来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2019/10/06 索道の手入れをした
2019/10/05 山が少し色づいた
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2019/09/30 患者も湧く、カメムシも湧く
2019/09/29 昨日は商売繁多であった

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2015/04/30(木) 山の花も新緑の中のひとつだ
 続いた天気で布団を干し終えた。昨日はまだ川西街道は手付かずで今日はと期待をして上っていったがまだ石や雪が残っている。ブルが入れば直ぐに終わると思うのだが役場のブルは苗場山方面にでも行ったものかやってくる気配は無かった。期待するとしたら明日なのだけれど。
 昨日来た友人と小屋の場所を見てまわる。山菜はフキノトウ、コゴミ、シシウド、ヤマニンジンくらいなものだが花を探すとハクサンイチゲ、ヒトリシズカ、二輪草、レンゲ、エンコクサと咲き出している。中津川対岸を見ると新緑が色を重ねてきれいに見渡せる。開拓の桜まで出て見るとそれは散り始めていた。
 作業をしていた屋敷の人に聞いてみると今年はブナの花がとても多いという。このまま霜に打たれなければ7年周期のブナの実がなる年になるという。今年の熊はそうなれば里になんぞ下りてこなくてもすむだろう。
 ところでこの連休中は353は昼の間は通すようだ。また奥志賀方面は5月22日の17時頃から開通だという。

2015/04/28(火) ひょんなことから津南の桜を見る
 今朝は8時に起きだして布団を干した。やることは多いから計画的に動こうと思った矢先に電話で病院へ連れて行ってくれという。出し終わった布団を眺めながら困ったが目まいがすると窮状を訴えられては見過ごすことは出来ない。病院へ向かいながら患者Aは元気だった。
 2時に戻って布団をしまい台所の雪囲いを外して、冬の雪消し用のパイプを片付ける。問題の川西林道を見に出かけた。まだ道の上には雪と倒木、石と枯れ枝が落ちたままだった。5時を過ぎて帰って来たところで何となく疲れて最後のビールなんかを飲んでしまった。半分残った布団は明日以降に天気を見ながら干すとして、2階の部屋掃除もしなくてはならない。これでひとりの仕事は忙しいのだ。
 電話で3日の予約が入ったが部屋が無い。屋根の雪下ろしを手伝ってくれた人達だったのでこれはまずいと思うのだがしょうがない。奥会津の人のところへでも紹介するかと思っている。
 ひょんなことから津南に出る道すがら反口の小さな社に咲く満開の桜を見た。このロケーションが好きで何時も立ち止まってみるのだが桜は染井のような色だ。でもこの桜の周りで起こった歴史を感じさせるいい桜だと思っている。桜は秋山ばかりではない。津南も飯山も野沢も十日町もこの頃に咲く照れ屋の奥手のそれはいいものだ。

2015/04/27(月) 暖かい風に吹かれる
 このところの陽気で中津川の水量は増す。桜が一緒に咲き出して忙しい。
 台所の雪囲いは明日外そう。玄関に通水していたパイプも片付けよう。三角小屋も整理して天気がよければ布団も干そう。最後の冬支度を終える。それでオオルリでも探しに行こう。それと川西街道ともっきりや道をも一度見てこよう。
 一気に水かさの増えたなかを何本もの流木が流れてきたというので仕事に借り出された。ここの電気が都会の賑わいを支えているのだし仕事に出られるのはもっきりやの3000円を維持する大切な作業だ。がんばって初夏のような風が吹くなかがんばった。

2015/04/26(日) 桜も鳥も虫たちも
 4月も終わろうとしている。早いものだ。大雪だった今年の冬も、嫌だ嫌だと泣いた雪もすっかり忘れて小鳥のさえずりや、咲き出した桜やすみれに夢中になっている。嫌なことは早く忘れて今を楽しむしかないからこの辺りの連中は春を暖かさを楽しんでいる。昨年の12月から今日まで雪、雪、雪だった冬は何と5ヶ月も続いたのだ。これは来年も再来年もず〜っと続く修行のようなものだ。だから春に夢中になる。土が見えはじめると肩こりが融けていくように感じるのだ。
 まだ見てはいないけれどきっとオオルリも来ているだろうし、鶯だって直ぐ近くにいるように思う。春だ。春だ。春だ。
 居間の掃除をしてから対岸を見ると「湯の桜」が紅く見える。咲き出したと思って右岸に渡る。索道の脇の「鉄索の桜」も咲き出す。湯の桜はまだほんの少しだが遠くから見るといかにも暖かい色に包まれている。咲き出したのである。

2015/04/25(土) 桜が咲いた
 川西街道の状況を見に出かけながら桜の確認をした。中津川を挟んで右岸、左岸とも日当たりのよいところの桜が咲き出す。つぼみもあるが3分咲きもあって気持ちが動く。車を止めて眺める時間が長くなって進まない。
 除雪の状況はここに至る川西街道はほとんどの雪が消えているがところどころ残った雪の上に大きな岩や倒木が見られる。志賀方向の道はミズの沢まで行われていた。ここが終わって帰りにもっきりやへの道にかかるはずで連休前には終わらないかもしれない。ただずいぶん早く雪が融けていたのには驚いた。
 仁成館の「湯の桜」は何輪かが咲き出した、明日あさってだろう。ところが「開拓の桜」は3分ほどの咲き具合でいい感じに見られた。中津川左岸の秋山林道は通行止めの看板が切明に出ているがどうにか通れた。落石、倒木を避けながらの走行になった。道は屋敷までは可能だ。ここでも桜が咲き出している。右岸の林道は屋敷までで、鳥甲牧場へはまだまだ無理だ。
 屋敷橋を渡って上の原を過ぎると道下のそこ此処に桜が見える。色の濃い紅大山桜だ。秋山の桜は早い。来週一杯で終わりになる。此処の桜も秋山らしい。

2015/04/24(金) お稲荷さんだのり巻きだ
 鯖を煮た。揚げを煮た。かんぴょうを煮た。きゅうりを切った。つまり今日は稲荷とのり巻きを作ることにした。鯖は昨日の飯山で買ってきた生鯖で光っていた。これは煮るしかないが塩鯖を焼いて皮を取って身をほぐし酢で〆てご飯に混ぜ込んでもいいと思った。つまり五目寿司っぽく作ったものを稲荷やのり巻きにしてもいいのではないかと思ったからだ。いいはずだ。当たり前だ。そのときは揚げは味付けを控えて五目寿司を主体にするべきだろう。と遊んでいる。
 もっきりやの料金は今年も1泊2食3000円と決めた。ただいろんなものの値上がりのなかでお客さんには我慢してもらって粗食ということにしよう。美味いものは都会で食べてください。ここ秋山は昔から厳しい土地で作物も少なく人たちは貧しいものしか口に出来なかったのだからそれを体験してもらおうと思っている。戦争になっていろんなものが統制になり配給になって初めて食べられるものもあったというのだから都会とは真逆ということだ。その頃のここでの主食は雑穀や蕎麦。米にしたって米選機下といって粉砕された屑の米を新粉にしてあんぼにするしかなかった。今はそんな粉砕米を集めるのが難しいから普通の飯米でこれはたくさん食べてもらえるようにするから安心したまえ。気が向かばお稲荷さんだって作ってやろう。そういうことだからおいしいものを食べたい人は別を探したまえ。

2015/04/23(木) 桜が来そうだ
 飯山から津南、405号線に入って見玉あたりまで桜が咲きだしている。秋山に向かうと気の早い木は雪のなかで咲き出したものも見られた。ただ旧仁成館の「湯の桜」はまだ先のように思える。それでも今度の日曜日にははじまりそうだ。そうなると「開拓の桜」も確認に行ってこなければならない。それは明日の仕事だ。
 人の一生が70から80年で充分だと思っている僕にしては、例えばその中間の75年として後10回の桜を見ると、ハイお仕舞いとなる。盛岡の石割り桜や高遠の桜、北の丸、御苑、吉野の上千本といろいろ見てきたけれどどこも如何にも人が多すぎた。一番の記憶にある桜は多摩川の左岸府中の川沿いの農家の庭に咲いていた一本の桜だった。今は公園や施設建設で切られてしまったのだけれど、その一本が忘れられない。100年は経ていたように思えたけれど、作られた染井吉野と違って立派な古木だった。もっとちゃんとじっくり見ておくべきだった。残り10回の桜を待つ身としては思うのだ。先日の中国山地を走る地方線の駅に植えられた桜は、そこに暮らした人々の鉄道への想いを、旅する人たちに対する正直さが感じられる好い木がある。それを見たいものだ。
 今日は野沢の十王堂の湯にひとりつかっていた。目をつぶると魚島の桜がはらはらと散った。

2015/04/22(水) 1日でも長く老人として生きる
 老人会に初めて出た。この辺りの老人会にも参加する人は少なくなったと聞いた。昔と違って今はみんな一緒の集まりが苦手になったのだろう。僕だってそんなに好きではないがここ秋山はそんな年寄りたちが生きてきた厳しい、貧しい時代の暮らし方がひとつの財産だからだ。我慢の仕方や時どきの楽しみ方を年寄りが語る言葉で聞いておくことが大事なのだと感じている。彼らの、そのひとつ上の世代の思い出話しをも含めて聞いて置ければそれが秋山の「時代民俗学」というものだ。病気の時、お金のない時、悲しい時、楽しい時いろんな過ごし方と諦め方を人間の鑑として記録しておかなくてはいけないと思う。それがこの厳しい土地で咲く美しいものなのだから。
 一杯飲んで送ってもらって帰り着くと疲れて力が抜け寝てしまった。気が付くとテレビがワイワイ鳴っていてひとりで眠りから覚める自分が10年も年を重ねた老人になったような気がした。    「2001年宇宙の旅」のボーマン船長のように。

2015/04/21(火) 長野市観光
 長野市まで出る。用事というのは先の事故の責任分担率が50パーセントという通告を受けて、納得できないから法律事務所の門をたたいたわけで、これからは弁護士先生に任せるようにした。僕の任意保険には弁護士特約があったからでそれならと泣き寝入りはしないで、また折角のことだから事故というものはどんな具合に決着がつくのかと勉強をしてみようと考えたからだ。みじめったらしいというようなことを言う向きもあるだろうが運転して45年、初めてのことだからいいだろう。もっとも僕は止まって相手が滑って突っ込んできたのだから5分5分では得心が行かないのもある。それこそぐずぐずと書いていると女々しいといわれそうだからこれで止める。
 長野まで来たのだからと善光寺の御開帳を訪ねてみた。人は多かったが浅草寺には及ばない感じだった。序でに怪我をした青年を見舞って帰って来た。明日は老人会だという。明後日は飯山のハローワークだ。これが終わると今度は別の忙しさが待っている。
 長野では終わった桜も飯山、野沢では咲き始めているようだ。

2015/04/20(月) 庭に着いて考えた
 風が唸っている。東南の風でやたら吹き飛ばしている。ウウ〜と唸っているうちは出ない。
 昨日トイレを片付けておいてよかった。雨に降られたけれど大切で嫌な仕事を追い抜いた。昼過ぎて風もすこし落ち着いたので今度作る小屋の庭へ引く水のコースを探していた。こういった大自然のなかでどうやって人工的な庭を造ればいいのかよく分からないけれど水を流して小川を造り、小屋からの景色を考えて雑木を切ってロケーションを整えるだけなのだが岩を置いたりコケを生やしたりすればずいぶん庭っぽくなるのじゃないかと考える。自然のなかで小屋とその周りの庭はだんだんと自然に飲みこまれていくようにすればいい。小さい小屋に居るのだから、そことその周りは人工的でなければ大きな自然に呑みこまれるような恐怖を感じるだろうからだ。真の闇の怖さを理解してもらうのも大事な経験になると僕は思うのだけれど。
 ついでに索道駅の雪防止ネットを外してみた。

4月絵日記の続き


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