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2014/06/13(金) リスボア
 降ったり止んだり、晴れたり降ったりと忙しい天気が続く。予報どおりなのだがひどいことはなかった。まずまずなのである。
 65歳になってまだ仕事がしたいとは僕は思わないがもう少し働いて貯金をしてポルトガルのリスボンに行きたいと思っている。僕がはじめて海外に向かったのは40歳の頃でヨーロッパをひとりでひと月歩いた。そのときに一番面白かったのはポルトガルのファーロとリスボンだった。もう一度出かけてファドを毎日聞きにいくのだ。それからアジアやアフリカにも行ったが記憶に残るのはポルトガルだった。だからもう少し貯金をしてひと月ヨーロッパを歩きたいと思っている。50万は掛かるかなと思うのだ。今の人にしてはもっと普通に海外に出るのだろうが僕の子供の頃には車に乗るのだって年に何回しかなかった。車を運転するということだって思いもしなかった。パブリカという車が出たのは僕が小学生の5年の頃だったろうか。もちろん飛行機に乗れるとは思ってもいなかった。だから40歳までは戦前の日本人とそんなに変わらなかった。兄がパリに1年留学をしたことがあったが従兄弟が言うには長谷川家は日本の先端を行く名家と比べると100年遅れているといったものだ。兄がパリに出かけたのはまだ1ドル360円のころで長谷川家では初めてのヨーロッパだった。
 そこに行けばきっと亡くなった兄のため息が聞けると今でも思っている。言葉が出来なくても気持ちで外国を歩いた時代だったのだと僕は思っている。東ベルリンとの境界のことやスペインの列車の思い出。もう一度ヨーロッパを歩いてリスボンでファドを聴きたい。


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