来るなら来てみろ もっきりや
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2014/12/29(月) 少しづつ本調子
 雪も降るけれどもみぞれといった感じだ。昨日の雪下ろし貫徹のおかげで今日はふたりして遊びの雪かた付けをしていた。年末寒波もあるがとにかくここを出て甥っ子の子供を見に出かけようと考えている。
 家の周りはがんばれば一日で周回の雪回廊が出来る。帰ってまた雪下ろしだが少し温かいところで腰を養生しようと思う。繊維筋肉症やらリュウマチ性多発筋肉症ではないかとカンファレンスを頂いたが寒さに対して身体の硬くなるためだと思う。
 今年は僕の周りで起こったたくさんの変化に対応できなかったことも、ある意味でのストレスが原因なのかもしれない。東京の調布の4畳半で蟄居生活をすれば直るかもしれない。直ってくれ。

2014/12/28(日) 援軍が大きな力
 昨日ぶなの会の田中氏がどうですかと電話をくれた。どうもこうもないと答えると彼は来るという。そうなると僕もうかうかとしていられない。昨日は谷川の雪を片付けた割には腰はそんしょくなかった。いくぶん早く起きて食事の後まず、索道への道を付けて屋根に上っていた。見るとMr田中が湯の道を下ってきた。
 彼とわいわい言いながらの雪下ろしは結構面白い。平成天皇の言うようにひとりの雪下ろしは辛いけれどふたりの作業は余裕が出来た。およそ3時間ですべての雪を下ろした。こうなると明後日彼と一緒に東京にも出られると思った。年末の大雪があっても雪は、帰ってからでも間に合う。そうだ彼のお供をして東京に行くことも結構いいと思った。
 ぶなの会は山岳会のひとつでこのもっきりやの継承にはいいのかもしれない。今時の人間の弱さを思うと個人ではまかないきれないのかもしれない。何人もの会員のいる、ひとつの会のいろんな人に支えられながらしか継続できないかも知れない。どっちにしてもこのもっきりやを続けていくのはそれほどにに大変なのだろう。当の僕はひとつもそんなふうに思わないがここに来たことのない人の想像力には限りがあると思った。でもこれからの日本の現実はここの辛さを数倍するものになると僕は思うのだが。

2014/12/27(土) ここにいるのだから
 結局昼まで降り積もってこの3日で1mの余は越した。腰だ何だと言ってはいられなくなって昼から川側の雪をかまう。見上げると1mも屋根から張り出していてこの間の風の強さを感じた。
 明日は軒の上だけでも落とさなければならないだろう。出来たら大雑把でも全体を落としたいのだが。腰は昼の作業で少し痛みが増したようだけれども身体を動かしていたほうがいいのではないだろうか。よく分からないけれど。
 腹筋をやったり部屋のなかを歩いてみたりしながらちょっと考えた。70年前の日本の兵隊も腰が痛かっただろうに、怪我をしていただろうに、腹が空いていただろうに、寒かっただろうにと。だから僕が弱音を云ってはいけないとは全然思わないが、逃げるに逃げられなかった兵隊はまことにかわいそうだったんだなと身をもって感じた。先日片付けた写真の中にシベリヤで抑留されて亡くなった伯父さんが靖国神社に招魂されたという手紙があったけれどシベリヤの寒さと空腹で亡くなった伯父さんの痛さや情けなさはどこに埋めたらいいのかと腰をさすりながら思っている。

2014/12/26(金) この雪に行き暮れる
 リズム体操をTVを見ながらする。同じ姿勢では立ち居振る舞いが思うように出来ない。ならば脱出かと真剣に何がえるけれどもこの雪だ。もう少し様子を見てからでなければ動けない。対岸に渡るのが大変だ。
 悪いのだがぺタッと寝てなければならないというほどではない。でも外に出て雪をかまうと1時間と続かない。でも少しはやるのだけれども!降ったばかりの雪だから直ぐにどうのということはないがこの始末はつけなければならない。しょうがない、少し様子見ということだ。
 燃料も食料も飲み物もみんなある。どうにかなるし、どうにかする。

2014/12/25(木) 今度は腰痛だ!ちくしょう!
 どうもいけないのだ!昨日は筋肉痛の注射に行って収まった身体が今朝は腰痛の痛みに見舞われる。どうも変だ!
 昨日からの雪は30cmは積もったようで明日にかけてまだ降るという。こんな調子ではいったん東京にでも出るかと思うのだが見上げる屋根の雪が重い。行くならこれを片付けなくてはならない。
 それでも今日は両親のそれぞれの写真を片付けたのだがだいぶ燃やせないものが出た。戦時中の両親の結婚の写真やら母方の戦死した伯父や祖父の写真。もう手に入れることが出来ないものらだがだからといって市井の市民の写真などこれからの人間には要らないものだ。せめて老いた従兄弟たちと会う機会にでも見てひと時笑いあって功徳とするしかない。本当に写真は10枚もあれば充分だと思う。いや一枚遺影になるものだけでいいのだろう。
 そんなこんなをしていると腰の痛みも和らいだのか、よくなったように感じる。今年は本当にひどいことの多かった年でここを乗り切らなければ成仏できないと腰をたたきながら部屋を一回りする。

2014/12/24(水) 小さなメリークリスマスだ、晴れもあったし
 遅くまで寝ていた。身体が疲れていると感じたからで10時を過ぎて起きたのだがやはりわき腹とでん部が痛い。となるとこれは筋肉痛ではないかと考え午後もやっているという診療所へ向かおうと決めた。遅い朝飯を食べ終わったころ玄関がガタガタと騒がしい。これはサルでも来たかと立ち上がると村の生活福祉係の係長が立っていた。これにはおどろいた。よく来てくれたという意味である。今日まで19年間雪のある頃にここへ来る村職員は一人もなかった。何となく捨てられてはいないと感じた瞬間だった。行政はこういうことが大切でエンピツ舐め舐めすることではない。
 湯にも救助隊が来て役場の職員2名とひだまりのご主人と3人の隊員で昼前に雪下ろしを終えていた。昨日のニュースでは天皇がひとりで屋根に上がるなと仰った。日本の首相には云われたくないが美智子妃殿下の旦那さんの話なら、よく分かっていらっしゃる、ありがたい。
 僕の医者は話を聞くと身体に触れることなく一本の注射をする。これが利くのだ。日本の天皇とここの診療所先生は遠く近く人々を支える。
 このところ弱り目に祟り目だからことさら平常に同じように行動してリズムを取り戻さなくてはいかん。

2014/12/23(火) この冬は長くなりそうだ
 起きだして3時間たったところでどうにか身体を動かせるようになった。ベッドからでて服を着るところから体中にピンと痛みが走る。どうしたのかといぶかしんでみても訳が分からない。
 少しづつ身体を動かして、ほぐして3時間ほどして痛みも和らいだ。で少し雪を片付けるとまたピンと痛みが走る。つまりこのところの雪かまいの疲れだと思うのだが去年はこんなことはなかった。がまんして川を渡って賀状を出してゴミを捨てて湯治をして帰ってきた。湯には長岡の友人が来て片づけを手伝っていた。痛い身体でたいしたことは出来なかったが手伝う。屋根に上がる梯子が壊れてしまった。降る前に僕がつけたものだがこれは困った。
 きょうはしょうがない早く寝よう。

2014/12/22(月) 痛いっっっ
 北日本では大荒れというがここでは雪が舞う程度だ。昨日の雪下ろしのせいで右でん部とわき腹の筋肉が壊れた。スコップで雪を池に投げるのだが痛くて持ち上がらない。腰ではないからそのうちに直ると思うのだが老いたのだ。早くここの後継者を探さなければならないようになるのだろうか。もう少し少なくとも70まではここにいなければ余生が過ごせない。困ったものだ。
 で僕は賀状を書き上げた。明日に川を渡って出してこよう。ついでにゴミもだそう。今日は写真を忘れた。寂しいから夏の写真を探した。これから作りたい小屋の雛形だ。どうでせうか。

2014/12/21(日) 2回目の雪を下ろした
 雪は湿っていて重い。17日からの雪はこのところの気温でずいぶんと締まっていた。やはり今日はもっきりやの雪を下ろすべきだと感じた。嵩は70cmほどだ。
 11時だった。グズグズと先延ばししていたけれどもうそろそろと屋根に上がった。こんな時は必ず亡くなった家族の写真に線香を立てて無事を頼む。するとすこし安心する。注意する。これが大切だ。僕は高いところが大嫌いだ。だから食堂も、居酒屋も値段の低いところしか行かない。
 ちらちらと舞うなかであんまり欲をかかないで少しづつ雪を下ろして行った。ここの屋根は居間の上は5寸勾配。客室は4寸勾配。で5寸は結構きつい。梯子を上って足場を作ってからはじめるのだがきつい勾配の屋根であまり欲をかくとスノーダンプに乗った雪の重さで身体が押される。斜面で高いところでバランスを思うと少しづつすこしづつ作業をすることが大切なのだ。だから今日は4時間半もかかってしまったが、これでいいと兄も父も心の中で応援してくれる。屋根の上から寂しくなった対岸を見ると一人残されたお上さんが身体を丸めて雪を片付けている。明日はちょっと出かけてみよう。みんな大変だから。

2014/12/20(土) 3日ぶりの布団に入れる
 津南を10時に出てお年寄りの家に揚げ物を配ってから昼に和山着。一昨日の通行止めは蜂蜜屋さんから平家茶屋までの区間で発電所の水路からの漏水が雪でせき止められた後、土石流になって道を埋めたようである。発電所の職員が各戸を回って丁寧に謝罪していた。この降りだ、何でもありなのだ。
 2時になると南風が吹き雪ではなく雨が降ってきた。明日は屋根に上がらねばならないのに困った。昨日と違ってひとりの雪下ろしはため息ばかりで埒が明かないのだ。でもやるしかないのだ。
 3日ぶりで自分の布団に入れるのは安心だ。この分ではちょっと東京と言うわけには行かなくなった。

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