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2019/06/26(水)
晴れの間に
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一昨日の夜に聴いたドボルザークのチェロ交響曲。聴いている内に寝てしまった。こういうことが子供だった頃からのクラシック音楽に対する私の実力なのだ。それで昨日の朝はシャンソンを聴いたがこれが良くない。朝に聴く音楽が分からなくなってしまった。するとやはりバロックなのかと思っていた。 昨日の草刈最中に不意に客現れる。彼の対応を終えて、今朝は保健所の講習でいろいろとお金を支払って授業を聞いて来た。関係各局の下で商売をするということは「イエスサー」といった順々とした姿勢が必要なので、相手もそんなに強く言うわけではないけれど上部団体、政府系の役所への忖度ですべてが収まっているよ湯に感じる。この国のシステムなのだからもう慣れたが何処か違うように感じながら帰って来た。 さてそれからだが日差しの陰る2時あたりから道の草だ。いい加減にしろと思いながら、それでも毎日草を刈るのである。今日は津南町中子の「もりあおがえる」の旦那が志賀山登山の帰りに寄ってくれた。道にへたり込んでぐずぐずと話をして笑ってから 蚊に追われるようにお帰りになった。 なんと云うのかここに居てひとりで音楽を聴いていてもその先にある自由や開放や安寧といった感情にたどり着くには、居眠りだとか涙を流すとか幾時間の経験を経ねばならないのだろう。えらそうにクラシックrという前に今夜都はるみをちゃんと聴いてから寝るとしよう。
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