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2014/06/18(水) ネズミは飼っているのではない。
 中津川の水量がドンと減ったように感じる。梅雨に入ってからさほど大雨は降ってはいない。今年の梅雨は少雨だと聞いたが今のところはその通りだ。
 きのうは帰って来てサッカーを見た。どのチームも恐ろしく上手い試合をするものだと感じるが見つかれてしまった。ボ〜っとしていると足にぶつかって小さなネズミが通り過ぎた。この間3匹のネズミを片付けたがきのうの奴はまだ子供のような動きをする。チョロチョロと出てきて僕の顔を見てから引っ込んだり遠くを一直線に走りすぎたり、挑戦しているのかそれとも和解の糸口を探しているのか、いやに気安い。その都度大きな声で注意を喚起するのだが一向に聞く耳は持たない。困った奴だ。
 畑のヒメジオンやハルジオンを刈り残して置いた。そこにきょうはウスバシロチョウがヒラヒラはらはらと飛んでいる。雑草を刈残すとみんなに馬鹿にされるがチョウには喜ばれている。人間よりかチョウのがきれいだからそれでいい。

2014/06/17(火) チョウだって個性が違うのだ
 チョウの幼虫なんてものは可笑しな動き方をするものだ。
 5月15日頃に見た卵は15日かけて幼虫になった。卵からほとんど同時に孵り集団で動いて食草の裏で固まっている。その後7日ほどで1回目の脱皮をすると少しずつ集団がばらけて気に入ったもの同士で2つとか3つになって葉っぱに裏側にくっついている。小さい幼虫はちょっとした振動で落ちてしまったりするけれど鉛筆の芯ぐらいの大きさになるとだいぶ大人びてくるようだ。筆の先で突っつくと身体をそり返して角を出して威嚇しているのだろう。早い固体は2度目の脱皮も終えたようで風格も出てきた。なにせ数が多いのでこれからが大変で彼らの糞も大きくなって食べる量も増えてくる。今いる幼虫がもう少し大きくなった頃に半分ほど自然界に返す。残りの50ほどの幼虫をがんばって蛹にして春を待てば来年はこれからの循環の元になる数のチョウを見られるのではないか。さすればここのチョウを自然に任せられる。そうならなくては僕の体が持たない。
 ヘリコプターが荷物をぶら下げて渋沢に通うのを見た。何回も。

2014/06/15(日) だからライブで見たかった!
 チームの選手はよくやっていると思う。誰がいい、悪いということは云えない。世界は広く多様な人間がいる。そのなかでひとつの試合に勝つということはそんなに簡単なことではない。ということは分かっていたが近頃のサッカー番組の解説者やアナウンサーたちは勝つものとして話し出す。でも、まさかと思いつつ、もしかしたら勝てるかも 勝つかもしれない、勝ってくれと気持ちが高ぶってくる。この前の大戦前夜とそんなに変わってはいないものだ。本当の戦争ではなくてスポーツだとしても報道は戦争前夜のような気の入れ方だった。もちろん戦う前から負けると言えばこの国のファナティックな国民から国賊呼ばわりされるのだろうがそれでも冷静な判断をする人を僕は見なかった。原発の時もそうだったが大戦の時もそうだったのだろうと思う。
 でもたかがサッカーなのだからそんなに冷静に見なくたっていいのだ。だから!だから負ける前にビール片手に立て打て勝て!と応援するしかないじゃないか。負けた試合の録画を興奮して見ることは出来ないだろう。運動会は病気欠席しなければいけなかったのだ。まじめな性格が生き方や感動を奪い去る。しょうがないからビールを発泡酒に変えて映画を見ながらチロチロとサッカーを覗き見しよう。
 運動会会場で福一さんの出来上がった正装の写真を見せてもらった。なかなか立派である。今度僕も正装で写真を撮ってみようか。

2014/06/14(土) 草刈を終える
 スノーダンプをようやく片付ける。スコップやら古い長靴も片付ける。
 朝のうちは雨が降ったり晴れたりしていたが昼過ぎにどうやら雨の心配はなくなった。そこから草刈に出る。林道から川西街道までの間を刈り終える。3週間かかっての作業だった。土日だけの仕事でどうしてもこれだけかかる。すると初めに刈ったところはまた草が伸び始めている。いたちごっこのようなものだ。
 明日は地区の運動会。暢気がない。

2014/06/13(金) リスボア
 降ったり止んだり、晴れたり降ったりと忙しい天気が続く。予報どおりなのだがひどいことはなかった。まずまずなのである。
 65歳になってまだ仕事がしたいとは僕は思わないがもう少し働いて貯金をしてポルトガルのリスボンに行きたいと思っている。僕がはじめて海外に向かったのは40歳の頃でヨーロッパをひとりでひと月歩いた。そのときに一番面白かったのはポルトガルのファーロとリスボンだった。もう一度出かけてファドを毎日聞きにいくのだ。それからアジアやアフリカにも行ったが記憶に残るのはポルトガルだった。だからもう少し貯金をしてひと月ヨーロッパを歩きたいと思っている。50万は掛かるかなと思うのだ。今の人にしてはもっと普通に海外に出るのだろうが僕の子供の頃には車に乗るのだって年に何回しかなかった。車を運転するということだって思いもしなかった。パブリカという車が出たのは僕が小学生の5年の頃だったろうか。もちろん飛行機に乗れるとは思ってもいなかった。だから40歳までは戦前の日本人とそんなに変わらなかった。兄がパリに1年留学をしたことがあったが従兄弟が言うには長谷川家は日本の先端を行く名家と比べると100年遅れているといったものだ。兄がパリに出かけたのはまだ1ドル360円のころで長谷川家では初めてのヨーロッパだった。
 そこに行けばきっと亡くなった兄のため息が聞けると今でも思っている。言葉が出来なくても気持ちで外国を歩いた時代だったのだと僕は思っている。東ベルリンとの境界のことやスペインの列車の思い出。もう一度ヨーロッパを歩いてリスボンでファドを聴きたい。

2014/06/12(木) 今年はしっかり梅雨だ
 今年は梅雨に入って如何にも梅雨らしい天気が続く。山を歩けば汗をかき家に帰ればうすら寒さに悩む。以前は梅雨が終わる頃までストーブを付けることもあった。飲みたいビールは寒さに向かないし燗にした酒ばかりでもちょっと飽きる。今日は焼酎のお湯割にでもしよう。
 ところで15日はここでは秋山小学校の運動会だという。10時からはワールドカップブラジル大会の日本戦なのに生徒二人の運動会とは如何なものかと僕は思っている。こんなときはめったにないのだから小学校に集まってみんなで試合を観戦して盛り上がるべきだろう。よっぽど記憶に残る一日になると考える。長野は教育県だというがそれは昔のことで山間の続く広い県は戦前から貧しい地域が多くそのなかで生き抜いた人間の強さこそ強調するべきなのだが、一方で観光県という看板を掲げるために人間の負の面は抑えられてしまうのだろう。貧しいところの人間はひとつのことにこだわらず臨機応変に立ち向かう機知があるのだが今の地域の鷹揚さは行政やら教育といったお役所的な予定調和のなかでなくなってしまったのだろう。僕はライブで試合を見たいのだが役目柄そうも行かない。たとえ負けてしまうとしても折角の日曜日の試合だけはビール片手に見てみたいものなのだけれど。

2014/06/11(水) 「神を信じよ」という看板は!
 十日町へ下る国道沿いにところどころ、あれは何と言って呼んだらいいのか分からないが聖書の一節の文言を書いた黒い板のメッセージをよく見かける。時には穏やかに、時には強く人間の本質の弱さを突いてくる文言である。
 友人が何時か言っていたがこれを研究というのか調査をしている人がいて本も出ていると。面白いところに目を付けるものだと感心した。「悔い改めよ」「罪のゆるしを得よ」「滅びの日は近い」「こころからイエス・キリストを信じなさい」「神は見ている」などその文言は限がないように思う。漢字にはルビが打ってあって時には「聖書」と書かれている。僕が子供の頃からそれは有って見る度にドキンと心に刺さった。研究者が言うには掲げられた建物の所有者も何時からそこにあるのか分からないという人がほとんどだと聞いた。
 日本には今はどうか分からないがキリスト者と共産主義者は100万人を越えないと何かで読んだことがある。すると戦後の共産党の山村工作隊と同じような時代の運動なのだろうか。漢字にルビが打ってあることは文字の得手でない人たちに対するものであったのだろう。その運動の残滓として今も地方の国道沿いの納屋の壁などに残っていると思われる。文言の内容でたたりでもあると困るというのか取り外されていないのだろう。でも僕は現代人に対する恫喝のように感じて、いつもなるほどと微笑んでみている。でもこの看板からではキリスト者は増えないだろうと思う。むしろ逆効果なのかもしれない。
 それでもこの看板に出会うと何となく懐かしく考え込んでしまう。時限爆弾のような効果で今は面白いと感じる。なぎら健一(?)という本業は分からない人だが、きっといつかラジオで話す声を聞きそうだと思って走り帰ってきた。

2014/06/10(火) 奥山紀行
 山を歩いている。暑いと感じる。気温は25度。尾根に出ると風が流れていて、出て来てよかったと感じた。
 山にはまだ残る二輪草やすみれ、小さなりんどうも見た。雪が消えたところには薄い黄色のフキノトウを見る。残雪は氷のように硬くスコップも跳ね返される。川の流れに積もった雪は何回ものなだれに押されてつぶれている。残雪が大きなブリッジになって渡るのが怖いくらいだ。30mほどの残雪を渡っているときだったがヅンと亀裂が入ってほんの少しだが動いた。小さな地震かと思うような揺れを伴っていた。雪はそこだけなのだがいつもドキドキする。
 食草を植えて増やしているところにたくさんのチョウの幼虫をみる。このまま蛹になれば来年は放っていてもいいだろう。
 

2014/06/09(月) 年寄りは自立してこそ好例者だ!
 僕より少し年上の方々と盛り上がってしまった。40年も前だったら若い僕はきっとお姉さんに恋心を抱いたのだろう。でもみんな高齢者になってしまえば一杯飲んでわいわいと昔語りをして過ごせる。これは年寄りの特権だ。年寄りは特養なんかでお仕着せの演歌やお遊戯なんかをしてはいけない。同世代のいない奴の悪口を言ってみたり、昔の与太話をゲラゲラ笑ってしているのがいいのだ。どうしてそんなことが分からないのだろう。演歌だってこんな時に聴けばみんな歌いだす。特養で聴くはるみ節はいけないけれどこんな時に流れるはるみ節は実にいい。だって同世代というだけで意気投合する起爆剤になる。年寄りはもっと多様なはずだ。そう思わないかい。みんなで助けながらワイワイ面白くやっていけるのだ。倒れる時まで。
 昨日は右岸の草刈を終えた。今日は朝に大きな鳥が道から飛び出し左に悠々と飛び去った。僕の携帯電話はそれを写したのかゴミを写したのか定かではないけれど…

2014/06/07(土) 草刈を続けた。疲れる。
 きょうは何にもしないで楽々していたいと思ったのだけれどそうもしていられない。もっきりや道から川西街道にかけておおよその草刈を行った。気温も低く汗もかかないで終える。5時には風呂に入った。
 きょうも草を刈っているとウスバシロチョウが寄ってくる。このチョウもアゲハチョウでなんとも飛び方がのんびりしている。以前はたくさん飛んでいたのだがこのところ見えなくなった。今年はそれでもよく見る。変なものだ。
 あしただって右岸の草を刈らなくてはならない。だからきょうはこれでいいだろう。草刈はお盆過ぎまで続く。3回は刈らなければならない。いつまで出来るかな?

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