|
2016/02/29(月)
お目汚しすまん
|
|
|
6℃もあった気温も一気に下がって0℃を割るようになったころから細い雨は雪に変わった。あまり情緒のない細かい雪が糸で線を引くように降ってきた。こうなるとぶるっとひとつ震えて首をすぼめ薪を投げ込んで餅を焼く。 昨夜は南の風が強く吹いていたけれど北の前線に閉じ込められたのか消えた。 何もしないのだし、食べたくも無いし、酒も不味いし、腹も減らないのだが時計を見ると何となく口をうごかしてみたくなる。 ★★ 「汽車が好き、山は友だち」から 昭和18年になっても庶民は戦局の厳しさは知らされずただ食料不足や燃料不足に先の不安を感じていた。私は徴兵を気にしながらやれるうちにと好きな山や旅を続けた。 そのときは旅と食料探しが一緒になったような食べ物漁りの旅だった。 一升の米が欲しくて交渉していたおかげで本宮駅の最終に乗り遅れてしまった。 「まいったな〜」非常時に役所といえども休むわけには行かなかった。そこで朝に上野に着く夜行列車を待つことにした。それまでの6時間を駅前の旅館で過ごそうとその前に立った。 「ごめんなさい、汽車の時間まで休ませてもらえますか」 「いいですよ、ちょっとうるさいかもしれないけれど。1円も貰おうかな」と番頭は手を出した。 2階の六帖間は薄汚れた襖の中で寒そうに見えた。寝過ごしてはいけないと毛布に包まって横になっていると軍人といえどもこの非常時にどんちゃん騒ぎの宴会とはなんだと呆れて横になっていた。 バタバタと乱れた足音に目を覚ますと部屋の前で止まった。荒々しく襖を開けて着崩れた和服の女が入ってきて「あんた一人かい」というなり私の前に座り込んだ。よほど酔っているようで体が右に左に揺れている。 「あんた私にお酒飲ませなよ、飲ませてくれたらあんたのいうとおり、なんでもさせたげる!」というや酒で充血した目をつぶって仰向けに寝転がってしまった。 私はこのとき30歳だったが、いまだに女を知らず、ミルクホールひとつ入ったことがなかったから どうしていいのかわからず困って女の顔をみつめかえすだけだった。 そのとき廊下をわいわいいいながら2,3人の男が女を探してあるきまわっていた。手荒く空き部屋を開けて調べていたがさすがにこの部屋には客がいると思ってか通り過ぎ「逃げられたか!」とつぶやいて奥へと消えていった。女は薄目をあけて外のようすを窺っていたが「男はみんな悪魔だ。いいように女をもてあそびやがって」としまいには私にまで食ってかかるしまつ。 しばらく黙って聞いていると女は肩を震わせ、畳に顔を押し付けて泣き出した。その姿を見るとあばずれだと思っていた気持ちが消えてかわいそうになって声をかけた。なんて呼べばいいかと考えたが芸者さんともいえず 「お姐さん、泣くのはよしなさいよ。泣けるのはみな心が善良のしるしで。お姐さんは悪い人じゃない。お姐さんの歩いて来た世の中が悪かったんだ。こんな商売から足を洗ってまともに暮らせばきっといまにいいことがありますよ」と慰めた。 女はすこしして酔いが覚めたように身仕舞いを正すと、私も前に座り直し。 「あんたはやさしい人だ。私は生まれて初めてあんたのような人に会ったよ」といった。 もちろん私の言葉に感激したということではなく、女の体に指一本触れなかったことが私を立派な人にしたてたようだった。 女はひとしきり身の上話をして土産に東京で配給になる乾麺の3倍もあるような大束を四つもくれた。 翌日、役所で先輩たちにその話をすると誰も信じてくれずあははと笑うばかりだった。
練習のつもりで時間があったから、すこし書き直してみた。もっと推敲できればよくなるのだろうが僕にはその頭がない。抜けすぎた。
|
|
|
|