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2013/08/29(木)
強力を思い出す
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もう40年以上も前の話で恐縮ですが、栃木県の奥鬼怒で仕事をしたことがあった。当時20歳ほどの子供だったのですが学校が閉鎖されて八丁の湯で働いていました。いい温泉の山小屋で当時は鈴木芳夫さんが切り盛りしていた。僕は厨房に入って食事の世話をしていたが夫婦淵まで荷物を取りによく出かけた。米を1袋30k醤油を1斗20kが荷揚げの限度だったがそのころの僕は途中のカッタテの滝あたりまで来ると重くて重くてとても担いでいられなくなった。そうなると醤油を道脇に隠して米だけをまず背負い上げ、取って返して醤油を運び上げたものだ。思うに50kは無理だと思えるのだが当時は90kの荷を背負い上げる地元の強力の影響もあったのかいつも頑張ったものだ。しかしいつも背負いきれなかった。疲れて座り込むともう立ち上がれなかった。地元の強力の名前ははっきりと思い出せないが頭のはるか上まである長い背負子を地に下ろすことなく背負って来たものである。1貫目いくらだったが、10kいくらだったかも忘れたが昭和40年代ころまではそんな強力はいくらでもいたようである。 きょうはそんな荷上げを思い出させるような仕事だった。奥山での工事に使う荷物をひとり30kほどに振り分けて担ぎ上げた。普段の2倍ほどの時間がかかったが疲れたり目を足下から離すとぐらりと荷物が揺れ振り回されるようだった。
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