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2014/04/08(火)
四国行脚1
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どうにかこんどのPCでの操作を習って、再度がんばって日記に取り組んでみる。 今日は8時で気温は5度ほどに上がっている。光が射していい気持ちになる。それでは伊予行脚について練習方々書いてみよう。 4月の1日十日町からほくほく線に乗って犀潟、直江津、富山、金沢、福井、敦賀、姫路。三原に着いたのは21時9分だった。改札に待つ九州の友人(テレQと呼ぶ)とまる1年ぶりの再会だった。僕は列車を降りると身体がふらついて焦点の合わない眼で懐かしく彼を見た。 翌朝6時半の船で因島土生、そこから魚島行きの船に乗り換える。ここは愛媛県上島町の孤島でもう何年も通っている。お金を使うところもない小さな島である。ここには観光客は来ないほど静かな島である。 船が小さな港に入ると島の巡査が何気なく乗客を監視に出ていた。ここの巡査のただひとつの仕事なのだろう。島を出るときもなんとなくこの巡査はやって来ていたから僕らの出航を確認して今日の一日の仕事として報告書に記載したのだろう。「本日も何事もなく」と。 毎度のことで島の半分を周る道を満開の植えられた桜をたどって歩いてみる。畑に立つ老人に挨拶をして話を聞くと「ここは昔沖ノ島といわれていたが、魚が多く獲れるので魚島になった」と話す。 「今は魚が獲れなくなった。昔はその理由は分かっていたのだがこのごろはその理由が一向に分からない。温暖化というのか?」と帽子を取って頭をかいた。 島の頂上にも始めて登ってみたが人が歩いた形跡はなかった。その下に八幡神社があっておおきな社が建ってあった。江戸時代の創建と書いてあったがどうもそれ以前ず〜と昔からのものだと僕は思っている。下りに入ってしばらくいくとスクーターにサッシをのせた年下のおじさんが止まって「どこから来た」と聞く。長野というべきだが思わず「東京から」といってしまうのが見栄っ張りの僕らしい。「いや、もう少し年をとったらここで暮らしたいと思って毎年来ている」と話すと「いつでも来なさい。私が協力してやるよ」心強い返事をもらった。いろいろと話しながら僕は思った。なんとなくここでひとりで老いていけるかと。ちょっとさびしいだろうなと感じたのは、僕の心の中でここに住んでみようという気持ちが強くなった証拠だった。でも本当にひとりでここで食って寝ていられるだろうかと強く思ったのも本当のことだ。 僕が70を超えて元気だったら悩むのだが少し病もでて弱ってきたならここは決まりなのだが。 桜の魚島を後に弓削港で今治行きに乗り換えて四国に渡った。今治は大きなアーケードだけが目立ってそこを行くひとの姿が見えない。ここでは暮らせない。暮らしのために資金を使っても僕のところに帰ってくるものはため息ばかりだろうと感じた。
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