来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
2019/10/04 HP日記の改修に悩んでいる
2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2016/11/30(水) 一年が早い
 晴れた分寒さがきつく索道が凍り付いて右岸へ渡るのに何回も呼吸を整えなくてはならない。気になるのは索道のロープが凍り付いて切れたり、かごを寄せる細いロープも切れるのではないかとドキドキした。対策を考えてみるが切れたときはじっとして救助を待つしかないと諦めた。
 切明から一気に岩菅山の登山道を上る。これがなかなか厳しい。寒さのせいで雪が固まらない。ずるずると足が抜ける。これを終えれば山行は終わるぞとゆっくり上る。下りだって同じだ。歳を考えて冬の山行きは辞退したほうがいいのかもしれない。それでも山屋はよくこんな雪を好んで登るのだろうと呆れている。仕事だから登りもするが部屋を暖めてのんびりしていたほうがいいに決まっているのにと僕は思う。
 ところで渋沢の高橋橋は踏板を取り外していた。渋沢には行かないほうがいい。それと、一昨日の雪が消えそうもない。根雪になってしまうのかと気になっている。明日から師走だ。早いな〜

2016/11/29(火) 渋沢を雪の中に置いて来た
 積雪は20cm。群馬側渋沢は15cm。終日止まない。根雪になるようだ。それでも渋沢行は予定済なので行ってきました。今は昨日の想像通りストーブの前で足を延ばしていました。辛いことも楽々とすることも織り交ぜながら生きてきました。
 エンクラ坂の上りはどうにか付いて上がった。それでもたばこ一本分の遅れはあった。それから馬の背隧道までは遅れたとしても予定のうちだった。本隊が渋沢の急いでいたのか晩鳥沢まで来ると本隊の姿は見えなかった。とにかく本隊に合流すべく追求にかかる。急ぐのだが雪に足を取られ遅れが広がる。結局渋沢まで本隊に合流することは出来なかった。こういう時は本隊だって遅いのだが僕はその後15分の遅れで戦場に届いた。
 予定をすべてこなして戦線を離脱し橋を片付け、手すりを外して雪のエンクラを下ったのは5時を過ぎていた。自宅でストーブを点けると時計は6時を回っていた。熱燗をつけて一杯飲んで足を延ばしてホッとしている。
 渋沢は春まで夢のなかである。ちょっと感じたのはこの時期水平道を歩くのはいい経験になる。渋沢には避難小屋だってある。3人が定員だけれど。

2016/11/28(月) 後4日続く
 終日冷たい雪が降る。水雪で重く手袋を重ねてつけてカッパは染みとおる。雪が積もる頃の気持ちをなえさせる降り方だった。
 明日は渋沢方面の冬季対策で雪の中を歩くことになる。帰りのエンクラの下りを思うと病気になりたいと思うのだけれど仕事仲間を裏切ることは断固として出来ない。今は24時間後の自宅でのくつろぎを切に想像してみる。寒いんだぜ!

2016/11/27(日) 天野季子現象
 十日町、「いこてホール」に初めて行った。小さい小屋で100人はちょっと無理かなという広さで地方の劇場としては良い大きさだ。
 今年の3月に小林茂監督の「風の波紋」、上映初日の舞台挨拶に呼ばれて出た。その時主題歌を歌った天野季子さんの歌声を聴いて驚いた。声の質がいいのだ。そのコンサートが「いこて」で行われた。
 彼女の歌は愛とか悲しみ未練といった暮らしの中の出来事ではなく、讃美歌のような心の在り方についての導きでもない。地上で繰り返されている自然の動きの前でつぶやくような息吹きの歌である。一本の声の糸が風に吹かれて高くまた低く僕に届いた。
 今どきの歌とは違ったまったく別のところにある新しい歌だと思う。たぶん天野季子の体力や志向が衰えないでいたら10年たてばたくさんの人たちに認知されると考えている。「風の波紋」が与えた感動から「めざめのとき」が生まれた。新しい声を聞いた。
 終わって帰り着いたら11時も半分過ぎていた。おまけにGSがどこも開いていない。燃料を気にしながら今朝もう一度津南に下がって満タンにしてこなければならなかった。
 昨夜録画した「地球タクシー リスボン」を見ていたら変わってしまったリスボンでもいいからもう一度最後にファドを聴きに行きたくなった。古い歌だとしてもこれも充分いい歌だ。

2016/11/25(金) 冬季対策が続く
 通行止めの奥志賀方面を走って雑魚川の水平道に向かう。今年は少し冬季対策が遅れて雪のなかでも仕事が続く。雪は前回10日の雪と比べると水分が多く今日の帰りになると落ち着いて来ているように感じる。それでも雪の中を長靴で歩くのは疲れる。下りになると足元が落ち着かずに2回も尻もちをついた。急な斜面ではナイロンの雨具が雪の上を滑る始末だ。67歳、もうジジイだから格好はつけないが転んだ姿は良いものではないと感じる。こんな山奥でひとりで暮らしているときっと事故でお陀仏になると予感がある。何時間もひとりで震えながら終わるのかと考える。
 だからそんなことが起きそうなところの不具合は先、先と直していく。索道の滑車が古く滑りが悪くなった。ベアリングが壊れれば川の上で救助を2時間待たなくてはならない。そんなのはまっぴらだから雪の前に換えておこうと考えた。安くはないがやらなければ2時間川の上で過ごすのは全くまっぴらだから。

2016/11/24(木) 2度目の雪だ
 東京も積雪ということで、諏訪では20cmの雪。しかしここでは標高800mほどではあるけれど朝で2cmだった。
 雪は8時を過ぎるころから強くなってそう、15cmほどになった。気温が予想より下がらず雪は車に踏まれて水っぽく溶けだす。こうなるとスタッドレスタイヤもよく滑る。下りのきつい坂では注意して速度を落とす。ただ、もしかして、うまくすれば今回の15cmは消えると僕は考えた。

2016/11/23(水) 映画のように時間が過ぎた
 小林茂監督作品「風の波紋」が3月に公開されて各地で上映が続けられている。4〜5年かけて撮られた力作でそのドキュメント映画の協力者が昨日はこのもっきりやに集まってくれた。今年最後のお客さんでもあって高波さんの手打ちそば、ムジナのもも肉、豚しゃぶ手作りのベーコンと盛沢山だった。
 久しぶりに議論らしい話もできて面白く時間が過ぎて行った。津南や長岡で暮らす人たちは蕎麦の出来や大豆の収穫、また2反の田んぼで13俵のコメの収穫、染色の原料の探し方や萱屋根のための萱刈の話などは知識として聞かせてもらった。
 地元の仲間とで少し飲みすぎた。今度は僕が3000円持って十日町やら長岡に出かけることにするか!ただ彼らの暮らし方は実に質素で贅沢な僕の暮らしと比べるとちょっと寂しい。暗い電灯や映像のない寒い部屋を考えると二の足を踏んでしまう。

2016/11/21(月) 暖かい日だ
 日中は暖かく日が落ちてからは南風が木々を揺らします。
 こんな日が続くと得したという感じとこの後の荒れる天気に気を使います。天気が良くても心配、天気が悪くても心配。何だか貧乏性ですが人とは多かれ少なかれこんなものでしょう。だからこそ、少しづつ暮らし方が良くなったのだと感じます。
 この分では今月内は川西林道は走れそうだなと思う反面積雪で走れなくなった車も考えるのです。良いことも悪いことも人生には付き物です。
 飯山線のSL運転は飯山駅に転車台がないため帰還したようですが今どきのSLはまるで花魁道中のようだったと笑います。今度は時間を作って大井川鉄道の機関車に乗りに行こうと考えます。あの鉄道は時刻表がありますから。

2016/11/20(日) 秋山地震ド〜ン
 晴れは昼まで。洗濯をしてトイレの便座を換えて福一さん宅に寄り雄川閣によって風呂に入る。狭いところに頭を突っ込んでの便座の作業には何時も参る。時間はそんなにかからないのだが必ず首が重くなる。
 昨夜からこの辺り特有の地震、「秋山地震」が起こっている。揺れは大したことはないのだがドドンと大きな音がする。この辺は岩盤地帯なのだと思うのだがそれと関係があるかは分からない。あまりの大きなドンにびっくりすることしばしだが3回目あたりになると慣れてしまう。その辺が生死を分けるのだろうが僕はもう気にしない。ド〜ンン

2016/11/19(土) C11325
 汽車馬鹿なのだ。子供の頃は機関手にあこがれていたころもあった。C57,C61,D51,C56それにC62すごく格好の良い機関車だった。
 昭和30年代、僕の両親は一年の大企画として夏休みに家族旅行に連れて行ってくれた。それはうれしくてうれしくて近づくと眠れなくなって兄や弟といろんな想像をしたものだった。帰りの列車が上野のそばまで来ると何というのか悲しい思ったものだ。その旅行はいつも蒸気機関車と長い客車の中で続いたのだ。
 汽笛を聴いて僕は高揚した。遠くで聴くだけにしようと家を出たのだがとてもそれでは収まらなくなった。
 飯山線の沿線はよく走っていてどこで列車を見たらいいのかは分かっていた。ところがファンが多くて機関車を見るどころか人を見るだけのようだった。白鳥の近くで僕は汽笛を聴いた。煙を見た。C11型の機関車はまるで愛嬌を振りまくばかりでのろのろと走り去った。飯山線は比較的勾配の少ない線で本来はもっと速度も出るのだろうが何せ観光列車というのは舞台でのお披露目のようなものだ。それでも汽笛と煙を感じてあの家族旅行のシーンが思い出せたのも本当なのだ。気持ちを抑えて離れたところで遠く列車を感じられたらきっと僕のそばには父や母、兄や弟もやって来たことだろうと思った。明日はもう行かない。

11月絵日記の続き


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