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最新の絵日記ダイジェスト
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2014/04/30(水) しまった!早すぎた!
 チョウを28日に出したのは如何にも早すぎた。というのは今朝ふたつの羽化を確認した。これが続いて65の蛹が羽化したらこれはパニックだ。どこで放せばいいのか分からなくなった。
 そこで川を渡って食草の状況を見に行く。蝶を放す場所の確認だ。索道を渡りながら、右岸の桜が目に入ってきたのはどうも今までとの感じが違うと思ったとたんだった。「湯の桜」中津川にせり出した桜、索道横の桜などがきのうの南風で一気に開花した。魚島の桜に送れることひと月。長かったがしんがりの桜がこれから奥に向かって順次咲き始めるのだ。
 こうなると是非「開拓の桜(政太郎桜)」を見に行かなくてはと向かう。ここも2分の咲き出しだった。まず一週間。桜を楽しむ。
 川西街道はもっきりや道との分岐までノーマルの軽トラで行くことが出来た。4日に小さい重機で少し雪を構ってみようと考えた。
 寄った福一さんのところでは、めずらしいサプライズがあった。瑞宝単光賞の受賞だという。これは勲章で勲7〜8等の叙勲である。これからは佐衛門佐福一と呼ぶしかない。久しぶりに目出度いことだ。ただ社会党と共産党からは祝電は来なかったという。いいじゃないか祝電くらいと思うのだが!
 11月3日が明治天皇の誕生日でこの日は明治節から今は文化の日になっている。

2014/04/29(火) 私の範疇
 きょうは昭和の日で、いつからこう呼ばれたのか判然としない。以前は天皇誕生日で平成になってからはみどりの日となった。みどりの日は五月四日に移ってGWの連休が増えた。それはいいけれども昭和の日が出来たら大正の日や明治の日(これは建国記念日か)もここに持ってきてずう〜っと休みにしてしまえばいいのにとちょっと思った。あんまり昭和、昭和とこだわるのも対外的にいかがかとも思う。昭和はそこを生きた庶民だけが知る世界なのだ。
 きのうのニュースを見ていた。2060年になると国の債務は8600兆円になるという。すると一人当たり9000万円の勘定になるという。(本当なのかと頭をひねるが?)消費税は債務に当てるといっていたような気もするがどうなったのだろう。消費税は20%から40%まで上がっていくのだろうか。スエーデンのようになるならまだしも取るだけ取るようなことになっていくのだろうか。
 そうなると支援を当たり前と考える人間が増えていく訳で、高価な薬を山のように持ち帰って、酒を毎日飲んでいるといったことや、支援を受ける親の横で何にもしないでお茶を飲んでいる娘もふえるのだろう。介護保険があるからそうなるのだろうが昭和の僕らの親たちは、世界恐慌や戦争、敗戦の食糧難を泣き笑いしながら、工夫しながら耐えてきたはずだ。江戸の時代から庶民は政府にいじめられながらも昭和までは批判もし、努力もして生きてきた。そんな昭和までの日本がたかだか26年の平成にグチャグチャにされてしまうのかと感じた。そのうち師走の23日が平成の日と変わるころにはこの国の国民はちょん髷や丸髷に姿を変えて笑いながら観光立国の庶民となって近世を演じていられるのだろうか。
 僕のいるところはほとんど国は支援をしてくれないからといって僻んでいるのではない。

2014/04/28(月) 四月だってもう終わるのに
 きのうは小津安二郎の「彼岸花」をみていた。向田邦子の「阿修羅のごとく」をよく見る僕にとっては、それの元になった作品のように感じる。佐分利信の無口さがいいのだ。で、すこし元気になったわけだ。60歳に近くなった旧制中学の同窓生が唄う「青葉茂れる桜井の 里の渡りの夕間暮れ…」がいいのだ。
 きょうは予定通りに蝶を土中の枡から出した。65個の蛹がひとつを除いて完璧に出てきた。ひとつはカビに巻かれていた。出して日に当たるとアッという間に乾いた。この分なら5月のはじめにはすべて羽化するだろう。そのうちの半分はきっと卵を産み付けてくれると考えている。大丈夫だろう。たぶんいいだろう。きのう飛び立たなかった砂糖水まみれの蝶はきょうどうにか飛び出していった。大変だが、負けるなとエールを送る。
 昼からは約束の壊れた看板を作り直した。これが面倒でコンパネを切って、トタンを切りそこにペンキで文字を書くのだが、手が震える。うまく書こうとするからだけれど、書けないからしょうがないので、濃いめのペンキでなぞるようにした。このような看板は下手うまでいいのだと書き終えてから分かった。

2014/04/27(日) 飛べ、行け、生きろと言うも通じないのだ
 天気も今日までだというので昼前に蝶を外に出して日に当てる。そして昼過ぎに放った。ふたつは飛び去ったがきのう砂糖水に落ちた蝶はなかなか飛んでは行かない。それではと僕も椅子なんか出して本を読んでいたが一向に出て行かない。無理にでもと指先に乗せて高く掲げるのだがきれいには飛んでいかなかった。再びかごに戻して明日以降に順延となった。
 このころは天敵の鳥も餌を探して飛び回るし放せばいいというのではないとも思うがそこは自然に任せるしかないだろう。たとえ目の前で鳥に食べられたとしても大地を飛べたのだからいいと思った。
 ダンボールや燃えるゴミを始末しながら、明日は看板の修理をやろうかと考えた。毎年のことだがめんどくさがらないで片付けると決めた。そのぐらいでいいだろう。のんきな連休になるのだから。

2014/04/26(土) 食草を見つける
 昨日は友人のご夫婦がいらしていっぱい飲んだ。よって日記どころではなかった。
 蝶がまたひとつ昨日だが。きょうはふたつ羽化した。そのうちのひとつが蜜を薄めた皿のなかへ落ちていた。霧吹きで水をかけて砂糖水を薄めたがどうなるのか気になる。
 秋山地区には生徒3人の小学校があって、きょうはPTAということで出なければならなくなった。生徒3人の小学校も大変だが、極端に高齢化がすすむ各集落のほうがもっと大変なのだが。その会合に出る前におとといの蝶を放したところによってみるとなんとその蝶が飛んでいるのを見た。そしてウスバサイシンが咲き始めているのも見た。おとといの二兎の蝶はオス、メスで一緒にすると交尾を始めていた。するとその食草に卵を産み付けることが出来るということだ。もう少しすればもっと食草は広がるはずだ。後の三兎も天気を見てそこに放そう。
 飛んでいる蝶を見てわくわくするようなうれしさを感じた。僕が育てたのだと強く感じた。このところの気温の上昇で鳥たちも勢いを増しているし鳥に捕まるのもあるだろうが次の世代へつなげていてもらいたいものだ。

2014/04/24(木) 蝶とお湯と道普請
 きのうの夜に蝶を殺した。夜のほうが彼らは動きが無い。そこでぶら下がって寝ているのか分からないけれどハトロン紙に挟んで胸をつぶした。放蝶はまだ少し早いようで生き残る確率から言うと後から放す予定の蛹より少ないだろう蝶を2014年の個体標本にした。それで気がとがめたので昼になって残りの蝶を右岸のスミレの散見できるところまで行って、放した。よく言い聞かせたが飛び立って楢の木に止まって動かなかった。後は彼らの自力に任せる。
 もっきりや道に残る雪は結構おおいように思う。川西街道もその入り口はおおくところによると1mもある。今週の暖かさがあっても連休の後になるだろう。道に掛かるぼやと呼ばれる小枝を切ったり側溝に積もった枯葉を片付けながら歩いていたのだがいやになって帰ってきた。
 昼に盗み湯をしてきた。露天風呂に映る山がきれいで昼間の湯はいいものだ!温泉はひとりでゆっくりと入れるところが天国で和山温泉は泉質といいロケーションといい文句のつけようが無い。

2014/04/23(水) 巡回するも、雪多し!
 きのうははるみちゃんを久しぶりに見ていたのですが、酔いが回るまではちっとも感じなかったのでした。
 さて、羽化した蝶はお日様に当てると元気に飛び回りました。ところがまだ雪が多くて放すのにはちょっと早すぎます。そこでこのあたりの食草の生えるところを調べに周りました。去年の記録では5月6日あたりから10日ごろまで羽化しています。やはり2週間早いかな。松下教授は、ではこのうちふたつは標本にしなさいとおっしゃいます。どうも去年からの蝶との付き合い、それと黒いつぶらな瞳を見ると臆するのです。教授は毎年何兎か標本を作ることが科学であるとおっしゃいます。そうなのかもしれません。今年はこの手で標本用に処分しなくてはならなくなります。これが辛いのだなー。本来食草が見えるところを周りましたが雪が消えているところは一箇所。で食草はみつかりません。
 ついでにもっきりや林道を見てきました。一度重機が入ったようなのですがもう一度整備してもらえないと暮らせません。明日でも頼んでみます。
 それでは志賀方面の道はどうなっているかと走ってみると、鳥甲登山口からコミズを過ぎてオオミズの除雪に掛かっていました。雪の量はそこでは山側では15mもあるようです。走ってみるのも面白いですが対向車とのすれ違いは出来ません。
 明日は鋸と鉈、スコップ片手にもっきりや林道のボヤでも切りに行かなければなりません。少し忙しくなって良かった。

2014/04/22(火) 羽化した
 朝は湯の温泉パイプの取替えを手伝いに出かけて昼に帰ってきた。作業中に蝶の先生から電話がありもっきりやの道具部屋、発泡スチロールの箱に蛹が入っているということだったが、僕はすっかり忘れていた。
 池の水が勢いを増して雪解け態勢に入ってきた。畑に植えた桜の苗木は支柱に巻きつけたのだが頭が折れている。冬の準備が悪かったとしかいえないが来年に向かって課題が増えた。それからだが蝶の箱を点検していると羽化した蝶が二つ見つかった。直ぐに指示をを仰いで砂糖水と蜂蜜水を作って手乗りにした蝶に与えたけれど飲んだのか飲まなかったのかは良く分からない。そのうち、もうひとつの蝶が蛹を破って出てきた。あと四つが箱の中に蛹のままだ。
 見ているのだがこの蝶は今日 出てきたようでなんとなく力強さがない。明日になって天気も良くなるようなら放してしまおう。
 7月から4月まで9ヶ月もグーグー眠っていたギフチョウはこれから約ひと月ぼろぼろになるまで飛び回っていのちを伝えていく。卵を産み付けるまでは捕獲しないでもらいたい。頼む!

2014/04/21(月) 水糠バケツは効く
 先般ギフチョウのマスを開けて状態を見てみた。まだまだ土中の水分が多く羽化させるには少し早いように感じた。ただこの見極めが難しい。土中に埋めたコンクリートのマスのなかに素焼きの鉢を入れ周りに炭と水苔で環境を整え、鉢の中にも水苔を入れて確か70近い蛹を保管している。蛹は外に出して乾けば直ぐにも羽化して飛んでいくのだがまだスミレの花も見てはいない。
 毎年5月の連休には放すのだけれど今年の雪はここに来て硬くなかなか解けない。それに蛹の数も多く一箇所で放すと食草であるウスバサイシンやカンアオイの少ないところでは結局、ここに戻ってきてしまう。そうなるとまた大変な作業を6月にやらなければならなくなる。せいぜい40位ならいいのだけれど去年のように80というのではこっちが病気になってしまう。さてどうなるか少しく心配なのだ。
 そういえばきょうは水糠バケツに1匹のハツカネズミが飛び込んでいた。それと小さなネズミなのだが玄関内に倒れている。これがなんでなのかは分からないけれども、この間4匹のネズミとなればもっといるのだろうと。防御を固めなくてはならないとふんどしを締める。だけれど暖かくなれば彼らは外に出て行くはずなのだが。
 それよりもギフチョウが問題となった。

2014/04/20(日) なんとなく身体を動かした
 きょうもうす曇の寒い日だ。つづくなと思いつつ予報を見るのだが暖かくなるのは少し先のようだ。
 そんな天気もあって中津川沿いの集落は静かに沈んでいるようだ。
 そうかといって二日も三日もテレビの前とは情けないので午後から西側の雪囲いを片付ける。花壇の柵をつけたり防腐剤を壁に塗ったりしていた。大したことじゃないのだがこれしかすることが無い。雪が消えているところもあるけれども1mも残っているところもある。無駄なことはしない方がいい。
 日が傾いてから右岸に渡って風呂に入れてもらった。湯には何人か友達が来ていて、ご主人は元気に話している。いつものように肴にされてしまったがストーブに当たっていられるのならしょうがない。ここのサクラはそう、2週間の後だろう。
 因みに国道353号線は十二峠の土砂崩れでしばらく通れないという。ひとつ上の大沢峠を越えてくるようだ。

4月絵日記の続き


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