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2014/04/19(土) ネズミを殺すのも、熊を獲るのも
 曇りのままで気温も上がらずにうすら寒い日だ。おととい仕掛けた糠入り水バケツにきょうふたつのネズミが浮かんでいる。水を飲んで膨れていたがどうもいやなものだ。かといって縦横無尽に走り回るネズミを見るのもいやだし、健康にも悪いだろう。だからまた新たにそのバケツをセットしたがあんまりいい気分ではない。ネズミのことはネコに任せるのが一番なのだが。
 
 秋山郷の人たちが山の暮らしのなかで、どうやって収入を得て、子供たちを食べさせて行くのかは、金取り仕事の少なかった昔の秋山郷では、重要な課題だった。出稼ぎに出ても、当時はさして金にならなかったから、猟の上手な人に教えてもらって山に入る人が多かった。戦前には大陸に進出する人たちの外套や襟巻きにも使われ、当然、熊やケモノは減った。今では「カモシカ猟」も「バンドリ(むささび)猟」も禁止となり、熊猟の「穴熊(冬眠中の穴にいる熊)猟」は中止になって、四月から五月上旬の「出熊猟」が唯一残された、往時を偲ばせる狩となった。
 昔は、お金に変えるために滋賀高原の旅館に売ったという。また集落のなかでも欲しい人はいたという。「まぁ〜1頭獲って、胆の値段だが、熊が一六貫(60K)位あって胆が五十匁(187g)出て、平均70〜80万円位のものだったかな」それを猟をした人数で割るのだから、いまではそんなに良い商売ではないという。屋敷に暮らす山田由信さんは五十年以上猟をして百頭以上の熊を獲ったという。一年に二頭とすると、そんなに良い仕事でもないと分かるだろう。
 写真は1斗缶に蜂蜜を入れて夏場に害獣として獲った熊のものである。場所はすぐ下の川原だ。


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