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2014/06/11(水) 「神を信じよ」という看板は!
 十日町へ下る国道沿いにところどころ、あれは何と言って呼んだらいいのか分からないが聖書の一節の文言を書いた黒い板のメッセージをよく見かける。時には穏やかに、時には強く人間の本質の弱さを突いてくる文言である。
 友人が何時か言っていたがこれを研究というのか調査をしている人がいて本も出ていると。面白いところに目を付けるものだと感心した。「悔い改めよ」「罪のゆるしを得よ」「滅びの日は近い」「こころからイエス・キリストを信じなさい」「神は見ている」などその文言は限がないように思う。漢字にはルビが打ってあって時には「聖書」と書かれている。僕が子供の頃からそれは有って見る度にドキンと心に刺さった。研究者が言うには掲げられた建物の所有者も何時からそこにあるのか分からないという人がほとんどだと聞いた。
 日本には今はどうか分からないがキリスト者と共産主義者は100万人を越えないと何かで読んだことがある。すると戦後の共産党の山村工作隊と同じような時代の運動なのだろうか。漢字にルビが打ってあることは文字の得手でない人たちに対するものであったのだろう。その運動の残滓として今も地方の国道沿いの納屋の壁などに残っていると思われる。文言の内容でたたりでもあると困るというのか取り外されていないのだろう。でも僕は現代人に対する恫喝のように感じて、いつもなるほどと微笑んでみている。でもこの看板からではキリスト者は増えないだろうと思う。むしろ逆効果なのかもしれない。
 それでもこの看板に出会うと何となく懐かしく考え込んでしまう。時限爆弾のような効果で今は面白いと感じる。なぎら健一(?)という本業は分からない人だが、きっといつかラジオで話す声を聞きそうだと思って走り帰ってきた。


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