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最新の絵日記ダイジェスト
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2014/06/29(日) あぶないあぶない
 いや〜まいった。疲れたよ。きのうの草刈からお客さんの準備とお付き合い。3時に起きて朝食の準備と送り出し。ひとりのお客さんといろいろ話し、洗濯をして干したと思ったら雨だろ。胸を突かれるような雨だったな。また取り込んで部屋に干して少し眠ろうとしたら玄関に新たな客人。知り合いでまたワイワイやって3時からまた草刈だ。身体がふらつくし機械が重く感じるし草刈はこれで終わるわけではないし、帰ればチョウの幼虫が蛹になる前の食べ盛りで、糞はするわ、ゲージを汚すわで、もう視点が定まらなくなっちゃうし、見たい映画もあるし眠いし、洗濯物は部屋の中にぶら下がっているし実に困ったことになった。こんな時に人という奴はぽっくり死ぬのだろうか。死んでもいいやと思いながらもう寝よう、死んだように寝てしまおう。

2014/06/28(土) 草刈は続く!
 久しぶりにお客さんが山を登ってくる。その前に僕はきのうの続きの草刈をやった。
 もっきりや道はこれで2回目の刈り払いを終えた。あしたはお客さんを鳥甲山へ送り出してから続きの草刈だ。
 なかなか疲れる。足の裏が痛くなる。眠くなる。
 玄関前の幼虫を確保する。周りの食草が食べ尽くされている。このままではアリとかクモに食われるからだが先生の指導で9個の幼虫を家の箱のなかに入れた。あっ、お客さんが来た!

2014/06/27(金) ぼろぼろに疲れたチョウの最後の姿だ!
 兄が運転する車で父がやってくる夢を見た。びっくりして目が覚めた。僕が死んだ後にこの車に同乗して旅が出来るように感じた。父は亡くなる時に「もういいだろう」と兄に話した。その兄もなくなって初めて僕の夢にやってきてくれた。ふたりとも心の中でちゃんと生きてくれていた。
 6月の初めに刈った道がこの間の天気でぐんと伸びた。きょうからもう一度草を刈り始める。だんだん草は硬くなって刈りにくくなるし、葛弦が機械に巻きついて往生した。
 ときどき傷だらけのチョウが飛んできて刈ろうとする草に止まる。逃げない、チョウの一生ももう直ぐに終わる。今度はトンボや甲虫の季節になる。そのあとはやっぱりカメムシがくるのだ。
 明日も明後日もその後も草刈だ!

2014/06/26(木) にらみ落とす
 木曽で樵でがんばっていた友人が小池かとみという人の「太陽をにらみ落として一日だ」という句を教えてくれたことがあった。
 きょうは日が強く汗が滴った。見上げると梅雨の合間の太陽が容赦なく照り返した。こんなときはいつも友人から教えられたこの言葉を思い出す。彼も急な傾斜に足を踏ん張って一抱えもあるヒノキを切っていたのだろう。彼はこんなことも言っていた。天然木はもとより人工林だとしてもリックにお酒と塩を持って行って刃を入れる前に木にそれをかけて、木霊に語りかけるのだと。
 そんな友人にもう一度会って話したいと思った。きょうはそんな一日だった。僕は道普請だったが流れる汗はおんなじだ。労働の辛さを語り合える人も少なくなった。
 きのうコロンビア戦をみた。勝ち負けは時の運もあるが、よくやっていたと思う。今野や内田、岡崎たち。これからこそ日本のチームはよくなる。そのスタートがブラジルだったのだ。

2014/06/25(水) 夕立の中を歩いた
 志賀方面にぶらぶら行ってみた。林道はきれいに整備されているようだった。もちろん山道だから都会の道とは違うけれど、こんなものだろう。雑魚川を越えて眺めると岩菅山から烏帽子岳の稜線が梅雨空の雲をなびかせている。
 昼ごろから夕立にあう。カッパと傘をだしてゆっくりと山を歩いた。こんな時の山もいいものだ。
 ところで聞いた話だが渋沢の非難小屋は7月以降に再建されるということだ。何でも小さな小屋らしいがあるとないとでは大違いだ。釣りに行く人も草津街道を歩く人にも朗報だ。

2014/06/24(火) ヒカリゴケ
 ヒカリゴケはどうなったのかと山を歩いた。春のうちはまだそんなに光ってはいなかったので気になっていた。
 行ってみるとようやくそれらしく光って見れた。どうも気温が上がらないといけないようだ。苗場山から小赤沢に下る七合目で見られたものは土砂に埋まって見れなくなったと聞いた。するとここのヒカリゴケは貴重だ。
 山を歩きながらつらつら考えた。サッカーのことだ。もし僕がギリシャ人だったら明日のゲームはどう見るかと。日本が8位のコロンビアに勝つ確立はとても低い。だからコートジボアールに勝てばギリシャは勝ち点4になる。2位で予選を突破できる。もちろんコートジボアールも必死で勝ちに来る。この試合は大変なものとなる。日本は埒外である。世界の強さはそんなものだ。日本の場合は第1戦に負けたことがすべてで、11対10のギリシャ戦でも勝てないことは決定的な敗北だった。だから明日はまったく期待はしない。テレビの報道も子供っぽい感覚的なものだ。やれ監督が悪い、いや選手が悪いと犯人探しを始めるようではアジアの枠は減るのだろう。世界は広く、優秀な選手はたくさんいるのだ。とぶつぶついいながら歩いていた。そのうち中国が頭角を現してくるようになると日本の出番はグッと少なくなるのだろう。そうなれば報道も国民もワールドカップを忘れてしまうのだろう。だから勝てないのだ。
 帰って来ると幼虫の世話に追われた。休む暇も応援する暇もない。

2014/06/23(月) 和山温泉の効能
 昼を山でとる時のことだがそこでシートを広げて昼寝をする。その時だが蟻んこに噛まれたり、虫に刺されたり露出している手首などが腫れてかゆくて仕方がない。キンカンを塗ったりぽりぽりと掻いたりしているうちに赤くはれ上がってしまう。直りそうもないのできょうは和山旧仁成館の温泉に湯治に寄る。ここの温泉は皮膚の傷や虫刺されなどにことのほか効能があると僕は信じている。
 お湯に浸かって帰って来るとあのかゆみも落ち着いている。温泉の効能というのは即効性があるとは思わないのだがお湯に浸かって患部にすり込むと何となく落ち着いた。それから3時間、虫さされの傷はそのままだがかゆみは収まった。何でだろう!
 朝にチョウの世話をすると僕の食事の時間がなくなる。帰って来てチョウの糞の世話を終えるとようやく落ち着いて一服したくなる。6月はチョウの月だ。来月の10日に法事で東京に出るのだがその間のチョウの世話が今から心配だ。早く蛹になってもらわねば。
 草刈をしていると海上自衛隊のOP-3Cと見られる機体が3機頭上を飛び去った。関東の基地から小松にでも向かったのだろう。自衛隊の装備年鑑によると画像情報を担当する機体だという。幾つになっても軍艦や戦闘機はかっこいいと思う昔の小国民なのだ。

2014/06/22(日) 食草の管理も大変だ
 昨晩から強い雨が続いた。午後に森の駐在さんが高齢者に対する詐欺について調査に来た。いよいよ高齢者として官憲の調査対象になった。もっとも独身の男に対する警察のマークは今に始まったことではないが今までは加害者としての監視だったがこれからは被害者としての監視対称になった。めでたいことだ。
 今日も雨が上がらず昼まではチョウの数の確認をしていた。午後に降り止んだので食草の移植をしたりしている。今年のチョウの幼虫は93の数に上った。先生は外に放さず全部蛹まで管理しなさいということだった。
 先生を送って津南に出たついでにドコモに寄って聞いてみた。携帯電話の通話はかかってきた方には料金はつかない。ショートメールは共に一回3円づつ。メールは共にその容量によって料金がかかるということだった。通話は国内に限るということだった。先月大騒ぎをしてかけ放題にしたのだけれどかける相手がいないということに気がついた。

2014/06/20(金) 「造反有理」って…
 前半だけはちょこちょこと見ていた。メキシコやオランダ、アメリカと対戦した何といったけ、あの辺の国の試合と比べると随分と見劣りする。よくやっているけれどもあの辺が限界かな。でも次回は勝てないとみんな思っているコロンビアにひょんなことで勝ちゃったりするのがサッカーだ。
 今はチョウの幼虫にかかりきりで朝に30分、帰って30分と大忙しだ。だから手伝いで山を歩いているときが一番ゆっくり出来る。おまけにきょうは金曜日で解放されるうれしさもある。
 歩きながら昔のことを思い出していた。学生の頃のデモの前日の緊張感。当日の怖さ。今日こそ捕まると感じた時の対処法を思い出していた。あの頃の全共闘運動なんかは単なるチャンバラごっこだったけれどその頃は結構真剣だった「造反有理」なんていちゃって喧々諤々の議論らしきものが飛び交っていたけれど結局日本のバブルを率先してひっぱて来た僕らの世代はこれからの10年どうやって過ごすのかと。

2014/06/19(木) 奥山の水平道は財産だ!
 昼寝をしていると蟻んこの攻撃を受けた。ただ身体の上を歩いているだけだが眠れたものではない。僕はマミアノ族ではない。
 昔といっても半世紀だが切明から雑魚川右岸に発電所の保守道があった。この道はマムシ沢が大きく抜けた時に通れなくなった。僕の父が昭和の30年後半にここを歩いている。その時に3つ繋がったトンネルをスケッチしている。そこをきょうは歩いてきた。
 不思議な感じがした。父は野反湖から草津街道を渋沢まで来て水平道を和山に抜けて仁成館で泊まっている。そこから切明に戻って雑魚川の右岸を歩いたようだ。
 渋沢から志賀に向かうこの水平道が再び開通すれば日本屈指ののんびり自然道になるのだろうがそういったことを行うはずの電力会社も村も面倒なことを嫌がる風潮になってしまった。残念なことだ。僕の世代が次の世代へ残す宿題にしておこう。

6月絵日記の続き


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