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2016/11/19(土)
C11325
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汽車馬鹿なのだ。子供の頃は機関手にあこがれていたころもあった。C57,C61,D51,C56それにC62すごく格好の良い機関車だった。 昭和30年代、僕の両親は一年の大企画として夏休みに家族旅行に連れて行ってくれた。それはうれしくてうれしくて近づくと眠れなくなって兄や弟といろんな想像をしたものだった。帰りの列車が上野のそばまで来ると何というのか悲しい思ったものだ。その旅行はいつも蒸気機関車と長い客車の中で続いたのだ。 汽笛を聴いて僕は高揚した。遠くで聴くだけにしようと家を出たのだがとてもそれでは収まらなくなった。 飯山線の沿線はよく走っていてどこで列車を見たらいいのかは分かっていた。ところがファンが多くて機関車を見るどころか人を見るだけのようだった。白鳥の近くで僕は汽笛を聴いた。煙を見た。C11型の機関車はまるで愛嬌を振りまくばかりでのろのろと走り去った。飯山線は比較的勾配の少ない線で本来はもっと速度も出るのだろうが何せ観光列車というのは舞台でのお披露目のようなものだ。それでも汽笛と煙を感じてあの家族旅行のシーンが思い出せたのも本当なのだ。気持ちを抑えて離れたところで遠く列車を感じられたらきっと僕のそばには父や母、兄や弟もやって来たことだろうと思った。明日はもう行かない。
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