロチョウがたくさん飛んでいる。糸トンボというのかそれも見つけた。外は忙しいことになっているようだ。

2016/05/27(金) これじゃいけない
 昨夜は久しぶりに屋根をたたく雨音で目が覚めたが昼には晴れて日が差してきた。予報通りだ。
 ずーっと考えていた。どうして山を下れなかったのかということをであるが。不遜にもいつも自分に残された時間というものを考えていたのだが結局口で言う割にはまだまだ体力はあるということをである。海外に出ることも、山を縦走することも大丈夫だと。頭で考えることではないということに気が付いた時に駄目じゃないか、と自信を無くした。

2016/05/26(木) 池の魚も
 今日は静かにしている。
 池の魚はまだ鳥を呼び寄せることもないまま悠々と泳いでいる。こんな時間をもらって家の中にとどまっていることは良いことではないけれど、まっ今日はこんな風な時間の無駄使いをしている。
 先日、PCの10への強制的な変換のあと一昨日からメールが使えなくなり、電源を切ったり入れたりしてどうにか直ったようだが先のことはわからない。予約メールも開けないこともあるかもしれないので出来れば電話での確認もお願いしたく思う。すみませんがもう少し時間が必要だから。

2016/05/25(水) リハビリに湯治に出た
 和山温泉に湯治に出かける。温泉は湯量が増えて少し熱く感じる。
 昨日はちょっと気にかかることもあったのでお医者に出たが今日は落ち着いてきていると感じる。自身ホッとしている。ま〜今週はリハビリで少しづつ旧に復すべく身体を動かそうと考えている。
 昔まだ冬のことだが鳥甲山へ向かった秋田大学の学生が4日も帰らないことがあった。和山の山田重雄さんが当時の猟師を先導して救助に向かった。学生はカミソリ岩のところで動けなくなっていたという。無事に下山したのだが同行した島田福一さんはその時のことをこう話した。「あのやせ尾根で雪が出ぶってそこを越すときの怖さはなかった。猟師の杖で半コウツキを雪の塊に根元まで刺したはいいけれど足が浮いてしまって腹を斜面にくっつけて身体を支えなければならない。半コウツキを刺しかえればいいのだけれど足の下はぞっとする断崖でとてもじゃないけれどそんな余裕はない。腹を右に左にゆすってコウツキにしがみついてやっとのことで登りついた」重雄さんはそんな福一さんを見て笑ったが、もう一人の猟師が這い登ってきたときには「お前は上がってこれないと思った。よくきた」と言ったという。
 夏の鳥甲山で往生なのに冬のこの山はなんと形容したらいいのか僕は言葉がない。今年野沢から来たカナダのスキーヤーがこのカミソリ岩から滑り出して亡くなった。4月ごろの話だったように記憶しているがもう僕は登ることはない。しかし厳しいところには美しいものが生えているものだとも感じている。

2016/05/24(火) 厳しいところに美しいものが
 左の親指が腫れて使えなくなった。首の頸椎がおもはゆい。そこで町のお医者まで出かける。指に力が入らないので車の運転は思うようにいかない。ゆっくりと下った。
 お医者はレントゲンを見て骨に異常はないという。頭のたんこぶもずいぶんと収まった。ただ少し体を休めようと考えた。
 20年前にひとりで今回と同じコースを歩いた。それからまた登ろうとは考えなかった。どうしてなのかと考えてみたが、なるほど楽しい山ではなく恐ろしい上り下りの連続で当時の僕にしたってずいぶんとビビッていたからだと思い当たった。
 車で下を通って見上げる鳥甲山は昨日の今日の僕にとって震えるくらいの威圧感を示していた。
 けさBS3だったか日本200名山の八海山、中の岳をやっていたからそろそろ鳥甲山の順番になるかもしれない。僕は見ないけれども…
 それでも厳しいところだからこそきれいな花が咲いていた。

2016/05/23(月) 生きるも死ぬも、時の運だ
 父の最後の山は「蓼科山」で当時75歳ほどだっただろうか。山頂を目の前にして父は動けなくなり僕がひとりで登ってきた。そのあと父は体を硬直させるようになって下山はとても大変だった。そのとき僕はまだ40代で年寄りの身体に理解はなかった。ただ無事に下山させることだけを考えていた。父にとってはずいぶん乱暴な同行者だったのだろう。
 今日は9時間をかけて鳥甲山を縦走した。和山口から登りはじめシラクラ尾根に出てからはずいぶんと怖いおもいをしてシロクラにたどり着きそこから山頂までの間、もっと怖い思いをしてようやくのことで到着した。
 それから下りにかかるのだが急坂の連続で僕の足が動かなくなるまではそんな時間がかからなかった。つまり蓼科山の父と同じで身体の余裕がなくなって身体が硬直するのだ。坂は急で足は動かずもう少しのところまで下りた時だが止めた足が枯葉に滑ってもんどりうって15mほどゴロゴロと落ちた。落ちたのは道の上だったからいいものの大きな岩もあってあたっていれば明日は通夜で明後日が葬式ということになった。落ちているときは何で止まらないのだろう、どこまで落ちるのだろうと気にしながら背中が土に当たったようなので手足を広げてどうにか止まることができた。びっくりしたのは同行した青年で彼に悪いことをしてしまった。僕の従兄は甲斐駒の鋸岳で滑落している。僕は鳳凰三山で板敷の橋で骨折していることもある。もう少しというところに弱みがあるようだ。
 5か所の擦過傷と打撲で明日になって目が覚めればどうにか峠は超えたと判断しようと思っている。人間というのは出会っちゃうのだな。事故なんていうのはそんなものだ。生きるも死ぬも運否天賦なんだと思いつつ、帰って父、母、兄、祖母、叔母、猫、犬に線香を手向けて頭を下げた。

2016/05/22(日) 罠にかかったママがいないパパ
 入院中のPCの先生は自分の病状のことは一切連絡をしてこないがこのPCの状況についてはえらく心配されて僕としては申し訳ないような気持ちで一生懸命にこの新しいマイクロソフトの罠から逃げようとしています。その先生の言うことには19日からウインドーズ10への自動アップグレードが凶悪化!とニュースなっていたと。つまりこの会社はWindows10への移行を有無を言わさずに行わせようとしているらしい。僕のようなパソコン弱者は弱り目に祟り目なのである。
 そこで昨晩から病人への負担を軽くするために日夜奮闘努力をすることになる。そしたら少しわかったことがある。とにかくガチャガチャボタンを押してどうにか日記と写真を作ることができたようなのである。果たしてこれが正解なのかということは不明なのだけれど僕としては日記と検索ができればいいのであるからこの操作方法を忘れないように体に覚えさせることだと…
 でもさ、なんで強制的に10へ移行させなければならんのかね、老人に余分な頭を使わせると長生きしちゃって政府はいつまでも年金を払い続けなければならなくなる。老人は放っておけばそのうちいなくなる存在なのだから老人に頭を使わせてはいけないのだと僕は考える。どうでもいいことだけれど。
 右岸側の草刈もやった。太田のKさんのおかげだが、もう少しで老人と認定されるK氏はなかなか元気だ。みんな長生きして国の財政が破たんすることはもしかして革命なのかも!

2016/05/21(土) PCが僕の範疇を超えてわからない
 電源をつけると画面にマイクロソフト社の契約条項が出て承認するとなんだかわからなくなる。放っておこうと思う。
 今日は草刈とチョウの食草の保護囲いをやってからイワナを買いに養魚場に出向いて池に放した。
 長野の寺さんが恐ろしいパッケージのタイの煙草を持ってきた。そのおぞましい煙草によって引き起こされる諸症状が印刷された写真を見ていたら気持ちが萎えた。アジアだな〜と感じた。
 どうにかここまで来たがあしたはどうなるのだ!マイクロソフトの陰謀だ!

5月絵日記の続き


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