来るなら来てみろ もっきりや
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2016年2月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29          
最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

直接移動: 201910 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 月 

2016/02/29(月) お目汚しすまん
 6℃もあった気温も一気に下がって0℃を割るようになったころから細い雨は雪に変わった。あまり情緒のない細かい雪が糸で線を引くように降ってきた。こうなるとぶるっとひとつ震えて首をすぼめ薪を投げ込んで餅を焼く。
 昨夜は南の風が強く吹いていたけれど北の前線に閉じ込められたのか消えた。
 何もしないのだし、食べたくも無いし、酒も不味いし、腹も減らないのだが時計を見ると何となく口をうごかしてみたくなる。
            ★★
「汽車が好き、山は友だち」から
 昭和18年になっても庶民は戦局の厳しさは知らされずただ食料不足や燃料不足に先の不安を感じていた。私は徴兵を気にしながらやれるうちにと好きな山や旅を続けた。
 そのときは旅と食料探しが一緒になったような食べ物漁りの旅だった。
 一升の米が欲しくて交渉していたおかげで本宮駅の最終に乗り遅れてしまった。
 「まいったな〜」非常時に役所といえども休むわけには行かなかった。そこで朝に上野に着く夜行列車を待つことにした。それまでの6時間を駅前の旅館で過ごそうとその前に立った。
 「ごめんなさい、汽車の時間まで休ませてもらえますか」
 「いいですよ、ちょっとうるさいかもしれないけれど。1円も貰おうかな」と番頭は手を出した。
 2階の六帖間は薄汚れた襖の中で寒そうに見えた。寝過ごしてはいけないと毛布に包まって横になっていると軍人といえどもこの非常時にどんちゃん騒ぎの宴会とはなんだと呆れて横になっていた。
 バタバタと乱れた足音に目を覚ますと部屋の前で止まった。荒々しく襖を開けて着崩れた和服の女が入ってきて「あんた一人かい」というなり私の前に座り込んだ。よほど酔っているようで体が右に左に揺れている。
 「あんた私にお酒飲ませなよ、飲ませてくれたらあんたのいうとおり、なんでもさせたげる!」というや酒で充血した目をつぶって仰向けに寝転がってしまった。
 私はこのとき30歳だったが、いまだに女を知らず、ミルクホールひとつ入ったことがなかったから どうしていいのかわからず困って女の顔をみつめかえすだけだった。
 そのとき廊下をわいわいいいながら2,3人の男が女を探してあるきまわっていた。手荒く空き部屋を開けて調べていたがさすがにこの部屋には客がいると思ってか通り過ぎ「逃げられたか!」とつぶやいて奥へと消えていった。女は薄目をあけて外のようすを窺っていたが「男はみんな悪魔だ。いいように女をもてあそびやがって」としまいには私にまで食ってかかるしまつ。
 しばらく黙って聞いていると女は肩を震わせ、畳に顔を押し付けて泣き出した。その姿を見るとあばずれだと思っていた気持ちが消えてかわいそうになって声をかけた。なんて呼べばいいかと考えたが芸者さんともいえず
 「お姐さん、泣くのはよしなさいよ。泣けるのはみな心が善良のしるしで。お姐さんは悪い人じゃない。お姐さんの歩いて来た世の中が悪かったんだ。こんな商売から足を洗ってまともに暮らせばきっといまにいいことがありますよ」と慰めた。
 女はすこしして酔いが覚めたように身仕舞いを正すと、私も前に座り直し。
 「あんたはやさしい人だ。私は生まれて初めてあんたのような人に会ったよ」といった。
 もちろん私の言葉に感激したということではなく、女の体に指一本触れなかったことが私を立派な人にしたてたようだった。
 女はひとしきり身の上話をして土産に東京で配給になる乾麺の3倍もあるような大束を四つもくれた。
 翌日、役所で先輩たちにその話をすると誰も信じてくれずあははと笑うばかりだった。

 練習のつもりで時間があったから、すこし書き直してみた。もっと推敲できればよくなるのだろうが僕にはその頭がない。抜けすぎた。
 

2016/02/28(日) 懐かしいお客さんが来た
 懐かしいお客さんが来たので懐かしむような対応で遅くまで遊んでいた。おかげで懐かしいお客さんは11時近くまで降りてこない。ずいぶんと腹が減った。
 昼に小屋まで出て案内をした。この小屋にも何らかの形でお客さんが泊まって欲しいからだが、ひとりでこの小屋に泊まるお客を見つけるのは時間がかかりそうだ。まず1時間、2時間ここで過ごしてもらって慣れてもらうしかないだろうと懐かしいお客さんと話した。
 「この空間だったら習字をするにはいいのかも」と言う。「筆を何種類か吊るして墨を磨って何事かを書き始めたら結構面白いのじゃない」とも言う。気持ちを集中してやる何事でもこの小屋では出来そうだ。模型を作っても、絵を描いてもいいのかもと思った。夢中になれば夜通し関わっていられるだろう。そんな何かを今度来るだろう別のお客に聴いてみよう。どうも山のなかにいると頭のなかが寒さに凍えてしまうのかあんまりいいアイデアが浮かばない。それに少し飲みすぎる傾向にあるからだが?

2016/02/26(金) 読書も大変だ
 朝のうちちょっと晴れる。その後曇りだし昼には雪が舞い始める。気温は昨日と同じで寒いと感じている。
 本を読むのにもすこし工夫をしないと長く続かない。今は「汽車が好き、山は友だち」を読んでいる。先日来てくれた村山氏が面白いと褒めてくれたので5年ぶりに取り出して読んでいる。なかなか読みやすい本でうまい具合にまとまっていると感心も出来る。読みながらこれを脚本化出来ないだろうかなどと安直に考えながら読んでいる。東京の上野の長屋の貧乏暮らしと毎週浩然の気を養うために出かける山歩きをどうつなげるかと考えるだけで本の頁は進む。何か新機軸を考えると気分が変るのだろうかよく理解できる。
 主人公は実によく山へ出かけている。仕事はちゃんと続けている。今時の人にはわからないだろうな〜などといいながら長谷川末夫、僕の父親の本を読んでいる。久しぶりに親父さんに会ったように思っている。

2016/02/25(木) 性格は直らない
 続く寒さは−6℃。結構しばれています。
 3月はまた病院やら何かと忙しいので老人会の会計としては事業費の引き出しや決算の準備を今のうちにやっておこうと雪の降るなか索道で対岸に渡ります。
 毎週木曜日には農協の出張サービスがあるというので出かけました。落ち着いたご婦人に教えられて老人会の通帳を提出して事務を終えて出るとき言わないでいい事を口走ったようです。ほんの冗談のつもりだったのですが「まだ老人会には早いようですね」と答えてくれたのでした。そしておっちょこちょいの性格の僕は「いや何でも早いに越したことはない、ぐずぐずしてると座る席がなくなるから早く老人になりきる研修です」とやってしまいました。「ありがとう」で済むことをこういった軽口が何時も自分の失敗の種となります。困ったもので事務のご婦人には外で御免と反省するわけです。
 その後昼過ぎには雪も止んで老人会の会長宅を出て湯に寄って風呂を掃除して帰るころには青空が見え始めました。予報がよく当たります。寒さは依然として強いのですが降った雪は10cmほど、さらさらの真冬の雪でした。

2016/02/24(水) 寒の戻り
 寒い!寒い!月末までこんな天気が続くとテレビが言っている。続くのだろう。
 それならば気合を入れて本でも読むしかないだろう。逆らってもしょうがない。先日作ったカレーライスでも食べて日数を数えているしかない。だから外には出ない。まだ止まず10cm程になる。

2016/02/23(火) 春が近い分やることも早くなる
 除雪の状況を見に出かけた。
 切明からの林道から川西街道へとなされていて途中、半分辺りまで重機は来ていた。丁度いつも雪崩が付くところまでだ。時より小石が落ちて来ていたが雪の量は多くはない。斜面の雪が抱え込んだ石が融けるときに落ちる。それが落ち着けば問題なく来れるようになるのだがもう少し待つべきだろう。ただもっきりや道の雪が融けるのが遅い。僕の機械を持って来て自分でこの道はやるようになるのだろう。難しいのだ!
 思うに2ヶ月も早い除雪を目の当たりにすると草刈やら小屋の上水工事、チョウの準備やら一気に仕事が迫ってくるように感じる。
 帰りながらいつもなら集団で飛んでいる鳥たちもバラバラに動いている。草津を指差して白砂山を左に見て野反湖を越え草津から暮坂峠、榛名山の左を掠め妙義山を右に見て下仁田、万場を越えて秩父山地を過ぎて正丸峠、青梅から八王子、多摩丘陵を越えて新宿へと飛ぶんだぞ。草津白根の上は危ないとまで教えてやった。だからあの鳥たちはきっと明治神宮の森か皇居の森へと飛んでいけるだろう。少し寂しくなるだろうがオオルリやウグイスがそのうちに飛んでくるだろう。でも僕の身振り手振りで奴らは分かったのだろうか。ちょっと気になる。

2016/02/22(月) さて桜はどの辺にいるのか
 川西街道の道、除雪に取り掛かったという。勿論アスファルト道までなのだろうが3分の1ほどのところだ。冗談でなくこの分では3月うちには開通してしまいそうだ。本当なのだろうかと頭をひねる。
 そうなると桜がどの辺で咲き出すか、チョウがいつ頃羽化するか気になりだす。でもまだ2月のなかなのだ。本当かい?と尻を掻く。僕は4月の最後の週当たりだと感じている。そのことを福一さんに聞くと横になったまま「その辺だろう」と相槌を打つ。
 この前新宿からバスに乗った。2月18日だった。京王プラザホテルの前、交差点の植え込みでめじろを見た。明治神宮の森から飛んでくるようだ。副都心の高層ビル群の中を飛び回っているのだろうめじろには驚いた。秋山にもいるのだろうが僕はついぞ見ない。けれども彼は植え込みのつつじの蕾をつついてから甲州街道方面に飛び去った。車を上手に避けていた。街を行く勤め人の目には映りそうもなかったがあのめじろは大都会の街角で面白く暮らしているようだ。この辺の野鳥と比べて、ずっと餌採りも楽だし交通事故(?)さえ気をつければ都会のほうがいいぞとこの辺りで必死に群れて餌を探すガラ類の小鳥に教えてやった。サルやイノシシにも教えてやろうかしら!

2016/02/21(日) 援軍と
 去年の2月に屋根に上って雪下ろしを手伝ってくれた山の会の面々が今年も予定を組んで来てくれた。何とお礼を言っていいか分からないうれしさだった。
 去年は大勢で上った屋根も今年は雪も少なく片付ける雪も多くは無い。そのうちに消える雪になっている。
 彼らは対岸の旧仁成館の露天風呂の雪を片付け煙突下をきれいにしただけだったがここに暮らす僕らにとっては心強い手助けなのだ。
 彼らと2時頃からゆっくりと飲み始めた。笑いのなかで久しぶりの楽しい時間を過ごさせてもらった。
 どうも僕はひねくれ者で寂しいとは感じてはいないと常日頃から思っていたのであるが、お客さんと一緒に飲んでいるときはうれしくてしょうがない。つまり寂しがり屋でひとりでいるときの無聊を持て余しているだけなのだと感じる。だからぐずぐずと時間を過ごしているだけでこれはもったいないことなのだとふと気が付いた。人間67歳これではいけないのだとこれからの時間とにらめっこをしている

2016/02/19(金) 四月の風が吹いているような
 昼前に作業を終えたので今日はひとつ温泉に行ってみようと索道で和山温泉に向かう。ついでに内湯を抜いて掃除をしてきた。洗い場も一緒に洗ってみた。亡くなった御主人はよく風呂場を管理していたものだ。高齢になったお上さんには無理な作業だ。ただ裸で四つん這いになっての作業はあんまり格好のいいものではない。やりだしてしまったのだからと続けたがタイルの目地を磨くとこの間の汚れがきれいに流れた。また来週辺りに掃除をしてみるか!
 気温は6℃前後まで上がって屋根に目をやると10cmほどの雪が残ってはいるのだがしばらくは降らないように感じる。この辺では月夜廻りの晩は降らないといわれている。昼の雪は左程気にすることはない。本当に屋根に上がることはないと実感している。
 昨日切明から屋敷に向かう秋山林道を除雪する車を見た。仲間に訪ねると白沢あたりまで終わっていると聞いた。今日の天気で屋敷近くまで行ったかもしれない。「3月にはもっきりやまで車でいけるようだね」と仲間にからかわれたが切明の斜面の雪は皺がよって4月の景色だと僕は感じた。

2016/02/18(木) 晴れを味方に仕事だ
 今日帰って来ればよかった。いい天気で気温も上がった。
 仕事があるというので弁当を作って出る。久しぶりでとても疲れた。仕事に出るとめずらしいところに行くようになる。下手な写メだけれど目先が変る。今日は魚野川の先まで河原を歩く。雪が少なく除雪は直ぐに終わる。その後が大変だったがやる以上は泣いていられない。それでも今日はちょっと疲れた。早く寝よう!

2月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.